第55話 唐詩の韻を読みわける 唐代になると中国漢字音の音価は、かなり正確に復元することができる。それは唐詩の押韻の研究が進んでいるからである。中国では役人への登竜門である科挙 で、唐詩の韻を正確に読み分けて、自身も正しく韻を踏んだ詩を作ることが必須条件とされた。日本でも中国にならって唐詩を重んじたため、唐代の中国音の研 究は進んだ。たとえば杜甫の「絶句」の押韻はどうなっているのだろうか。 絶句 杜甫
江碧鳥逾白 江(こう)は碧(みどり)にして鳥逾(いよ)いよ白く この詩の燃 (ネン)と年(ネン)は韻を踏んでいそうである。そこで反切で調べてみると、然(如反延)、年(奴反顛)である。「燃」と「年」とが押韻するためには、 「延」と「顛」とが同韻でなければならない。『広韻』のような韻書によると反切の上字(語頭の子音を表わす文字)は452個、下字(韻尾の音を表わす文 字)にいたっては1095個もある。中国語の韻は1000以 上もあるわけではないから、反切では同じ韻に異なった文字があてられている可能性もある。「延」と「顛」が押韻しているかどうかを知るためには、かなりの 修行を積まなければならない。反切上字と下字の音価をすべて知らなければ、唐詩は読みこなすことはできないし、まして漢詩を作ることは困難である。 そ こで、『韻鏡』という韻図があって、反切よりは簡便に韻を調べることができる。『韻鏡』は43枚の韻図で成り立っている。『韻鏡』は『広韻』に比べれば、 だいぶ整理されたことになる。杜甫の絶句について『韻鏡』を調べてみると、「然」は仙韻、「年」は先韻となる。『韻鏡』では「仙」と「先」は同じ第23図 にあり、ともに平声であるから、「然」と「年」は韻を踏んでいることが確かめられる。『韻鏡』は、その簡便さから、中国よりもむしろ日本の漢学者に愛用さ れた。また、「春望」についてみると、つぎのようになる。
春望
杜甫 日本漢字音では深(シン)、心(シン)、金(キン)、短(タン)、簪(セン)が韻を踏んでいるようにみえる。『韻鏡』によって韻を調べてみると、つぎのようになる。 深(沁韻)、 心(侵韻)、金(侵韻)、短(緩韻)、簪(覃韻) 「心」と「金」はともに侵韻であり、心=金で同韻であることがすぐわかる。また、深(沁韻)は『韻鏡』では侵韻と同じ第38図に収められており、侵韻が平 声なのに対して沁韻は去声で四声が違うだけだから、平仄が同じである。したがって、深=心=金、と押韻していることになる。また、簪(覃韻)は『韻鏡』で は深、心、金の次の第39図に載っている。覃韻と侵韻の違いは、u介 音が伴うかどうかの差であると考えられている。したがって、侵韻と覃韻も押韻する。結局、「深」、「心」、「金」、「簪」は韻を踏んでいることが『韻鏡』 によって確かめられる。「短」は、日本漢字音では押韻していそうに思えるが、韻鏡ではまったく別の第24図に掲載されていて、短(緩韻)である。したがっ て、「短」は「深」、「心」、「金」、「簪」とは押韻ない。 『韻鏡』を理解するのにも、かなりの修行が必要である。これをアルファベットで表記すれば、専門家でなくとも誰にでも理解できる。杜甫の詩「春望」の中国語原音はアルファベットで表記すればつぎのようになる。 深[siəm]、 心[syəm]、 金[kiəm]、 短[tuan]、 簪[tziəm] 簪[tziəm]は韻尾が[-m]であり、短[tuan] と韻を踏まないことは一目瞭然である。日本語では中国語の韵尾の[-m] と[-n] が弁別されず、ともに「ン」であらわれる。しかし、唐代の中国語原音では明瞭に区別されていた。 |
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