第
247話・万葉集のなかの朝鮮語
【あ・あが(吾・我)】
朝
露(あさつゆ)の既夜須伎(けやすき・消)我(あが)身
(み)比等(ひと)國(くに)に須疑(すぎ)かてぬかも意夜(おや)の目(め)を保利(ほり)(万885)
出
(いで)て由伎斯(ゆきし)日(ひ)をかぞへつつ家布(けふ・今日)々々(けふ)と阿(あ・我)を麻多周(またす)らむ知々(ち
ち)波々(はは)らはも(万
890)
吾(あ)を待(まつ)と君(きみ)が沾(ぬ
れ)けむあしひきの山(やま)の四附(しづく)に成(なら)益(まし)物(もの)を(万108)
最初の歌(万885)の「我」は朝鮮語では我(nae)である。二番目の歌(万890)の「吾」は吾(na)である。三番目の歌(万108)の「吾」は吾(jeo)である。吾(jeo)は「私」の謙譲語である。
私(na)は私(nae)であらわれることもある。助詞ga(日本語の「が」と同じ)が付くとnae gaになり、助詞nun(日本語の「は」にあたる)やreul(日本語の「を」にあたる)が付くとna nunなどとなる。
古代中国語の「我」は我[ngai]であり、「吾」は吾[nga]である。朝鮮語のna、naeは中国語の我[ngai]あるいは吾[nga]と同源である。疑母[ng-]は鼻音であり[n-]あるいは[m-]と調音の方法が同じである。
中国語の疑母[ng]が朝鮮語でnであらわれる例としては、我[ngai]na、眼[ngean]nun、牙[ngea]eo geum ni、などをあげることができる。
疑母[ng-]は日本語や朝鮮語では語頭にたつことがない音であ
り、介音[-i-]があとに来る場合などは脱落することもある。()
は朝鮮漢字音
例:我[ngai]あ(a)、吾[nga]あ(o)、魚[ngia]うお(eo)、御[ngia]お(eo)、牛[ngiua]うし(u)、
日
本語の牛(うし)は「牛」の朝鮮漢字音牛(u)に訓(古来からの朝鮮語)の牛(so)を重ねたものである。
日本語の我・吾(あ・あれ・わ・われ)、朝鮮語の我(a,na,nae)・吾(o,na,nae)はいずれも古代中国語の我[ngai]あるいは吾[nga]から転移したものである。
朝鮮語の「私」はnaであり、「お前」はneoであり、日本人には区別しにくい。naは古代中国語の我[ngai]あるいは吾[nga]の転移したものであり、neoは古代中国語の汝[njia]の転移したものである。
【あさ(朝)】
朝日(あさひ)弖流(てる)佐太(さた)の岡
邊(をかへ)に群(むれ)居(ゐ)つつ吾等(わが)哭(なく)涙(なみだ)息(やむ)時(とき)も無(なし)(万177)
朝鮮語で朝のことをa chimという。大野晋は『日本語の起源』(旧版)のなか
で、日本語の朝(asa)と朝鮮語のa chimとは子音に音韻対応があるとしている。また、『岩
波古語辞典』でも、「朝鮮語の朝(a chim)と同源か」としている。
金思燁『韓語訳萬葉集』では「朝日」a chim
haeと
訳されている。haeは日本語の日(ひ)と同源である。
【豈(あに)】
價
(あたひ)無(なき)寶(たから)と言(いふ)十万(とも)一坏(ひとつき)の濁(にごれる)酒(さけ)に豈(あに)益(まさ)めやも(万345)
夜
(よる)光(ひかる)玉(たま)と言(いふ)十万(とも)酒(さけ)飲(のみ)て情(こころ)を遣(やる)に豈(あに)若(しか)めやも(万346)
「豈」に古代中国語音は豈[khiəi]であり、漢文の読み下しでは豈(あに)と読む。は
日本語では「豈(あに)図らんや」のように反語的に使われる。
朝鮮語にもa niということばはあるが、金思燁の『韓訳萬葉集』で
は日本語の豈(あに)は朝鮮語のa niとは訳されていない。朝鮮語のa niは否定の意味で使われる。
照
(てる)月(つき)の 光(ひかり)も不レ見(みえず)、、(万317)
三
空(みそら)去(ゆく)名(な)の惜(をしけく)も吾(われ)は無
(なし)不レ相(あはぬ)日(ひ)數多(まねく)年(と
し)の経(へぬれ)ば(万
2879)
最初の歌(万317)では「照る月の光も不レ見(みえず)」は金思燁の『韓訳萬葉集では「tal pich(月光)ko
po i ji(見える)
a ni(否定) ha go」と訳されている。a niは否定に使われている。
二番目の歌(万
2879)では「惜しけくも無(な)し」は「a
khap ji(惜
しい)ko a ni(否定)」の「無し」にa niが使われている。また、「相(あは)ぬ日」は「man na ji (会う)a ni(否定)ha neun nal(日)」と訳されており、否定の「ぬ」にa
niが
あてられている。
豈(あに)は日本語では反語的に使われ、朝鮮語
