[原
文] 淡
海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所レ念(万266)柿本人麻呂 [日本語読み下し文]
万葉集は中国語や朝鮮語にも翻訳されている。朝
鮮語訳は金思燁の『韓譯萬葉集』(成甲書房)があり、中国語訳は完訳ではないが銭稲孫の『万葉集精選』(中国友誼出版公司)がある。 [中
国語訳] 淡海之湄、夕波千鳥、汝也嘒嘒、使我心槁、為思古
老。 [朝
鮮語訳](原文はハングル表記) oomi(淡海)
hosu(湖
水) ui jeo nyeok<夕> mul gyeol<波> eul
○海(うみ) 古代中国語の「海」は海[xuə] である。現代中国語音は海(hai) であり、日本漢字音は海(カイ)である。「海」の
声符は毎[muə] であり、日本語の「うみ」は「海」の声符毎[muə] を継承したものことばである。 日本語の海(うみ)は海(mae)に母音「う」が添加されたものである。中国語のmの前に日本語で「う」が添加された例としては、梅[muə](うめ)、馬[mea](うま)などをあげることができる。 ●海(うみ) 「淡海の海」はho su<湖水>と漢語に訳されているが、朝鮮語の「うみ
(海)」はpa daである。万葉集の枕詞などにみられる「わたつみ
の」は「わた」(朝鮮語の海pada)に「み」(日本語の海(うみ))を重ねたもの
で、新羅の郷歌(ヒヤンガ)などでしばしば用いられる両点といわれるものである。「つ」は「沖つ波」「庭つ鳥」の「つ」であり「の」の意味である。「わた
(朝鮮語の海)のうみ(日本語の海)の」という修辞的な表現である。朝鮮語のあとに日本語を併記したバイリンガル表記ともいえる。 ○浪(なみ) 「浪」の古代中国語音は浪[lang] である。日本語や朝鮮語などアルタイ系言語では語
頭に[l-] がくることはないという原則があるから、語頭の[l-] は[n-] に転移する。朝鮮語では今でも盧泰愚(ノ・テ
ウ)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)のように中国語のlはnに転移する。現代朝鮮語では「浪」は浪(nang) である。日本語の「なみ」の語源は中国語の「浪」
と同源でである。浪(なみ)と発音するのは、朝鮮語読みの影響があるものと思われる。 ●浪(なみ) 「なみ(波)」の朝鮮語はmul gyeolである。mulは「みず(水)」は日本語の「水(みず)」と同源
である。 ○鳥(とり) 「鳥」の古代中国語音は鳥[tyô] である。日本語の鳥(とり)は古代中国語の鳥[tyô]と関係があることばであろう。 ●千鳥(ちどり) 「ちどり(千鳥)」は朝鮮語で
はmul the
saeと
訳されている。mul
the saeはmul <水>the<群れ> sae<鳥>である。朝鮮語の「鳥(とり)」はsaeである。saeは中国語の隹[tjuəi]と同源であり、意味は「鳥」の別名である。日本語
のカラス、ウグイス、ホトトギスなどのスは朝鮮語のsaeと同源である。 ○汝(な) 日本語の古語にある汝「な」の語源は
古代中国語の汝[njia]
で
ある。中国語の「汝」は日本語では汝(な)になり、朝鮮語では汝(ne) になった。日本語の「われ」、「あ」の語源は古代
中国語の我[ngai]
あ
るいは吾[nga]
の
語頭音[ng-] が脱落したものである。 ●汝(な) 朝鮮語の「な(汝)」はneであり、日本語の「汝(な)」と同源である。朝鮮
語のneは中国語の汝[njia] と同源である。 ○鳴(なく) 日本漢字音の鳴(メイ)であり、古
代中国語音は鳴[mieng]
で
ある。日本語の「なく」は、中国語の「鳴」と同系のことばであろう。 日本語では中国語の[m-] が[n-] であらわれる場合がしばしばある。中国語の苗[miô] は日本語では苗「なへ」、名[mieng] は名(な)であり、無[miua] は無(ない)となる。[m-]
と[n-] はいずれも鼻音であり転移しやすい。鳴[mieng] の韻尾[-ng] は[-k] と調音の位置が同じであり、唐代の中国語音は鳴[mieng]だが、上古音は鳴[mieg*]に近い入声音であったと中国語音韻史では考えられ
