第185話
とき(時)の語源
古代中国語の「時」は時[zjiə]である。「時」の声符は特[dək]と同じであり、頭音が口蓋化する前の上古音は時[dək]に近かったものと想定できる。日本語の「とき」は
中国語の上古音の痕跡を留めている。 【とく(説)】 古代中国語の「説」は説[sjiuat]である。「説」と同じ声符をもった漢字に「脱」が
あり「脱」の古代中国語音は脱[thuat]である。兌は脱[thuat]→説[sjiuat]→悦[jiuat]のような変化をとげたものと推定できる。脱[thuat]は[-i-]介音のはったつにより口蓋化して説[sjiuat]になり、さらに語頭音が脱落して悦[jiuat]になった。日本語の説(とく)は口蓋化以前の上古
中国語の痕跡を留めていると考えられる。 韻尾の[-t]が日本語でカ行で現われているのは少し説明を要す
る。江南地方の中国語では入声音の[-p][-t][-k]は弁別されなかった可能性がある。宮田一郎編『上
海語常用同音字典』によれば現代の上海音では「説」は説[sə?]であり、咽頭閉鎖音である。
古代中国語の「遂」は遂[thiok]である。現代の北京音では遂(sui)、日本漢字音は遂(スイ・とげる)である。中国語
の[-i-]介音は7世紀以降に発達してきたものであるから上
古音は遂[thok]*に近い音であったと推定できる。日本語の「とぐ」
は上古中国語の遂[thok]の痕跡を留めたものである。
古代中国語の「常」は常[zjiang]である。7世紀に入って口蓋化する以前の音は常[dang]*に近いものであったと推定できる。日本語の「と
こ」は上古中国語の常[dang]*のに依拠したものである。常世(とこよ)、常磐
(ときは)などの常用句もある。「常」は常(つね)という訓もある。 同じ原音「常」が「つね」と「とこ」に分かれるの
はなぜか。地方音の影響か、時代による音韻の変化を反映しているのかよくわからない。言語学の知見によると、音韻変化は同じ条件のもとでは例外なく同じ方
向に転移する、という。 しかし、外来語の場合はどうであろうか。そのこと ばが入ってきた時期や、どこの国から入ってきたかによってかわったことが分かっていることばがいくつかある。cup(コップ・カップ)、glass(ガラス・グラス)、さらにはplatform(ホーム)・uniform(ユニフォーム)、などをあげることができる。日 本語には「フォ」という音節はなかったのでplatformはhomeと同じ音に転移した。しかし、外来語がたくさん 入ってくるようになると「フォ」やteamの「ティ」などの音節も原音に近い音に発音できる ようになる。しかし、platformのほうはなかなか「プラットフォーム」にはならな い。駅のホームはmy homeのホームと同じ発音のままで残る。
古代中国語の「床」は床[dziang]である。7世紀に入って[-i-]介音が発達する前の上古音は床[dang]*に近い音であったものと推定できる。日本語の「と
こ」は上古中国語の床[dang]に依拠したものである。「床」には床(ゆか)とい
う読みもある。 「乃
(すなは)ち三(みつ)の床(ゆか)を設けて請入(いりま)さしむ。是(ここ)に天孫(あめみま)邊(ほとり)の床(ゆか)にしては、其の両足を拭(の
ご)ふ。中の床(ゆか)にしては、其の両手を拠(お)す。内の床(ゆか)にしては眞床(まとこ)覆衾(おふふすま)の上に寛坐(うちあぐみにゐ)る。」(神代紀下) 中国語の床は床[dang]→[dziang]→[jiang]と変化したものと思われる。床[dang]が[-i-]介音の発達によって摩擦音化して[dziang]となり、さらに頭音がだつらくして[jiang]なった。日本語の「とこ」は床[dang]に依拠しており、「ゆか」は床[jiang]に依拠しているといえる。
古代中国語の「利」は利[liə]あるいは利[liet]である。古代日本語ではラ行音が語頭に立たなかっ
たので中国語の「利」はラ行と調音の位置が同じタ行音を添加して日本語の音韻体系になじませた。利(とき・とし)の(き)・(し)は上古音の韻尾[-t]に対応したものであろう。 記紀万葉の時代
の日本語にラ行音ではじまる単語がなかったからといって、万葉時代の史(ふひと)が「利」を「り」と読めなかったわけではない。
「利」は漢字音として、万葉集でも「登利我奈久(とりがなく)」などのように第二音節以下では使われている。ただ、古代日本語ではラ行音が語頭にたつことはなかった。
古代日本語の「停」は停[dyeng]である。古代日本語は濁音が語頭に立つことがな