では否定に使われるが、中国語の「豈」の翻訳語である「あに」は朝鮮語のa
niの
転用である可能性がある。中国語の豈[khiəi]は豈(アニ)とは読めない。
【あはび(鰒)】
野
嶋(のじま)の海子(あま)の 海底(わたのそこ) 奥(おき)つ伊久利(いくり)に 鰒珠(あはびたま) さはに潜(かづき)出
(で)、、(万
933)
朝鮮語の鮑(あはび)はjeon pok(全鰒)である。「鮑」の中国語音は鮑[peu]であり、「鰒」は鰒[biuk]である。日本語の鮑(あはび)は中国語の鮑[peu]から派生したことばであろう。「あは+び」は「鮑[peu]+鰒[biuk]」ではあるまいか。日本語の「あはび」も朝鮮語のjeon pok(全鰒)も中国語の鮑[peu]あるいは鰒[biuk]から派生したことばであろう。
【あふひ(葵)】
成
(なし・梨)棗(なつめ)寸三(きみ・黍)に粟(あは)嗣(つぎ)延(はふ)田葛(くず)の後(のち)も将レ相
(あはむ)と葵(あふひ)花
(はな)咲(さく)(万
3834)
「葵(あふひ)」の朝鮮語は葵(a uk i)である。日本語の「あふひ(葵)」は朝鮮語の葵(a uk i)と同系のことばであろう。
【あま(海部・海人)】
然
(しか)の海部(あま)の礒
(いそ)に苅(かり)干(ほす)名告(なのり)藻(そ)の名(な)は告(のり)てしを何如(なにか)相(あひ)難(がた)き(万3177)
然
(しかの)海人(あま)は軍
布(め)苅(かり)塩(しほ)焼(やき)無レ暇
(いとまなみ)髪梳(くしげ)の小櫛(をぐし)取(とり)も不レ見
(みな)くに(万
278)
大
王(おほきみ)の塩(しほ)焼(やく)海部(あま)の
藤衣(ふぢころも)穢(なれ)は雖レ為
(すれども)弥(いや)めづらしも(万2971)
金思燁『韓語訳萬葉集』では最初の歌(万
3177)の「海部(あま)」はeo pu<漁夫>と訳している。中国語の漁夫[ngia piua]であり、朝鮮漢字音は漁夫(eo pu)は漁[ngia]の頭音が脱落したものである。朝鮮語では濁音が語
頭にくることはないので中国語の疑母[ng-]は次に[-i-]介音がくるときは規則的に脱落する。魚[ngia]の朝鮮漢字音は魚(eo)であり、日本語の魚(うを)と同源である。
二番目の歌(万278)の「海人(あま)」はhae nyoeと訳している。hae nyeoはhae<海>nyeo<女>である。
三番目の歌(万2971)の「海人(あま)」はpa
tas<海の> sa ram<人>と訳している。
日本語の「あま」は「海」の中国語上古音 海[hmuə*]
の入りわたり音[[h-]が脱落した 海[muə*]
に母音「あ」が添加されたものであろう。海部(あま)の部[buə]
も海[muə]に
近い。[m-]
の前に母音「あ」が添加された例としては網[miuang]あみ、をあげることができる。
日本語と朝鮮語では海部(あま)にあたることばは違うが、いずれも中国語の海部・海人・漁夫・海女などに由来することばが使われている。
【いかに(如何)】
二
人(ふたり)行(ゆけ)ど去(ゆき)過(すぎ)難(がた)き秋山(あきやま)を如
何(いかにか)君(きみ)が獨(ひとり)越(こゆら)む(万106)
古代中国語の「如何」は如何[njia-hai]で、日本語では「いか」「いかが」「いかに」など
と使う。「如」の現代朝鮮語は如(yeo)であり、「如何」の朝
鮮漢字音は如何(yeo ha)である。古代中国語の日母[nj-]は朝鮮漢字音では規則的に脱落する。日本語の如何(いか)は「如」の頭音が脱
落したものであり、朝鮮語読みである。記紀万葉の時代の史(ふひと)は朝鮮半島出身の人
が多く、八世紀の日本語は朝鮮語の影響を受けている。
日母[nj-]の朝鮮漢字音の例:日(il)、潤(yun)、熱(yeol)、若(yak)、柔(yu)、譲(yang)、入(ip)、
日本語の潤(うるおふ)、熱(あつい)、若(わ
かい)、柔(やはら)、譲(ゆづる)、入(いる)なども日母[nj-]の脱落したものである。古代日本語の音韻構造は朝
鮮語に近かった。
【いさな(鯨)】
鯨
魚(いさな)取(とり)海(うみ)や死(しに)為(す)る山(やま)や死(しに)為(す)る死(しぬれ)こそ海(うみ)は潮
(しほ)干(ひ)て山(やま)
は枯(かれ)為(す)れ
(万
3852)
鯨の朝鮮漢字音は鯨(kyeong)である。朝鮮語の訓(古来の朝鮮語)はko raeである。鯨の古代中国語音は鯨[gyang]であり、朝鮮語のko raeも中国語の鯨[gyang]と関係のあることばであろう。中国語の鯨は古代朝
鮮ではko raeとして受け入れられ、やがてkyeongに変化したものと思われる。
日本語の鯨(いさな)の「な」は「さかな」の