ている。 ●古(いにしへ) 朝鮮語訳はyeot il<昔日>である。朝鮮語のilは「日」の朝鮮漢字音であり、「日本」はil bonである。ilは中国語の日[njiet]
の
頭音[nj-] が脱落し、韻尾の[-t] が(-l)に転移したものである。朝鮮漢字音では中国語の日
母[nj-] は規則的に脱落し、韻尾の[-t]は規則的に(-l)に転移する。 ○念(おもふ) 万葉集では「おもふ」に念[niəm]、思[siə](万1434)、憶[iək](万196)などが使われている。日本語の「おも
ふ」は中国語の念[niəm] の頭音が脱落したものである可能性がある。
柿本人麻呂の歌(万266)の歌に使われている
ことばも中国語や朝鮮語と同源のものが数多く含まれている。
<ささなみの思賀(しが)の辛崎(からさき)雖二
幸有一(さきくあれど)大宮人(おほみやびと)の船(ふね)麻知(まち・待)兼(かね)つ>
語頭の[l-]がナ行であらわれる例:練[lian] ねる、流[liu] ながれ、列[liat]
な
らぶ、 韻尾の[-ng]がマ行であらわれる例:灯[təng] ともる、停[dyeng] とまる、醒[syeng]
さ
め ○辛(からい) 「辛」の古代中国語音は辛[sien] だとされている。現代北京音は辛(xin)である。現代の北京音は摩擦音で日本語の「シン」
に近いが、古代音の[xin]
は
喉音でありカ行音に近い。日本語の辛(からい)は中国語の上古音、辛[xien*] に依拠したものであろう。韻尾の[-n]は調音の位置がラ行音と同じであり、転移しやす
い。 喉音[x-]がカ行であらわれる例:昏[xuən] くれ、黒[xək] くろ、薫[xiuən] かおる、 韻尾の[-n]がラ行であらわれる例:塵[dien] ちり、雁[ngean] かり、昏[xuən] くれ、 ○崎(さき) 日本漢字音で「キ」であらわれる漢
字の訓はサ行である場合が多い。カ行音は[-i-]
介
音の発達によって摩擦音に変化したものと思われる。日本語の崎(さき)は摩擦音化した崎[xiai] と、音便化以前の崎[kiai] の痕跡をサ行音とカ行音を重ねることによって留め
ているものと思われる。 例: 崎[kiai](キ・さき)、埼[kiai](キ・さき)、碕[kiai](キ・さき)、其[giə](キ・それ)、 漢字は表音性に乏しいから、音韻史をたどること
が困難な場合があるが、ヨーロッパの言語にはcentum
languageとsatem
languageと
いう二つの系統の言語があって、同じ語源のことばをカ行(centum)で発音するものとサ行(satem)で発音するものがある。 また、英語のscheduleはアメリカ英語では「スケジュール」といい、イギ
リス英語では「シェジュール」と発音する。英語では学校をschoolといい、ドイツ語ではSchuleと書いて「シューレ」と読むなど、カ行とサ行は関
係が深い。 ○幸(さき) 「幸」の古代中国語音は幸[hieng] である。中国語の喉音[h-] は日本語にはない音で、調音の位置がカ行に近いこ
とから日本漢字音ではカ行であらわれることが多い。 しかし、中国語の喉音[h-] は破裂音であったものが、摩擦音に変化っするとい
う歴史をたどっているため、同じ声符をもった漢字がカ行とサ行に読み分けられる場合がある。日本語の幸(さき)は幸[hieng] と摩擦音化した幸[xieng]
の
痕跡を留めているものと思われる。 例:逆[ngyak](ギャク)・朔[sak](サク)、嗅[thjiuk](キュウ・かぐ)・臭[thjiuk](シュ ○宮(みや) 「宮」の古代中国語音は宮[kiuəm] だとされている。宮[kiuəm] の上古音は宮[hmiuəm*] であり、入りわたり音[h-]の発達したものが宮(キュウ)であり、[h-] が脱落したものが宮(みや)になった可能性があ
る。同じような例としては海[xə]・毎[muə]、忽[xuət]・物[miuət] などをあげることができる。 入りわたり音[h-]の例:見[hmyan*](ケン・みる)、観hmuan*](カン・みる)、丸[human*] 日本語の「みや」は廟[miô] とも音義ともに近い。 ○船(ふね) 中国語の「船」の原義は盤[buan] だという。日本語の船(ふね)は盤[buan] と同系である。古代日本語では濁音ではじまること
