第184話  つどふ(集)の語源

 
【つどふ(集)】
「是 (ここ)を以(も)ちて八百萬(やほよろづ)の神天(あめの)安河原(やすのかはら)に神集(かむつど)ひ集≪都度比・つどひ≫て、、、」(記、上)
率 (あども)ひて未通女(をとめ)壮士(をとこ)の行き集(つど)ひかがふ嬥歌(かがひ)に人妻に吾(あ)も交(まじ)はらむ、、、(万1759)
 

 古代中国語の「集」は集[dziəp]である。摩擦音化する前の上古音は集[dəp]に近いおとだったものと想定できる。日本語の「つ どふ」は中国語の上古音を継承している可能性が高い。古代日本語には濁音ではじまる音節がなかったので、濁音の前に清音を添加して、日本語として発音しや すくした。(つど+ふ)の(ふ)は中国語の韻尾[-p]に対応している。

 【つね(常)】
二 つ無き戀をし爲(す)れば常(つね)の帯(おび)を三重(みへ)に結ぶ可(べ)く我が身は成りぬ(万3273)
遠 くあれば光儀(すがた)は見えぬ常(つね)の如(ごと)妹(いも)が咲(ゑま)ひは面影にして(万3137)  

 古代中国語の「常」は常[zjiang]である。日本語の常(つね)は中国語の常[zjiang]と関係のあることばであろう。「常」の口蓋化する 前の上古音は常[dang]に近いおとだったと推定できる。「常」は常磐(と きは)、常(とこ)などにも使わ れている。 

常 磐(ときは)なる石室は今もありけれど住みける人ぞ常(つね)なかりけむ(万308)
吾 妹子(わぎもこ)が見し鞆(とも)の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき
(万446) 

  中国語の韻尾[-ng]は調音の方法が[-n][-m]と同じ鼻音であり、調音の位置が[-k]と同じである。調音の方法や調音の位置が同じ音は 転移しやすい。

 【つば(唾)】
故 (かれ)、其の木の實(み)を咋(く)ひ破り、赤土を含(ふふ)に唾(つば)き出(いだ)せば、、、、(記、上)
亦 (また)唾(つばき)を以(も)て白和幣(しろにきて)とし、、、、(神代紀上)

  古代中国語の「唾」は唾[thuai]である。日本語の「つば」の「つ」は中国語の唾[thuai]であろう。「つば」の「ば」は沫[muat]あるいは罵[mea]であろう。唾沫[thuai-muat]は中国語でも「つば」であり、唾罵[thuai-mea]は唾をかけて罵ることである。

 【つばき(椿)】

巨 勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ思(しの)ばな巨勢(こせ)の春野を(万54)  

 古代中国語の「椿」は椿[thjiuən]である。日本語の「つばき」は「椿+木」であろ う。中国語韻尾の[-n]は日本語では[-m]と弁別されないから「つま+き」の「ま」が第二音 節で獨音になって「つばき」と呼ばれるようになったものと考えられる。

 【つび・つぶ(粒)】
「因 (よ)りて掌(てのひら)を瞻(み)れば舎利(しゃり)二粒(ふたつび)有り。」(霊異記)  
 
 古代中国語の「粒」は粒
[liəp]である。古代日本語ではラ行音が語頭に立つことが なかったから、中国語の[l-]は調音の位置が同じであるタ行[t-]に転移した。同様の例としては、瀧(ロウ・た き)、龍(リュウ・たつ)、立(リツ・たつ)などをあげることができる。

 【つま(妻・嬬)】
鴨 すらも己(おの)が妻(つま)共(ども)求食(あさり)して後(おく)るる間(ほど)に戀ふると云うものを(万3091)
ち はや人宇治(うぢ)の度(わたり)の瀬(せ)を速み逢(あ)へずこそあれ後(のち)も我(わ)が嬬(つま)(万2428)  