「な」であり、魚[ngia]の転移したものである。「いさな」の「いさ」は不
明である。
日本語も朝鮮語もそれぞれ、中国語の語彙と関係のあるところは注目に値する。
【いな(否)】
否
(いな)も諾(を)も隋レ欲
(ほしきまにまに)可レ赦
(ゆるすべき)皃(かたちは)所レ見
(みゆ)や我(われ)も将レ依
(よりなむ)(万
3796)
この歌の「否(いな)も諾(を)も」の部分は金
思燁の『韓訳萬葉集』では「e」ra go mal hae do 「a ni o」ra goと訳されている。「e」は「はい(肯定)」であり「a ni」は「いな(否定)」である。
朝鮮語のa niは日本語の「豈(あに)図らんや」の「あに」と同
系統のことばであろう。日本語の「あに」は打消しであり反語である。一方、朝鮮語のa niは否定であるが使われ方が近い。
【いにしへ(古・古部・去家)】
淡
海(あふみ)の海(み)夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(なが)鳴(なけ)ば情(こころ)もしのに古(いにしへ)所レ念
(おもほゆ)(万
266)
阿
騎(あき)の野(の)に宿(やどる)旅人(たびびと)打(うち)靡(なびき)寐(い)も宿(ね)らめやも古部(いにしへ)念(おもふ)に(万46)
去
家(いにしへ)の倭文旗(しつはた)帯(おび)を結(むすび)垂(たれ)孰(たれと)云(いふ)人(ひと)も君(きみ)には不レ益
(まさじ)(万
2628)
「いにしへ」は朝鮮語ではyeot<昔> il<日>である。日本語の「いにしへ」の「へ」は朝鮮語の訓(古来の朝鮮語)は日(hae)である可能性がある。。日本語の「いにしへ」は「去(いにし)日(hae)」ではあるまいか。
【いひ(飯)】
飯
(いひ)喫(はめ)ど味(うまく)も不レ在
(あらず)雖二行
徃一(ゆ
きゆけど)安(やす)くも不レ有
(あらず)赤根(あかね)さす君(きみ)が情(こころ)し忘(わすれ)かねつも(万3857)
朝鮮語の飯(いひ)は飯(pap)である。飯(pap)は中国語の飯[piuan]と関係のあることばではあろう。日本語の飯(い
ひ)の「ひ」は朝鮮語の飯(pap)と関係がある可能性がある。中国語の飯[piuan]、朝鮮語の飯(pap)、日本語の飯(いひ)は似ている部分が多い。しか
し、音韻対応は不
十分である。同源であるとすれば、どこかでミッシング・リングができてしまったのであろう。
【いふ(言)】
乞
(いで)如何(いかに)吾(わが)幾許(ここだく)戀(こふ)る吾妹子(わぎもこ)が不レ相
(あはじ)と言(いへ)る事
(こと)も有(あら)莫(な)くに(万2889)
朝鮮語の「いふ」はmal-ha-daである。malは朝鮮語で「ことば」の意味である。malは動詞にも使われる。mal-ha-daは「言う」「話す」である。
朝鮮語のmalは中国語の言[ngian]と関係のあることばではあるまいか。中国語の疑母[ng-]は調音の方法が[m-]と同じであり、韻尾の[-n]は[-l]と調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しや
すい。
朝鮮語のmalは中国語の言[ngian]と関係のあることばではあるまいか。現代の朝鮮漢
字音では中国語の疑
母[ng-]は規則的に脱落するが、朝鮮語の訓(古来の朝鮮語)では中国語の疑母[ng-]がnであ
らわれる例がみられる。()内は朝鮮語
例:我[ngai](na)、眼[ngean](nun)、
また、日本語の訓でも疑母[ng-][ngea]がナ行またはマ行であらわれるものがある。
例:魚[ngia]な、額[ngeak]ぬか、訛[nguai]な
まり、願[ngiuan]ねがふ、偽[nguai]にせ、
芽[ngea]め、
眼[ngean]め、御[ngia]み、雅[ngea]美・みやび、迎[ngyang]む
かへる、
古代中国語の言[ngian]は日本語では言(こと)である。疑母[ng-]は調音の位置が[k-]と同じであり、韻尾の[-n]は[-t]と調音の位置が同じである。古代中国語の言[ngian]は日本語では「こと」になり、朝鮮語ではmalになった可能性がある。
一方、朝鮮語訳にはip<口>ということばがある。「口にする」というよ
うな使い方もあり、日本語の「いふ(言)」は朝鮮語のipと同系のことばではないかという説もある。
ヨーロッパの言語でも英語のlanguage、ラテン語のlingua<ことば>はtongue<舌>と関係のあることばである。
【いま(今)】
秋
(あき)去(さら)ば今(いま)
も見如(みるごと)妻戀(つまごひ)に鹿(か)将レ鳴
(なかむ)山(やま)そ高野原(たかのはら)の宇倍(うへ)(万84)