ばはなかったので、語頭の[b-]
は
清音になった。また、古代日本語には[-n]で終わる音節はなかったので、韻尾に母音を添加し
て「ふ+ね」となった。現代の日本語でも[-n]ではじまる音節はない。 ●船(ふね) 「船」にあたる朝鮮語は船(pae)である。長崎の船漕ぎ競争「ペーロン」の「ペ」は
朝鮮語の船(pae)である。 ○兼(かねる) 「兼」の古代中国語音は兼[kiem] である。日本漢字音は兼(ケン・かねる)である。
古代中国語は韻尾の[-n]と[-m]を弁別するが、日本漢字音では[-n] も[-m] も「ン」であらわれる。古代日本語には「ン」で終
わる音節もなかったので、母音を添加して兼(かねる)となった。 ○津(つ) 「津」の古代中国語音は津[tsien] である。日本語の津(つ)は中国語の津[tsien] の韻尾[-n] が脱落したものである。 韻尾の[-n] が脱落した例:田[dyen] た、千[tsyen] ち、眼[ngean]
め、
邊[pyen] へ、
この歌(万30)にも中国語との同源語が使われ
ている。 〇中国語との同源語:浪(なみ)、辛(からい)、
崎(さき)、幸(さち)、宮(みや)、船(ふね)、兼(かねる)、津(つ)、
<ささなみの志我(しが)の大和太(おほわだ)よ
どむとも昔(むかしの)人(ひと)に亦(また)も相(あは)めやも>
○難弥(浪) 「浪」の中国語音は浪[lang] であり、日本語の「なみ」は中国語の頭音[l-] がナ行に転移し、韻尾の[-ng]
が
マ行に転移したものである。 ●和太(わだ) 朝鮮語の「うみ(海)」はpa daである。この場合は湖(琵琶湖)に使われている。 ○與杼六(澱む) 中国語の「澱」は澱[dyən] である。古代日本語では濁音が語頭に立つことはな
かったので語頭に半母音「よ」を添加したものである。「杼」の古代中国語音は杼[zia]とされており、日本漢字音は普通、杼(ジョ)と読
まれているが、記紀万葉では杼(ド)に用いられていることが多い。「杼」の上古音は杼[dia*] であり、それが摩擦音化して杼[zia] になったものと思われる。 ○相(合) 万葉集では「あふ」に漢字「相」をあ
てていることが多いが、合[həp](ゴウ・あふ)が音義ともに日本語の「あふ」に近
い。 嗚
呼見乃浦尓 船乗為良武 [女
感]*嬬
等之 珠裳乃須十二 四寶三都良武香(万40) <嗚呼見(あみ)の浦(うら)に船乗(ふなのり)
為(す)らむ[女感]*嬬(をとめ)等(ら)が珠裳(たまも)の裾(す
そ)に四寶(しほ・潮)三都(みつ・満)らむか> *[女感]*は「女」偏に「感」の一文字であるが、パソコンの
都合上[女感]*と表記した。
○船(ふね) 盤[buan] の原義は「船」だという。、日本語の「ふね」は盤[buan] と同源である。 ●船(ふね) 朝鮮語の「船」はpaeである。日本語の「ふね」の「ふ」は朝鮮語のpaeと関係がある可能性がある。長崎の船漕ぎ競争
「ペーロン」は朝鮮語のpaeと同源である。 ○乗(のる) 「乗」の古代中国語音は乗[djiəng] である。古代日本語には濁音ではじることばなかっ
たおで[d-] は[n-](ナ行)に転移した可能性がある。[d] と[n] は調音の位置が同じであり転移しやすい。 ○[女感]*嬬(をとめ) 万葉集では「をとめ」に[女感]*という文字がしばしば使われている。女偏に感で一
字であるが、パソコンにない文字なので便宜上[女感]*と表記した。「嬬」は嬬[njio] であり、女[njia]
の
類語である。 中国語の日母[nj-] の上古音は[m-*] であったと考えられる。上古音の[m-] は口蓋化して唐代には[nj-] となった。嬬[njio] あるいは女[njia]
を
「め」と読むのは上古音の痕跡である。 ○等(ら) 「等」の古代中国語音は等[təng] である。[t-] と[l-] は調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、日本語の
等(ら)は中国語の等[təng] が転移したものである可能性がある。古代日本語で