 古代日本語の「つま」は夫からは妻、妻からは夫を 呼ぶことばであった、後に妻の意味だけに用いられるようになった。古代中国語の「妻」「嬬」はそれぞれ妻[tsyei]、嬬[njio]である。日本語の「つま」は古代中国語の「妻嬬」 と関係のあることばであろう。嬬[njio]の口蓋化する前の上古音は嬬[ma]*あるいは[na]*に近い音であった蓋然性が高い。これについてはさ らに精緻な検証が必要であるが、古代中国語の女[njia]が日本語で「め」になり、汝[njia]が日本語で「な」に対応していることからも推論で きる。

 【つめ(爪)】
「卽 ち素戔嗚尊(すさのをのみこと)に千座(ちくら)置戸(おきど)の解除(はらへ)を科(おは)せて、手の爪(つめ)を以(も)ては吉爪棄物(よしきらひも の)とし、足の爪(つめ)を以て凶爪棄物(あしきらひもの)とす。乃(すなは)ち、、、、世人(ひと)愼(つつし)みて己(おの)が爪(つめ)を収(を さ)むるは、此(これ)其の縁(ことのもと)なり。」(神代紀上)  

 古代中国語の「爪」は爪[tzheu]である。日本語の「つめ」の「つ」は中国語の 「爪」と関係のあることばであろう。中国語には「爪牙」ということばある。「つ+め」の「め」は牙[ngea]であろう。
[ng-]は鼻音であり[m-]に近い。「牙」と同じ声符をもった「芽」の弥生音は芽(め)である。

 【つらぬ(列・連)】
河 上(かはかみ)の列々(つらつら)椿(つばき)つらつらに見れども飽(あ)かず巨勢(こせ)の春野は(万56)
「百 八十部(ももあまりやそとものを)、羅列(つらな)りて匸巾*(か さな)りて拜(をが)みたてまつる。」(孝徳前紀)
「常 世鳫(かり)率(ひき)ひ連(つら)ねて」(續後記嘉祥2年)  

 古代中国語の「列」「連」は列[liat]、連[lian]である。日本語の「つらぬ」は中国語の「列」ある いは「連」と関係のあることばであろう。古代中国語では[l-]は語頭にたたなかったので、ラ行と調音の位置が同 じであるタ行音をまず語頭に立てて(つ+らぬ)としたことによって日本語の音韻体系に受け入れられたものと考えられる。

 【つるぎ(劒)】
劒 (つるぎ)太刀(たち)身に取り副(そ)ふと夢(いめ)に見つ何の性(さが)ぞも君に逢(あ)はむため(万604)
高 麗(こま)劒(つるぎ)己(な)が心から外(よそ)のみに見つつや君を戀ひ渡りなむ
(万2983)
 

 古代中国語の「劒」は劒[kiam] である。日本漢字音は劒(ケン・つるぎ)である。 日本語の「つるぎ」が中国語の「劒」と関係があるか、ないかの判断はむずかしい。音があまりにも違い過ぎる。
 ただ、こういうことは言える。「劒」と同じ声 符をもった「斂」は収斂(シュウレン)と読む。「劒」の上古音は
[liam] あるいは[hliam]であった可能性がある。「剣」が[liam]*だったとすれば、日本語の「つるぎ」は中国語の「刀剣」と関係のあることばである可能性がある。「刀」の古代中国語音は刀[tô]である。韻尾の 「ぎ」は[-m]が鼻濁音の「キ゜=ng」に転移したものである。

 漢字には同じ声符をラ行とカ行に読みわけるものが いくつかみられる。例:果(カ)・裸(ラ)、
各(カク)・洛(ラク)、監(カン)・藍(ラ ン)、京(キョウ)・涼(リョウ)などである。スウェーデンの言語学者カールグレンは上古中国語の
[l-]は入りわたり音があって[kl-]のような音であったのではないかと指摘している。

 【つり(釣)】
朝 びらき漕ぎ出(い)でてわれは由良(ゆら)の﨑釣(つり)する海人(あま)を見て歸り來む
(万 1671)
縄 (なは)の浦ゆ背向(そがひ)に見ゆる奥(おき)つ嶋漕ぎ廻(み)る舟は釣(つり)するらしも(万357)  

