第85話 外国人に日本語を教えてみると

人間は誰でもことばを話せる。学校で英語の成績の悪い生徒でも、成績の良い生徒でも同じように日本語でコミュニケーションできる。生れたばかりの赤ん坊は歯 が生えていないが、やがて誰でも歯が生えてくる。それと同じように日本人なら誰でも母国語である日本語だけはしゃべれるようになる。学校で日本語の文法を 習うとむずかしいが、赤ちゃんは日本語の文法を間違えることはない。日本人の子供は文法だけでなく、小学校に入るまでに既に約六千の語彙を覚えている。日 本人は小学校に入るまでに、「見えない文法」を脳に蓄積している。

それに対して外国語として日本語を習う人は大変である。毎日なにげなく使っている日本語を外国人に教えてみると、普段は気がつかない日本語の特徴に気がつくことがある。例えば日本語では動物や人間のよう に生きているものと、無生物では動詞の使い方が違う。

「います」と「あります」
  英語では「池があります」も「蛙がいます」も同じ動詞をつか
う。

 There is a pond.
   There is a frog.

 ところが日本語では「池があります」、「蛙があります」では間違いである。

 ○ 池があります。
 × 蛙があります。

 日本人なら誰でも小学校へ入るころまでにはこんな間違いはしない。しかし、英語を母国語とする 人はまず、この違いを覚えなければならない。ところが、それで終わりではない。

  This is a book.
    This is a dog.

 この場合はどうだろうか。この場合は「これは本です」「これは犬です」でよい。

 ○ これは本です。
 ○ これは犬です。

 誰でも知っている日本語でも外国人に「なぜ」と聞かれると答えに窮することが多い。

 助詞の使い方。「に」と「で」

  「教室机があります」There is a desk in the classroom.
   「教室勉強します」We study in the classroom. We study at school.

 英語ではinであらわすところが「に」になったり、「で」になったりする。日本語を習い始めたば かりの外国人は「教室で机があります。」「教室に勉強します。」というかもしれない。そこで「に」は存在をあら わし、「で」は動作をあらわす、などと説明することになる。

助詞の使い方。「は」と「が」
  日本語の助詞「は」と「が」の使い方も外国人にとってはむずかしい。

  いつ誕生日ですか。(疑問詞が前)
  誕生日いつですか。(疑問詞が後)

  頭大きい(描写)、
  頭大きく見える(説明・判断)、

  A好きだが、B嫌いだ(対比)

助詞の誤用。
  外国人の日本語には助詞の誤用も多い。

 ×バス乗って、
  ×朝起きて、

 これは英語でいえばby bus, got up in the morningであろうが、英語を直訳しただけでは日本語にならない。英語の表現と日本語の表現は1対1で対応しているわけではない。

形容詞の使い方
  ここに二つの文章がある。

  「この部屋は静かです」
  「この部屋は広いです」

 これは英語ではつぎのようになる。

  This room is quiet.
    This room is wide.

 さてこれを過去形にしてみたらどうなるだろうか。

  「この部屋は静かでした。」
  「この部屋は広かったです。」

 この場合、「この部屋は広いでした。」でしたでは日本語として×である。

   ○この部屋は静かでした。
  ×この部屋は広いでした。

 さらにこれを否定形にするとどうだろうか。

  「この部屋は静かでは(じゃ)ありません。」
  「この部屋は広くありません(広くないです)。」

  この場合も「この部屋は広いありません。」では日本語にならない。外国人に日本語を教えるとき は「静か」はナ形容詞、「広い」はイ形容詞として区別して 教える。日本語の文法では「静か」は形 容動詞であり、「広い」は形容詞とされている。しかし、英語には形容詞と形容動詞の区別がないか ら、「苦い」の 否定形は「苦いじゃない」、過去形は「苦いでした」となってしまうことが多い。