はラ行音は語頭にくることがなかったが、語中・語尾では中国語の[t] がラ行であらわれることがあった。等(ら)は接尾
辞である。 ●裳(も) 朝鮮語では裳(もすそ)のことをchi maという。日本語の裳(も)は朝鮮語のchi maから派生したものであろう。 ○潮(しほ) 「潮」の古代中国語音は潮[diô] である。日本語の「しほ」は音義ともに潮[diô] に近い。日本語では「しほ」は「潮」にも「塩」に
も使われる。塩(しほ)は潮の援用であろう。 ●潮(しほ) 朝鮮語では潮は潮cho su<潮水>であり、塩は塩so geumである。 ○満(みつ) 「満」の古代中国語音は満[muan] である。韻尾の[-n]は調音の位置が[-t]と同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。古代中
国語の韻尾[-n] の多くは上古音が[-t]であったと考えられている。 例:肩[kyan] かた、腕[uan]う
で、
管[kuan] くだ、本[puən] もと、盾[djiuən] たて、
<潮(しほ)左為(さゐ・騒)に五十等兒(いら
ご)の嶋邊(しまべ)榜(こぐ)船(ふね)に妹(いも)乗(のる)らむか荒(あらき)嶋廻(しまみ)を>
●潮騒(しほさゐ) 金思燁の『韓訳萬葉集』では
「潮騒」をpa da<海>pha
do<波
濤>と訳している。 ○嶋(しま) 日本語の「しま(島・嶋)」は中国
語の洲[tjiu] と関係のあることばではないかと言われている。 ●嶋(しま) 日本語の「しま(嶋)」は朝鮮語の
嶋(seom)と同源である。 ○邊(べ) 嶋邊(しまべ)の邊(べ)は中国語の
邊[pyen] の韻尾[-n] が脱落したものである。日本語は開音節(母音で終
わる音節)であり、[-n]
で
終わる音節は古代日本語にはなかった。 ○船(ふね) 中国語の「船」の原義は「盤」であ
るという。盤[buan]
は
日本語の「ふね」と同源である。 ●船(ふね) 朝鮮語の「ふね」はpaeである。paeは中国語の盤[buan] の頭音が清音になり、韻尾の[-n] が脱落したものである可能性がある。長崎の船漕ぎ
競争「ぺーろん」の「ぺー」は朝鮮語のpaeと同源である。 ○妹(いも) 「妹」の古代中国語音は妹[muəi] である。古代日本語では中国語の[m-] が語頭にくる場合、母音を添加することが多い。 例:網[miuang] あみ、寐[muət] いぬ、未[miuət] いまだ、夢[miuəng] いめ(ゆめ)、 ○廻(み) 「廻」の古代中国語音は廻[huəi]である。「廻」の上古音は廻[hmuəi*] と再構できる。入りわたり音[h-]が発達したものが廻(カイ)であり、[h-]が脱落したものが廻(み)あるいは廻(まはる)で
あろう。
<鴨山(かもやま)の磐根(いはね)し巻(まけ
る・枕)吾(われ)をかも不レ知(しらに)と妹(いも)が待(まち)つつ将レ有(あるらむ)>
○山(やま) 「山」の古代中国語音は山[shean] である。山[shean] は口蓋化音であり、日本語では口蓋化の影響で脱落
して山(やま)になった。 ●山(やま) 朝鮮語の「やま(山)」はmoiである。朝鮮語のmoiは日本語の「もり(森)」と同源だという。 ○吾(われ) 日本語の「われ(吾)」は中国語の
吾[nga] の頭音が転移したものである。日本語のワ行は合音
(唇をまるめた音)であり、鼻音の[m-]
あ
るいは[ng-] と音価が近い。 万葉集では吾[nga] は頭音が脱落して、吾(あ)であらわれることもあ
る。 ●吾(われ) 朝鮮語の「われ(吾)」はnaである。朝鮮語のnaは中国語の吾[nga] の転移したものである。朝鮮語では疑母[ng-] が語頭にくることがないので、同じ鼻音である(n-)に転移した。「吾」の朝鮮漢字音は吾(o)である。吾(o)は吾[nga] の頭音が脱落したものである。古代日本語と朝鮮語
は音韻構造が似ている。 ○知(しる) 古代中国語の「知」は知[tie] である。日本語の「しる」は中国語の知[tie] が介音[-i-]の影響で摩擦音化したものである。 ○妹(いも) 古代中国語の「妹」は妹[muəi] に母音「い」が添加されたものである。 ●妹(いも) 金思燁の『韓訳萬葉集』ではこの歌