朝鮮語の「今(いま)」はji keumである。ji keumとは中国語のji<只>keum<今>の音読みである。
日本語の「いま(今)」は古代中国語の今[kiəm]の頭音が介音[-i-]の影響で脱落したものだと考えられる。朝鮮語のji keumのkeumも中国語の今[kiəm]から派生したものである。中国語の今[kiəm]、朝鮮語のji keum、日本語の「いま(今)」は音は離れているが、い
ずれも同系のことばである。
【いも(妹)】
妹
(いも)が名(な)も吾(わが)名(な)も立(たた)ば惜(をしみ)こそ布仕(ふじ)の高嶺(たかね)の燎(もえ)つつ渡(わ
たれ)(万
2697)
朝鮮語にはimということばがあって、意味は「恋慕う人」であ
る。金思燁は『韓訳萬葉集』ではこの歌の「妹(いも)」をim<恋慕う人>と訳している。
「妹」の古代中国語音は妹[muət]である。韻尾の[-t]は唐代には失われて妹[muəi]となった。日本語の「いも」は唐代の漢字音に依拠
している。語頭の「い」は夢(いめ)、梅(うめ)、馬(うま)などのように母音が添加されたものである。朝鮮語のimも中国語の妹[muəi]と同源である可能性がある。
万葉集の時代の「妹(いも)」は現代日本語の妹
(いもうと)より意味の範囲が広く、男から妻や恋人・姉妹など親しい女性を呼ぶのにも使われ、女どうしで親しんで呼ぶときにも使われている。
金思燁の『韓
訳萬葉集』では、その意味に応じて「妹(いも)」はnim<恋人>(万508)、nae nim<私の恋人>(万1856)、keu tae<そなた>(万91)、cheo nyeo<私(謙譲語)の女>(万1886)、ma nu ra<妻>(万2982)などがあてられいている。
【う(鵜)】
上
瀬(かみつせ)に 鵜(う)を八頭(やつか)漬(づけ) 下瀬(しもつせ)に 鵜
(う)を八頭(やつか)漬(づけ) 上瀬(かみつせ)の 年魚(あゆ)を
令レ咋
(くはしめ)、、(万
3330)
金思燁の『韓訳萬葉集』の朝鮮語訳では「鵜」はka ma u jiである。朝鮮語のka ma u jiのuは「烏」である。朝鮮語にはka ma u ji<烏>、kal ka ma gwi<鴉>、kha ma gwiなどのことばがあり、いずれも鴉の類である。ka ma、kal ma、kha maはいずれも鴉の古音、牙[ngea]から派生したものであろう。
「鵜」「鴉」「烏」の古代中国語音は鵜[dyei]、鴉[ea]、烏[a]であり、朝鮮漢字音は鵜(je)、鴉(a)、烏(o)である。日本語の「う(鵜)」は中国語の鴉[ea]、烏[a]に近い。
「烏」「鴉」は日本語では「からす」にも使われる。日本語の「からす」は鴉[ngea*]
+隹[tjiuəi]であろう。「隹」は「鳥」と同義である。
【うし(牛)】
馬
(うま)にこそ 布毛太志(ふもだし・紐)可久(かく・掛)物(もの)
牛(うし)にこそ 鼻(はな)縄(なは)はくれ、、(万3886)
朝鮮語では牛のことを牛(so)という。日本語の「う+し」は中国語の牛[ngiuə]の朝鮮漢字音の牛(u)と朝鮮語の訓(古来の朝鮮語)の牛(so)を合わせたものであろう。中国語の牛[ngiuə]の頭音[ng-]は介音[-i-]の影響で朝鮮漢字音では脱落して牛(u)になる。
現代の朝鮮語では漢字を使う場合は必ず音読み
で、訓読はしない。しかし、かつては漢文を訓読する場合に両
点といって中国語+朝鮮語訳を併記する方法がしばしば用いられていた。朝鮮語研究の第一人者である小倉進平は「國語及朝鮮語のために」(『小倉進平博士著
作集(四)』所収)で次のように述べている。
朝鮮語では訓と音とを必ず併唱する。例えば國語で「人」「犬」なる漢字を讀む場合には「人」は 「ひとといふ
字」、「犬」は「いぬといふ字」と訓でこそいふが、更に進んで之を「ひとのじ
んの 字」、「いぬのけんの字」といふ風に唱へるこ
とをしない。然るに朝鮮語にありては「人」なる漢 字を讀む場合には、必ずsa ram
in、
「犬」なる漢字を讀む場合には、必ずkae
kyeonと
音訓併唱する ことを必要條件とするのである。(ハングルの部分はローマ字に改めた)
日本でも『千字文』の冒頭にある「天地玄黄 宇
宙洪荒」を「テンチのあめつちは クエンクワウとくろく・きなり。ウチウのおほぞらは コウクワウとおほいにおほきなり」などと読んだ。これも朝鮮半島の
両点と同じく音訓両読で、「文選読み」といった。
【うた(歌)】
は
しきやし老夫(おきな)の歌(うた)に
おほほしき九(ここの)の兒等(こら)やかまけて将レ居
(をらむ)(万
3794)
朝鮮語の「歌」はno raeである。日本語の祝詞(のりと)は朝鮮語のno raeと同系のことばである可能性がある。万葉集には