 「、、、ている」
  英語の文章では一つの文章に動詞はひとつしかない。しかし、日本語では「行ってくる」とか    「座っている」とか、「て」でつなげば動詞をふたつ重ねることができる。しかし、この「て」の  つなげかたがまたやっかいである。同じ「き る」でも「切る」と「着る」では活用のしかたが違  う。「切る」は「切っている」となり、「着る」は「着ている」となる。また、「ねる」の場合  も、 「練る」は「練っている」、「寝る」は「寝ている」となる。なぜだろうか。

  ここにもいくつかの複雑なルールがあるようである。佐々木瑞枝の『日本語を「外」から見る』   (小学館新書)によるとルールは七つもある。 

  ルール①「う、つ、る」で終わる動詞は「って」になる。
      例:買って、打って、取って、
  ルール②「む、ぶ、ぬ」で終わる動詞は「んで」になる。
      例:噛んで、結んで、死んで、
  ルール③「す」で終わる動詞は「して」になる。
      例:隠して、直して、
  ルール④「く」で終わる動詞は「いて」になる。
      例:聞いて、書いて、
  ルール⑤「ぐ」で終わる動詞は「いで」になる。
      例:急いで、漕いで、
  ルール⑥一段活用の動詞は「る」を取って「て」をつける。
      例:似て、着て、寝て、
  ルール⑦変格活用の動詞は「来る」「する」で個別に覚える。
      例:来る→来て、する→して、

 「ている」は進行形ばかりでなく、いろいろな場合に用いられる。

1.動作の進行中。
    例:勉強している、寝ている、
  2.動作の結果の状態が今。
    例:目の前にある、ふたが開いている、閉じている、
  3.元からの状態を示す。
    例:似ている、
  4.過去の経験。
    例:前にも来ている、
  5.繰り返しの動作。
    例:毎日通っている、

 外国人の日本語には時制の誤用も多い。

   ×家を出た前に、

 日本語では「家を出る前に」となる。しかし、「なぜ」と聞かれると「はてよ」ということになる。論理的には「家を出た前に」も正しいような気がしてくる。英語ではbefore I left homeとなる のかもしれない。しかし、それは日本語の論理ではない。

 日本語の時制と英語の時制とは同じではない。

 ○Aは中学生のときにBと出会った。
 ○Aは中学生のときにBに出会う。

 ×A meets B when he was in the high school.
 ○A met B for the first time when he was in the high school.
 ○A came to know B when he was a high school boy.

 日本語では「出会った」という過去の事実が現在も事実であるときは現在形を使うこともある。

敬語はむずかしい。
 日本語の敬語の使い方はむずかしいといわれている。朝鮮語などのように敬語が発達している言語 を母国語とする学生はともかくも、英語などヨーロッパの 言語を母国語とする学生にとっては特に 難題である。

  「いる・いらっしゃる」、「いう・おっしゃる」、「する・なさる」、「たべる・めしあがる」、
  「やる、あげる、差し上げる」、「くれる、くださる」、「もらう、いただく」

 これらは個別に覚えるよりしかたがない。

 ×「先生は私に傘をかしました」
  ×「彼は車で私を駅まで送りました」

 日本語ではだめな表現も英語では正しい。

 ○My teacher rent me an umbrella.
 ○He took me to the station by car.

   ていねい語もむずかしい。
   ていねい語の「お」や「ご」の使い方にはある程度の規則性がある。和語には「お」、漢語には   「ご」をつける。

  「お」、お話なさる、お読みください(和語)
  「ご」、ご覧になる、ご卒業なさる、ご入場ください(漢語)