の「いも(妹)」はma
nu ra<妻>
と訳されている。古代日本語の「いも」は妹(いもうと)ばかりでなく、男から妻や恋人・姉妹など親しい女性を呼ぶことばとして使われる。万葉集の歌のなか
でも「妹(いも)」をimと訳した例(万2697)もある。朝鮮語のimは「恋慕う人」である。
<皇(おほきみ)は神(かみ)にし座(ませ)ば天
雲(あまぐも)の雷(いかづち)の上(うへ)に廬(いほり)為(せ)るかも>
○神(かみ) 神(かみ)の古代中国語音は神[djien] である。神と同じ声符の漢字に乾坤の坤[khuan] があり、神も神[khuan*]
に
近い音価をもっていたものと考えられる。日本語の「かみ」は中国語の神の上古音に依拠したものであろう。 日本漢字音でサ行であらわれるものが訓ではカ行
であらわれる例は多い。カ行音のほうが古く、サ行音は介音[-i-]などの発達によって摩擦音化したものである。 音がカ行、訓がサ行であらわれる例:浄[dzieng](ジョウ・きよい)、清[tsieng](セイ・き 同じ声符の漢字がカ行とサ行に読み分けられる例:
石[zjyak](セキ・コク)、枝[tjie](シ)・ 漢字は表音性が乏しいから音を復元するのはむず
かしい。英語であれば、たとえばknife、knight、know、knock、knitという綴りが残っていれば、現代英語ではkは発音しないが、kを発音した時代があったことがわかる。 漢字の場合、同じ声符を技(ギ)と枝(シ)に読
み分けるという事実をもとにして、過去の漢字音の音価を推定することになる。 ●神(かみ)金思燁はこの歌の「かみ(神)」をkeom nimと訳している。nimは「神さま」の「さま」にあたることばである。朝
鮮語のkeomも日本語の「かみ」と同源であろう。 ○天(あめ・あま) 古代中国語の「天」は天[thyen] である。日本語の「あめ」は中国語の頭音[th-]が介音[-y-]
の
発達によって脱落したものである。 ○雲(くも) 古代中国語の「雲」は雲[hiuən] である。日本漢字音の雲(ウン)は中国語の頭音[h-]が介音[-iu-] の影響で脱落したものであり、訓の雲(くも)は頭
音[h-] がカ行であらわれたものである。喉音[h-]は日本語にはない音であり、調音の位置がカ行に近
いことから、日本語ではカ行であらわれることが多い。 ●雲(くも) 朝鮮語の「くも(雲)」は音がunであり、訓(古来からの朝鮮語)がku reumである。unは中国語の雲[hiuən] の頭音[h-] が脱落したものであり、ku
reumは
雲[hiuən] の頭音[h-] が(k-)であらわれ、韻尾の[-n]
が(-m)に転移したものである。 日本語も朝鮮語も音訓とも中国語と同源である。
<珠藻(たまも)苅(かる)敏馬(みぬめ)を過
(すぎて)夏草(なつくさ)の野嶋(のじま)の埼(さき)に舟(ふね)近(ちか)著(づき)ぬ>
「釧」の古代中国語音は釧[thjyuən] であり、日本漢字音は釧(セン)である。しかし、
同じ声符をもった漢字に訓[xiuən] があり、「釧」の上古音は釧[xiuən*] に近い音であった可能性がある。日本語の釧(くし
ろ)、朝鮮語のku
seulは
中国語の釧[xiuən*] と同系のことばであろう。 北海道の地名「釧路」は漢字の「釧」が単独では
「くしろ」と読めなくなったため、「路」を付け加えたものである。「甲斐」の「斐」、「揖保乃糸」の「保」なども甲[keap]・ 揖[iəp] の韻尾が本来[-p] であることを示す表記法であろう。 新蘿の郷歌などにも漢字の韻尾を示すために末音
添記という方法が用いられたことが知られている。 例え「夜音」と書いてpamと読み、「風未」と書いてpa ramと読む。「夜」は音の「夜(ya)」ではなく音(eum)を添加することによって「夜(pam)」と読むことができる。また、「風」は「風(phung)」ではなく、未(mi)を添加することによって風(pa ram)と訓で読むべきことがわかる。 ○苅(かる) 「苅」の古代中国語音は苅[ngiat] である。日本語の「かる(苅・刈)」は中国語の苅[ngiat] の転移したものであろう。語頭の[ng-] は調音の位置が[k-] と同じ(後口蓋)であり、韻尾の[-t] は[-l] と調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しや