 古代中国語の「釣」は釣[tyô]である。日本漢字音は釣(チョウ・つり)である。 古代中国語の母音[ô][-ong]あるいは[-ok]に近く、日本漢字音の釣(チョウ)も[tyong]を連想させる。中国の音韻学者王力は『同源字典』 のなかで少[sjiô]と叔[sjiuk]、逍[siô]と相[siang]は同源だとしている。日本語の「つり」は中国語の 「釣」と同源であろう。第二音節の「り」は上古中国語の韻尾の痕跡を留めているものであろう。

 【て(手)】
わ が背子(せこ)は玉にもがもな手(て)に纏(ま)きて見つつゆかむを置きていかば惜(を)し
(万 3990)
去 來(いざ)兒等(こども)倭(やまと)へ早く白菅(しらすげ)の眞野(まの)の榛原(はりはら)手折(たを)りて歸(ゆ)かむ(万280)  

 古代中国語の「手」は手[sjiu]である。日本漢字音は手(シュ・て)である。現代 北京語では手(shou)、広東語では手(sau)、上海語では手(sou)、朝鮮漢字音では手(su)、ベトナム漢字音では手(thu)である。ベトナム漢字音の手(thu)が摩擦音化する前の上古音の痕跡を留めているとす れば、中国語の上古音は手[tu]となり、日本語の手(て)も中国語と同源であると いうことになる。「手」を構成要素の一部とする漢字には「拿捕」の拿(ダ・ナ)、拏(ダ・ナ)がある。「手」は手力(たぢから)、手枕(たまくら)などで は手(た)となってあらわれる。

 【てら(寺)】
相 念(あひおも)はぬ人を思ふは大寺(おほでら)の餓鬼(がき)の後(しりへ)に額(ぬか)衝(つ)く如し(万608)
寺 々(てらでら)の女餓鬼(めがき)申(まを)さく大神(おほみわ)の男餓鬼(をがき)賜(たば)りてその子生まむは(万3840)  

 古代中国語の「寺」は寺[ziə]である。日本漢字音は寺(ジ・てら)である。 「寺」を声符とした漢字には特[dək]などがあり、摩擦音化される前の上古音は寺[dək]のような入声音の韻尾をもっていたものと考えら る。中国語の「寺」は[dək][diək][ziəg][ziə]という変化をしてきているものと考えられる。まず 寺[dək][-i-]介音の発達により[diək]となり、その結果頭音が摩擦音化して[ziəg]となり、最後に韻尾の[-k]が脱落して寺[ziə]と なった。
 だとすれば、日本語の寺(てら)は上古中国語音の痕跡を留めていると考えられる。寺(てら)は仏教伝来とともに日本にもたらされたものであろう。 日本に仏教伝来以前から「やまとことば」に「てら」ということばがあり、それが中国語の「寺」と同じ意味だったから漢字の「寺」をあてたとは考えにくい。

 【てる(照)】
う らうらに照(て)れる春日(はるひ)に雲雀(ひばり)あがり情(こころ)悲しもひとり思へば
(万4292)

味 酒(うまざけ)三輪(みわ)の社(やしろ)の山照らす秋の黄葉(もみぢ)の散らまく惜(を)しも(万1517)  

 古代中国語の「照」は照[tjiô]である。日本漢字音は照(ショウ・てる)である。 中国語音韻史のなかで知照系は[t-]が介音[-i-]の発達によって口蓋化し、あるいは摩擦音化したも のであることが知られている。「照」の上古音は照[tô]であり、日本語の照(てる)は上古中国語音の痕跡 を留めている。中国語韻尾の[ô]の音価については【つり(釣)】の項ですでに述べ た
参照:【つり(釣)】

 

☆もくじ

★第161話 古代日本語語源字典索引

つぎ 第185話 とき(時)の語源