「のる(告)」ということばが数多く使われている。万葉集の時代の日本語「のる(告)」は朝鮮語のno raeと同源である可能性がある。
例:家告(のら)せ(万1)、名告(のら)さね
(万1)、
その名は謂(のら)じ(万2407)、妾(あ)が名は教(のら)じ(万
1727)、
【うま(馬)】
玉
(たま)きはる内(うち)の大野(おほの)に馬(うま)
數(なめ)て朝(あさ)布麻須(ふます)らむ其(その)草(くさ)深野(ふかの)(万4)
朝鮮語の馬はmalである。アルタイ系騎馬民族のことばはmalが多い。モンゴル語では馬のことをmoirという。中国語の馬[mea]はアルタイ系のことばからの借用である可能性があ
る。日本語の「うま」は中国語の馬[mea]の語頭に母音を添加したものである。
【うまし(味)】
飯
(いひ)喫(はめ)ど味(うまく)も
不レ在
(あらず)雖二行
徃一(ゆ
きゆけど)安(やす)くも不レ有
(あらず)赤根(あかね)さす君(きみ)が情(こころ)し忘(わすれ)かねつも(万3857)
朝鮮語では「うまい」ことをmatという。古代中国語の「味」は味[miuət]である。朝鮮語の訓(古来の朝鮮語)のmatは古代中国語の味[miuət]の韻尾[-t]の痕跡を留めている。朝鮮漢字音では韻尾[-t]は失われて味(mi)である。
日本語の「うまし(味)」は中国語の味[miuət]に母音「う」を添加したものである。日本漢字音で
も味[miuət]の韻尾[-t]は失われている。未[miuət](いまだ)では韻尾[-t]は失われていない。
日本語で中国語の頭音mの前に母音が添加される例としては、梅(うめ)、
馬(うま)などをあげることができる。
日本語の「うまし」は中国語の味[miuət] 、朝鮮語のmat<うまい>と同源である。
【うみ(海)】
渡
津海(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に伊理比(いりひ)紗(さ)し今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(きよらけく)こ
そ(万
15)
淡
海(あふみ)の海(み)夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(なが)鳴(なけ)ば情(こころ)もしのに古(いにしへ)所レ念
(おもほゆ)(万
266)
一番目の歌(万15)の「わたつみの」は金思燁
の『韓訳萬葉集』ではhan pa da<大海>と訳されている。「わたつみ」は「海」に
かかる枕詞である。「わた+つ+み」は「朝鮮語の海(pa
da)+
つ(助詞)+日本語の海(うみ)」の両点(二か国語併記)である。
この歌は中大兄(なかのおほえ)、後の天智天皇
の歌とされているが、朝鮮語との同源語と思われることばが多く使われている。
例:pa da(海・わた)、pheol(幡・はた)、ku reum(雲・くも)、ip(入・いる)、sa(射・さす)、
hae(日・ひ)、pam(晩・ばん<夜>)、tal(月・つき)、
二番目の歌(万266)の「うみ(海)」はho su<湖水>と訳されている。この歌は柿本人麻呂の歌
で「淡海(あふみ)の海(うみ)」は琵琶湖のことである。万葉集の時代の日本語では湖も海と呼ばれていたことがわかる。人麻呂は近江に都があった時代のこ
とを懐かしく思い、偲んでいる。
【うめ(梅)】
梅
枝(うめがえ)に鳴(なき)て移徙(うつろふ)鸎(うぐひす)の翼(はね)白妙(しろたへ)に沫雪(あわゆき)そ落(ふる)(万1840)
この歌の「梅」は金思燁の『韓訳萬葉集』ではmae hwa<梅の花>とされている。「梅」はこの場合「梅の
花」のことである。日本語の梅(うめ)は梅[muə]の語頭に母音「う」が添加されたものである。中国
語の梅[muə]、朝鮮語のmae(梅)、日本語の梅(うめ)は同源である。
梅は中国から渡来した花で万葉集では桜を詠んだ
歌よりも梅をうたった歌のほうが圧倒的に多い。万葉集では「烏梅」「宇梅」「于梅」「宇米」「有米」などと語頭に母音を添加して表記されていることが多
い。
【うを(宇乎<魚>)】
思
可能宇良(しかのうら)に伊射里(いざり・漁)する安麻(あま・海人)伊敝妣等(いへびと・家人)の麻知(まち・待)古布(こふ・戀)らむにあかし都流
(つる・釣)宇乎(うを・魚)
(万3653)
この歌の「宇乎」は魚(うを)である。朝鮮漢字
音の「魚」は魚(eo)である。日本語の
「うを(魚)」は音義ともに朝鮮漢字音の魚(eo)に近い。
日本語の「うを」も朝鮮漢字音の魚(eo)も、中国語の魚[ngia]の頭音の脱落したものである。日本語の訓でも中国語音の疑母[ng-]が脱落した例がみられる。