すい。 ○馬(うま) 古代中国語の「馬」は馬[mea] である。日本語の「うま(馬)」は語頭に母音
「う」を添加したものである。馬[mea]
は
唇音であり、日本語の訓では「う」は合口音[m-]
の
前に添加される。例:梅[muə] うめ、味[miuət] うまし、没[muət] うもる、など ●馬(うま) 朝鮮語の「うま(馬)」はmalである。malはアルタイ系のことばであり、モンゴル語では馬はmoirである。中国語の馬(ma)はアルタイ系遊牧民族からの借用語である可能性が
高い。 ●夏(なつ) 朝鮮語の「なつ(夏)」はyeo reumである。yeo reumは中国語の熱[njiat]
と
関係のあることばである可能性がある。スウェーデンの言語学者B.カールグレン(1889- 1978)は『言語学と古代中国』(1920、オスロー)のなかで、日本語の「なつ(夏)」は
中国語の熱[njiat]に由来するとしている。日本語の「なつ(夏)」、
朝鮮語の夏(yeo
reum)は
中国語の熱[njiat]と同系である可能性がある。 ○野(の) 古代中国語の「野」は野[jya]である。しかし、同じ声符をもった序は序[zia]であり、また記紀万葉では「杼」は「迩本杼理(に
ほ鳥)」などのように杼(ど)に使われている。「野」にも野[djya*]のような音があったと考えられる。古代日本語では
濁音が語頭にくることはなかったので日本語では野(の)になったと考えられる。 ●野(の) 朝鮮語の「野(の)」はteulである。日本の地名にある「都留」などは朝鮮語の
野(teul)に由来するのではないかとされている。 ○嶋(しま) 日本語の「しま(島・嶋)」は中国
語の洲[tjiu] と関係のあることばではないかと言われている。 ●嶋(しま) 朝鮮語の「しま(島・嶋)」はseomである。日本語の「しま(島・嶋)」は朝鮮語のseomと同源であろう。 ○舟(ふね) 「舟」の古代中国語音は舟[tjiu]であり、「船」は船[ziuən]であり、日本語の「ふね」とは発音が離れている。 中国語には盤[buan] ということばがあり、盤の原義は舟だという。日本
語の「ふね」は中国語の盤[buan]と同源であろう。 ●舟(ふね) 朝鮮語の「ふね(舟・船)」はpaeである。paeは盤[buan] の韻尾が脱落したものである可能性がある。また、
長崎の船漕ぎ競争「ペーロン」の「ペー」は朝鮮語のpaeと同源である。
<稲日野(いなびの)も去(ゆき)過(すぎ)勝
(かて)に思(おもへ)れば心(こころ)戀(こほ)しき可古(かこの)嶋(しま)所レ見(みゆ)>
万葉集でも「右一首、或云、吉野人味稲与二柘枝
仙媛一歌也」(万385)とあり、「味稲」は「うましね」と読みならわされている。 ●日(ひ) 朝鮮語の「日」はhaeである。日本語の「ひ(日)」は朝鮮語のhaeと同源である。 ○野(の) 古代中国語の「野」は野[jya] である。「野」の祖語(上古音)は野[djya*] であった可能性がある。日本語の野(の)は中国語
の野[djya*] の痕跡を残している。日本漢字音の野(ヤ)は唐代
の中国語音、野[jya]
に
依拠したものである。 ●野(の) 朝鮮語の「の(野)」はteulである。日本の地名「都留」や「鶴橋」は朝鮮語の
野(teul)であると考えられている。 ○過(すぎる) 古代中国語の「過」は過[kuai] である。中国語の[k-] は介音[-i-][-u-]
の
影響で摩擦音化することがある。たとえば同じ声符をもった「技」は技[gie] であり、「枝」は枝[tjie]
で
ある。枝(シ)は技(ギ)が摩擦音化したものであり、技(ギ)のほうが古く、枝(シ)のほうが新しい。日本語の「すぎる(過)」の「す」は過[xuai*] に近い音を再現したものであろう。同様の例は崎
(キ・さき)などにもみられる。 ○心(こころ) 「心」の古代中国語音は心[siəm] である。「心」の上古音は心[xiəm*] に近く、それが日本語ではカ行であらわれたもので