 しかし、「お礼」「お札」の場合はどう説明したらいいのだろうか。「お」や「ご」をつける語と つけない語の区別もむずかしい。

      ご 飯、お味噌汁、お豆腐、お酒、お醤油、
  × お人参、お納豆、おパン、おバター、

  学生:「先生、朝は『おはようございます』とていねいにいうのに、なぜ昼になると『おこんにち     は』とか『こんにちはございます』といわないのですか。」
  先生:「それはですね、、、、、」
  学生:「先生、お医者さまには『お医者さま』とか『お医者さん』というのに、なぜ先生には『先     生さま』とか『先生さん』といわないのですか。」
  先生:「それはですね、、、、、」

  敬語や謙譲語が発達している朝鮮語などを母語とする学生にとっても日本語の敬語はむずかしいよ うである。儒教の影響の強い韓国では父母や先生、医者などにたいしては日本語よりていねいな敬語 を使っているからである。

  日本語の数詞
  日本語には和語と漢語があり、使い分けられている。数詞にも漢語と和語が使われている。 一(イチ・ひとつ)、二(ニ・ふたつ)、三(サン・みっつ) などである。しかし、どの場合に和語 を使い、どこで漢語を使うかは慣用によることが多く、なかなか外国人には説明しにくい。

  例:四時(よじ)、四分(よんぷん)、四月(しがつ)、四日(よっか)、

 これらは慣用として個別に覚えてもらうよりほかに方法はない。

  日本語の論理と英語の論理
 日本語は日本語の論理で世界を切り取り、英語は英語の論理で世界を切り取っている。日本では信 号は「青」だが、英語では
greenである。日本語の「緑」は牧場の「緑」である。英語のcoldhot も日本語には直訳できない。

  The water is cold.<冷たい>
    The weather is cold.<寒い>

  The weather is hot.<暑い>
   The pepper is hot.<辛い>

 英語のcoldhotがカバーしている意味の範囲と日本語の「冷たい」、「寒い」、「暑い」などがカ バーしている範囲とは重なっている部分もあるが、同じではない。

 英語では水はwater、お湯はhot waterであり、水もお湯もwaterの下位分類になる。冷たい水という ときにはcold waterとなるが、日本語では水とお湯は別の分類である。

 兄弟・姉妹も英語ではそれぞれbrotherでありsisterだが、日本語では自分より年上か年下かによって 兄・弟、姉・妹と別の単語が用意されている。英語では兄はelder brother或いはbig brother、弟は   younger brotherでありbrotherの下位分類だが、日本語では兄弟、姉妹のほうが複合語である。

 家畜の名称も英語では雄雌の区別がある。日本語の牛にあたることばは英語ではox(労役用・食用 の去勢した雄牛)、cow(雌牛)、bull(去勢してない雄牛)となる。豚もpig(子豚)、swine(集 合的に「豚」)、hog(豚pig,sow,boar,swine)、sow(成熟した雌豚)、boar(去勢してない雄  豚)となる。鶏もchicken(生後1年以内の鶏)、hen(めんどり)、cock(おんどり)である。

 日本語の肉(にく)は中国語からの借用語である。古語では「しし」である。英語では肉も牛肉は  beef、豚肉はporkである。英語のbeefはフランス語のbeufからの借用語であり、porkもフランス語 のporcからの借用語であり、食用になると借用語になる。英語では牧場にいる羊はsheepであり、 羊の肉はmuttonといわれるが、フランス語ではいずれもmoutonと言われる。Beefporkmuttonも 1066年のノルマン征服によって英語にもたらされたことばであるという。

 鳥のトンビは英語ではkiteである。Kiteは また「凧」でもある。英語では鳥のトンビと「凧」に同じ単語を用いる。鳥の名前が先にあり、「凧」はトンビになぞらえて名づけたものらしい。たしかにトン ビが空を滑空している姿は凧」ににている。ことばは類推で広がっていく。それぞれの言語には数千年にわたることばの歴史がこめられている。だから、ことば は論理だけでは理解できない。

もくじ

☆第78話 キリシタン宣教師の日本語研究

★第79話 ジョン万次郎の英会話

☆第86話 日本語の系統論

★第106話 日本語と近いことば・遠いことば