例:御[ngia]お、我[ngai]あ、吾[nga]あ、顎[ngak]あご、牛[ngiu]うし、仰[ngiang]あふぐ、
これらの漢字の朝鮮漢字音は次の通りである。
例:御(eo)、我(a)、吾(o)、顎(ak)、牛(u)、仰(ang)、
漢字音の転移のしかたは日本語と朝鮮語で似てい
る。このことは日本語の祖語と朝鮮語の祖語の音韻構造が似ていたことを示唆している。
朝鮮語の「魚」の訓(古来の朝鮮語)はmul ko giである。朝鮮語では魚も肉もko giという。肉と魚を区別するときはmul ko giということもある。mulは水である。金思燁の『韓訳萬葉集』では「宇乎
(うを)」をko giと訳している。
【え・えだ(枝)】
梅
枝(うめがえ)に鳴(なき)て移徙(うつろふ)鸎(うぐひす)の翼(はね)白妙(しろたへ)に沫雪(あわゆき)そ落(ふる)(万1840)
朝鮮語の「えだ」はka jiである。ka jiのjiは枝[tjie]の朝鮮漢字音である。ka jiのkaは枝の上古音である可能性がある。中国語の声符
「支」には枝[tjie]と技[gie]というふたつの読みがある。支[gie]が古く、支[tjie]のほうが新しい。朝鮮語には両点といって、二つの
読み方を併記する方法が新羅の郷歌などにみられる。ka
jiは
朝鮮漢字音の技(ki)と枝(ji)を併記したものである可能性がある。
【おき(奥)】
淡
海(あふみの)海(み)奥(おきつ)白
浪(しらなみ)雖レ不レ知
(しらずとも)妹所(いもがりと)云(いはば)七日(なぬか)越(こえ)來(こむ)(万2435)
現代の日本語では沖(おき)と書くが万葉集の時
代には「奥」あるいは「澳」である。「奥」の日本漢字音は奥(オウ)であるが、古代中国語音は奥[uk]である。日本語の訓、奥(おく)は古代中国語音の
痕跡を留めている。朝鮮語の「おき(沖)」はnan
pa da<灘
海>で、複合語である。
【おきな(老人・翁)】
は
しきやし老夫(おきな)の歌
(うた)におほほしき九(ここの)兒等(こら)やかまけて将レ居
(をらむ)(万
3794)
昔
(むかし)有二老
翁一(お
きな有き) 号(名を)曰二竹
取翁一也(竹
取のおきなと云う)
(万
3791題詞)
「おきな」は朝鮮語では老人(no in)である。no
inは
中国語の老[lu]人[njien]が転移したものである。朝鮮語では[l-]が語頭に立つことはない。日母[nj-]は朝鮮語では規則的に脱落する。金思燁の『韓訳萬葉集』
では最初の歌(万3794)の「老人(おきな)」も、二番目の歌の「老翁(おきな)」も「竹取の翁」の翁(おきな)もすべてno in<老人>と訳している。
古代の日本語でも[l-]がナ行に転移したものがみられる。[l-]と[n-]は調音の位置が同じであり転移しやすい。
来母[l-]がナ行に転移する例:梨(なし)、練(ねる)、浪
(なみ)、
古代の日本語でも中国語の日母[nj-]が脱落した例がみられる。
日母[nj-]が脱落する例:餌[njiə]え、閏[njiuən]うるふ、潤[njiuən]うるほふ、熱[njiat]あつい、
若[njiôk]わかい、弱[njiôk]よわい、譲[njiang]ゆづる、柔[njiu]やはら、入[njiəp]いる、
【おほきみ(大王)】
や
すみしし 吾(わご)大王(おほきみ)の
所レ聞
食(きこしめす)、、(万
36)
金思燁の『韓訳萬葉集』では「吾(わご)大王
(おほきみ)」はu ri im keumと訳されている。u riは一人称で日本語の俺(おれ)と同源である。imは君臣、親子、師弟などの慕う人であり、im keumは成句で「王」である。
日本語の「おほきみ」には我王 tae kun<大君>(万3324)、im keum nim(万3668)などもあてられている。朝鮮漢字音
の「君」は君(kun)である。訓(古来の朝鮮語)の君(im keum)のkeumも中国語の君[kiuən]の古い形であろう。im keum nimのnimは「王さま」の「さま」にあたることばである。
【おも(母・乳母)】
母
父(おもちち)も妻(つま)も子等(こども)も高々(たかたか)に來(こむ)と待(まち)けむ人(ひと)の悲(かなし)さ(万3337)、
緑
兒(みどりご)の為(ため)こそ乳母(おも)は
求(もとむと)云(いへ)乳飲(ちのめ)や君(きみ)が於
毛(おも)求(もとむ)らむ(万2925)
古代中国語の「母」は母[mə]であり、朝鮮語の「母」はeo meo niである。
一番目の歌(万3337)は日本語では「母父
(おもちち)」と読みならわされている。日本語の母(おも)は朝鮮語の母(eo
meo)と