あろう。 ●戀(こひ) 朝鮮語の「こひ(戀)」はsa rangであるが、keu ri da<恋しがる・恋慕う>ということばもある。金思燁
はこの歌の「戀」をkeu
riと
訳している。日本語の「こひ(戀)」は朝鮮語のkeu
riと
同源であろう。 ●嶋(しま) 朝鮮語の「しま(嶋)」はseomである。日本語の「しま(嶋)」は朝鮮語のseomと同源であろう。
<矢釣山(やつりやま)木立(こだちも)不レ見
(みえず)落(ふり)乱(まがふ)雪(ゆき)に驟(さわける)朝(あした)樂(たのし)も>
●矢(や) 朝鮮語の「や(矢)」はhwa salである。万葉集には「得物矢(さつや)」(万
61)、「佐都矢(さつや)」(万4374)ということばがあるが、「さつや」は「さつ(朝鮮語のsal)+矢(中国語の矢[sjiei] の転移したもの)」の複合語である。 ○釣(つり) 古代中国語の「釣」は釣[tyô] である。日本語の「つり(釣)」は中国語の釣[tyô] と同系のことばであろう。古代日本語には釣(チョ
ウ)のような音節はなかったので釣(つり)として受け入れた。 日本漢字音の「チョウ」にあたることばの訓には
吊[tyô]
つ
る、蔦[tyô]
つ
た、跳[dyô]
と
ぶ、鯛[tyu] たひ、塚[tiong] つか、鳥[tiau] とり、蝶[thyap] てふ、などがある。 ○山(やま) 古代中国語の「山」は山[shean] である。日本語の山(やま)は中国語の頭音が口蓋
化の影響で脱落し、韻尾の[-n]
が
マ行に転移したものである。[-n]
と[-m] は調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやす
い。日本の「ン」は[-n]
と[-m] を兼ねており、[-n]
と[-m] は弁別されていない。 ●山(やま) 朝鮮語の「やま(山)」はmoiである。朝鮮語のmoiは日本語の森(もり)と同源だとされている。 ○木(き) 古代中国語の「木」は木[mok] である。日本語の「き」は枝[tjie] と関係のあることばではなかろうか。枝と同じ声符
をもつ漢字に技[gie]
が
あり、「枝」にも枝[gie*]
に
近い音価があったものと考えられる。枝[gie*]のほうが古く、枝[tjie]は介音[-i-]の影響で摩擦音化したものである。中国語の樹[zjio] も祖語(上古音)が樹[tjio*] に近い音であった可能性がある。 ●朝(あさ) 朝鮮語の「あさ(朝)」はa chimである。日本語の「あさ」は朝鮮語のa chimと同源である。
<八雲(やくも)刺(さす)出雲(いづもの)子等 (こら)が黒髪(くろかみ)は吉野(よしのの)川(かは)の奥(おきに)なづさふ> ○雲(くも) 古代中国語の「雲」は雲[hiuən] である。日本語の雲(くも)は中国語の頭音[h-]が日本語のカ行になり、韻尾の[-n] がマ行に転移したものである。中国語の喉音[h-] は日本語にはない音であり、調音の位置がカ行(後
口蓋音)に近いので日本語ではカ行であらわれることが多い。日本漢字音の雲(ウン)は頭音の[h-]が介音[-iu-] の影響で脱落したものである。 ●雲(くも)朝鮮語の「雲(くも)」はku reumである。ku reumは中国語の雲[hiuəm]に依拠したものであろう。日本語の「くも」は古代
中国語の雲[hiuən]、朝鮮語のku reumと同源である。 日本漢字音は雲(ウン)であり、朝鮮漢字音も雲(un)であるため、日本語の雲(くも)は日本古来のこと
ばだと思われている。日本漢字音も朝鮮漢字音も基本的には唐代の中国語音にもとづいており、唐代の中国語音ではすでに喉音[h-] は失われていたので、唐代以前の音を復元してみる
ないと中国語と朝鮮語、日本語との関係は明らかになってこない。 ○刺(さす) 古代中国語の「刺」は刺[tsiek] である。日本語の「さす」は中国語の刺[tsiek] と同源であろう。 ○出(いづる) 古代中国語の「出」は出[thjiuət] である。頭音の[th-] は有気音であり、日本語にはない音である。有気音