かったのでと清音を語頭に添加して「と+どまる」とした。韻尾の[-ng]の上古音は[-k]であるのが一般的だが、介音[-iu]が介在する場合は[-m]になるというのが中国語音韻史の一般原則である。[-ng]は調音の位置が[-k]と同じであり、調音の方法が[-m]と同じなので、[-m]にも[-k]にも転移しやすい。停[dyeng]には語頭の濁音を清音に変えた「とまる」という日
本語もある。 「留」の古代日本語音は留[liu]である。日本漢字音は留(リュウ・とどまる・とま
る)であり、訓(意味)は「停」と同じだが音はかなり違う印象を与える。しかし、古代にほんごにはラ行で始まる音節がなかったから[l-]と調音の位置が同じ[t-]に転移した。中国語では
音義の近いことばを重ねて成句をつくることがあるが、停留所なども「停」と「留」を重ねている。 蓼[liu]の日本漢字音が蓼(リュウ・たで)であり、爛[lan]が爛(ラン・ただれる)であることも、留[liu]の日本漢字音が留(リュウ・とどまる)であること
と重なるのではあるまいか。
古代中国語の「殿」は殿[dyən]である。日本漢字音は殿(デン・との)である。古
代日本語では語頭に濁音がくることがなかったので語頭の[d-]は清音になった。また、古代日本語には[-n]で終わる音節がなかったのて韻尾に母音をつけて
(と+の)となった。
古代中国語の「通」は通[thong]である。日本漢字音は通(ツウ・トウ・とほる)で
ある。日本語の「とほる」は中国語の「通」と同源であろう。同じ声符をもった漢字に桶[dong](トウ・つつ・をけ)、誦[ziong](ショウ・となえる)、甬[jiong](ヨウ・をけ)、踊[jiong](ヨウ・をどる)などがある。「とほる」は万葉集
の音仮名などでは「等保里」「登富禮」などと表記されているが甬(をけ)、踊(をどる)などからみて通(とをる)に近い発音だったのではないかと思われ
る。 「とほる」には徹[diat]が使われることもある。「徹」の上古音は
徹[dat]*に近い音だったものと推定できる。朝鮮漢字音では
中国語の韻尾[-t]は規則的に[-l]になる。古代日本語も朝鮮語に近い音韻構造をもっ
ていたに違いない。
古代中国語の「苫」は苫[sjiam]である。日本漢字音は苫(セン・とま)である。同
じ声符をもった漢字に占[tjiam](セン・しめる)、店[tyəm](テン・みせ)、点[tyam](テン・ともす)などがある。口蓋化する前の上古
音は占[tam]*であったものと想定できる。日本語の「とま」は中
国語の上古音に依拠したものであろう。
「とむ」は他動詞で「とどまる」は自動詞である。
「停」「留」については【とどまる(留・停)】の項で述べた。ここでは「止」について考えてみたい。「止」の古代中国語音は止[tjiə]である。日本漢字音は止(シ・とめる・とまる)で
自動詞にも他動詞にも使う。「止」は口蓋化する以前の上古音は止[tə]であったと考えられる。「とまる」の「ま」はどこ
から来たのかと問われれば答えはむずかしい。中国語では停止のように音義ともに近い漢字を二つ並べて成句をつくるので停[dyeng]の連想で「とまる」となったのではなかろうか。
古代中国語の「黨」は黨[tang]である。日本語の「とも」には友[hiuə]、伴[puan]などが使われてにるが、「とも」と義(意味)はあ
うが音が対応しない。日本語の「とも」は黨[tang]が語源であろう。中国語韻尾の[-ng]は古代日本語の音節にはない音であるが、[-m]と調音の方法が同じ鼻音であるので転移したのであ
ろう。「から」は「はらから」「やから」などにみられる「やまとことば」で「族」を意味する。大野晋の『岩波古語辞典』によると「満州語・蒙古語のkala、xala(族)と同系の語。」だという。
古代中国語の「燈」「燭」の古代中国語音は燈[təng]・燭[tiok]である。日本語の「ともす・ともしび」には「燈」
と「燭」が使われている。両方とも義(意味)は近いが、音が近いのは燈[təng]であろう。古代日本語には中国語の韻尾[-ng]にあたる音節がなかったので、調音の方法が同じ鼻
音である[-m]に転移したと考えられる。 日本語の「ともる」には点[tyam]も使われる。「点」の旧字は「點」であり、小さな 黒点が原義であるが点火、点眼など「ちょっとつける」の意味にも使われる。日本語の「ともす」は音のうえでは点[tyam]に最も近い。「点」の上古音は点[tam]であろう。 |
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