同源であろう。朝鮮語のeo meoは中国語の母[mə]の前に母音(eo)を添加したものであり、niは女[njia]であろう。古代日本語ではマ行音の前に母音を添加
することが多い。
例:妹(いも)、梅(うめ)、馬(うま)、など
二番目の歌(万2925)の乳母(おも)・於毛
(おも)の朝鮮
語訳は乳母(yu mo)である。yuは中国語の乳[njia]の頭音が脱落したものである。朝鮮漢字音では中国
語の日母[nj-]は規則的に脱落する。日本語では母(おも)と乳母
(おも)も同じであり、弁別されていない。
【かさ(笠)】
人
(ひと)皆(みな)の笠(かさ)に
縫(ぬふと)云(いふ)有間(ありま)菅(すげ)在(あり)て後(のち)にも相(あはむ)とぞ念(おもふ)(万3064)
朝鮮語の「笠」はkatである。「笠」は昔、成年男子が頭にかぶった冠で
ある。日本語の「笠」も古語では、頭上にかぶり、あるいはかざすもので、菅を材料とするものもを菅笠といった。日本語の「かさ(笠)」は朝鮮語のkatと同源であろう。
【かすみ(霞)】
清
(きよき)湍(せ)に千鳥(ちどり)妻(つま)喚(よび)山際(やまのま)に霞
(かすみ)立(たつ)らむ甘南備(かむなび)の里(さと)(万1125)
朝鮮語の霞(かすみ)はan keである。an keのkeは中国語の霞[hea]であろう。日本語の霞(かすみ)は中国語の「霞[hea]+つ(助詞)+霧[miu]」ではあるまいか。霞と霧は実体は同じで、朝鮮語
では霞も霧もan keである。
【かぜ(風)】
綵
女(うねめ)の袖(そで)吹(ふき)反(かへす)明日香(あすか)風
(かぜ)京都(みやこ)を遠(とほ)み無用(いたづら)に布久(ふく)(万51)
朝鮮語の風はpa ramである。唐代の中国語音は風[piuəng]であるが、同じ声符をもった漢字に嵐[ləm]がある。
李思敬の『音韵』(商務印書館)によると、
「風」の上古音にはplという複子音の声母があったのではないかとい
う。同じ声符をもった漢字に嵐[ləm]があるのは「風」の祖語(上古音)に風[pləm*]という音があり、それが風[piuəng]あるいは嵐[ləm]になっているのではないかという。日本語の嵐(あ
らし)というのもその傍証になる。また、朝鮮語の風がpa
ramで
あるのも、それを示唆している。
『詩経』(紀元前600年ごろ成立)の韻の研究
によると、「風」は心[siəm]と押韻している。このことから詩経の時代の韻尾は
風[piuəm]であって、それが唐代には風[piuəng]に変わったことがわかる。
朝鮮語の風pa ramは中国語の上古音、風[pliuəm*]を継承したものである。日本語の風(かぜ)につい
ては不明である。しかし、日本語の嵐(あらし)は音が嵐(ラン)であり、朝鮮語のpa
ramと
同系のことばであろう。
【かたし(堅)】
在
有(ありあり)て後(のち)も将レ相
(あはむ)と言(こと)耳(のみ)を堅(かたく)要
(いひ・云)つつ相(あふと)は無(なし)に(万3113)
大野晋は古典文学大系のなかで「kata(堅)は朝鮮語のkut(堅)と同源か」としている。金思燁の『韓訳萬葉
集』では「言(こと)のみを堅(かたく)言ひつつ」を「mal<言(こと)> na ja mal<言う> man<のみ> kut ke<堅く>
yak sok <約束> ko seo <~して>」としている。「堅」の朝鮮漢字音は堅(kyeon)であり、訓(古来の朝鮮語)はkul eulである。
古代中国語の「堅」は堅[kyen]である。朝鮮語の音、堅(kyeon)も、訓、堅(kul eul)も中国語の堅[kyen]と同源であろう。堅(kul eul)のほうが古く、堅(kyeon)のほうが新しい形である。
日本語の堅(かたし)も中国語の堅[kyen]と同源であろう。韻尾の[-n]は[-t]と調音の位置が同じであり転移しやすい。「堅」の
上古音は堅[kyet*]に近い発音であったと考えられる。朝鮮語のkut ke<堅く>も中国語の上古音、堅[kyet*]の痕跡を留めている。
【かたる(語)】
母
父(おもちち)に 妻(つま)に子等(こども)に 語
(かたらひ)て 立(たち)にし日(ひ)より、、(万443)
朝鮮語の「かたる(語)」はmal ha daである。malは「ことば(言)」ha daは動詞の活用語尾である。mal名詞にも動詞にも用いられる。
malは中国語の言[ngian]と関係のあることばであろう。中国語の疑母[ng-]は[m-]と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやす
い。また、韻尾の[-n]は[-l]とは調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移し
やすい。