は濁音に近く、そのため日本漢字音では濁音であれわれるものも多い。「いづる」の「い」は濁音の前の母音添加であり、「る」は韻尾[-t] に対応している。 例:唾[thuai] ダ、妥[thua] ダ、脱[thuat] ダツ、土[tha] ド、獺[that] ダツ、 ○子(こ) 古代中国語の「子」は子[tziə] であり、日本漢字音は子(シ)である。日本漢字音
の「シ」は訓ではカ行であらわれるものがいくつか見られる。これらは偶然の一致だどうか。サ行音はカ行音(上古音)の摩擦音化したものである可能性があ
る。。 例:之[tjiə](シ・これ)、此[tsie](シ・これ)、斯[sie](シ・これ)、兒[njie](ジ・こ)、狩 中国語には同じ声符をカ行とサ行に読み分けるも
のもある。このことは中国語音韻史のなかで音韻変化があったことを裏づけているように思える。 例:枝(シ)・技(ギ)、斯(シ)・期(キ)、旨
(シ)・耆(キ)、氏(シ)・祇(ギ)、兒 (ジ)・睨(ゲイ)、車(シャ)・庫(コ)、赦
(シャ)・赫(カク)、臭(シュウ)・嗅 (キュウ)、川(セン)・訓(クン)、旬(ジュン)・絢
(ケン)、処(ショ)・拠(キョ)、 杵(ショ)・許(キョ)、松(ショウ)・公(コウ)、焼
(ショウ)・暁(ギョウ)、神(シ ン)・坤(コン)、鍼(シン)・感(カン)、 ○黒(くろ) 古代中国語の「黒」は黒[xək] である。日本語の「くろ」は中国語の黒[xək] の韻尾[-k] がラ行に転移したと考えることもできる。中国語に
は日本語の「くろ」にあたることばに玄[hyuen]
が
ある。日本語の「くろ」は玄[hyuen]
の
頭音[h-] がカ行であらわれ、韻尾の[-n] がマ行であらわれたものであると考えるほうが穏当
であろう。頭音[h-]は日本語にはない音であり、調音の位置がカ行(後
口蓋)に近いので日本語ではカ行であらわれることが多い。 古代日本語は開音節(母音で終わる音節)であ
り、中国語の韻尾[-n]
に
あたる音節はなかった。平安時代になると中国語の影響もあって「ん」が五十音図に加わるが、五十音図では[-n] と[-m] を弁別することができない。そのため中国語の韻尾[-n] はナ行であらわれることもあり、マ行であらわれる
こともある。 ●黒(くろ) 日本語の「くろ(黒)」にあたる朝
鮮語はkeomである。朝鮮語のkeomは音義ともに中国語の玄[hyuen] に近い。中国語の玄[hyuen]、日本語の「くろ」、朝鮮語のkeomは同源であろう。 ○野(の) 「野」の古代中国語音は野[jya] である。「野」と同じ声符をもった漢字に序があ
り、古代中国語音は序[zia]、抒[djia]
な
どがあり、柿本人麻呂の歌でも「與杼六(よどむ・澱)」(万31)のように杼(ど)使われている。日本語の野
(の)は野[djia*]
の
頭音[d-] がナ行に転移したものであろう。 ●野(の) 朝鮮語の「の(野)」はteulである。日本語古地名にある都留、鶴橋、鶴見など
の「つる」は朝鮮語の野(teul)ではないかと言われている。 ○川(かは) 古代中国語の「川」は川[thjyuən] である。「川」と同じ声符をもった漢字に訓[xiuən] があることから「川」にも川[xiuən*] に近い音があったものと推論できる。日本語の「か
は」は中国語の上古音、川[xiuən*] と同系のことばであろう。 ○川(かは)「かは(川)」にあたる朝鮮語はka ramである。Ka ramも中国語の川[xiuən*]と同源のことばであろう。 ○奥(おき) 「奥」は現代の日本語では「沖」と
表記する。古代中国語の「奥」は奥[uk]
で
ある。日本漢字音の奥(オウ)は奥[uk]
の
韻尾が音便化したものであり、唐代以降の中国語音に依拠している。 中国語には「澳」ということばもあり「澳(おき
<沖>)」である。また、いまや日本では死語になってしまったが「燠(おき)」ということばもあり、火鉢などの種火のことである。 日本の漢字音は唐代の中国語音を正音としている
ので、それ以前の中国語音の痕跡を留めている訓は古来「やまとことば」のなかにあったものだとされているが、「やまとことば」と考えられている訓のなかに
も唐代以前中国語音の痕跡を留めているものがかなりあることがわかる。 |
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