日本語の「かたる」あるいは「こと」も中国語の
言[ngian]と関係のあることばであろう。日本語の場合は中国
語の言[ngian]の頭音[ng-]がカ行に転移
した。また、韻尾の[-n]は[-t]と調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、タ行であ
らわれた。日本語でも「かたる」は言葉(ことば)の「こと」と音義ともに近く、中国語の
言[ngian]名詞と同源であろう。
疑母[ng-]がカ行であらわれる例:御[ngia]ご、雁[ngean]かり、牙[ngea]きば、顔[ngean]かほ、瓦[ngoai] かはら、崖[nge]がけ、刈[ngiat]かる、凝[ngiəng]こる、
韻尾[-n]がタ行であらわれる例:管[kuan]くだ、幡[phiuan]はた、肩[kyan]かた、腕[uan]うで、本[puən]も と、断[duan]たつ、満[muan]みつ、
日本語の「かたる」と朝鮮語のmalはまったく違ったことばのようにみえるが、両方と
も中国語の言[ngian]の転移したものである。
【かち(歩行)】
馬
(うま)替(かは・買)ば妹(いも)歩行(かち)将レ有
(ならむ)よしゑやし石(いし)は雖レ履
(ふむとも)吾(わ)は二(ふたり)行(ゆかむ)(万3317)
朝鮮語の「歩行(かち)」にあたることばはkeolである。朝鮮語では中国語の韻尾[-t]は規則的に(-l)であらわれる。例えば万年筆(man-nyeon-ppil)、地下鉄(ji-ha-cheol)、の如くである。[-t]と[-l]は調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しや
すい。
大野晋は日本古典文学大系の補注61で「朝鮮語
の語末のlは日本語ではtに対応するものが少なくない」として「kəl(徒歩)→kati(徒歩)」を例にあげている。
現代の日本語でも「かち」は「御徒町」などとし
て使われている。
【かに(蟹)】
難
波(なには)の小江(をえ)に 廬(いほ)作(つくり) なまりて居(をる) 葦(あし)河尓(がに・蟹)を 王(おほきみ)召(め
す)と、、(万
3886)
この歌の「河尓」は「蟹」である。朝鮮語では
「かに」のことをkeという。古代中国語の「蟹」は蟹[he]である。喉音[h-]は調音の位置が後口蓋音[k-]に近く、音価も近い。
日本語の蟹(かに)、朝鮮語の蟹(ke)はいずれも中国語の蟹[he]と同系のことばである。日本語の「か+に」の
「に」は小さいものにつける愛称であろう。
【かは(川・河)】
秋
(あき)去(され)ば川霧(かはぎり)立
(たてる)天川(あまのがは)河(かはに)向
(むき)居(ゐ)て戀(こふる)夜(よそ)多(おほき)(万2030)
川
瀬(かはのせ)の石(いし)迹(ふみ)渡(わたり)ぬばたまの黒馬(くろま)の來(く)夜(よ)は常(つね)に有(あら)ぬか
も(万
3313)
吉
野(よしの)なる夏實(なつみ)の河(かは)の川淀(か
はよど)に鴨(かも)ぞ鳴(なく)なる山陰(かげ)にして(万375)
一番目の歌(万2030)の「川」の朝鮮語訳はka ramである。ka ramは日本語の川(かは)と音義とも近い。ka ramのkaは中国語の河[hai]と同系のことばであろう。「天の川」はeun haである。eunは「銀」、haは「河」の朝鮮漢字音読みである。
二番目の歌(万3313)の韓国語訳は「川の瀬(kang yeo ul)」である。kangは江[kong]の朝鮮漢字音読みである。yoe ulは早瀬である。
三番目の歌(万375)の「夏實の河」の「河」
はka ram、「川淀(かはよど)」naet mulとなっている。naeは川、mulは水である。
アイヌ語では沢ことを「ナイ」という。北海道の
地名には「ナイ」のついた地名がいくつもみられる。山田秀一の『アイヌ語の地名を歩く』(北海道新聞社)にはその例がいくつもあげられている。朝鮮語のnaeはアイヌ語の「ナイ」と同源である可能性がある。
例:真駒内、幌内、稚内、振内、小樽ナイ川、
【かはづ(河津・蝦)】
上
邊(かみへ)には 千鳥(ちどり)數(しば)鳴(なく) 下邊(しもへ)には 河
津(かはづ)都麻(つま)喚(よぶ)、、(万920)
朝
(あさ)霞(かすみ)鹿火屋(かひや)が下(した)に鳴(なく)蝦
(かはづ)聲(こゑ)だに聞(きか)ば吾(われ)将レ戀
(こひめ)やも(万
2265)
「河津(かはづ)」は「蛙」である。「かはづ」
の朝鮮語はkae ku riである。kae ku riのkaeは中国語の蝦[kea]と同源であろう。
「蛙」の古代中国語音は蛙[ua]であるが、声符である「圭」は圭[kyue]であり、「蛙」の上古音は蛙[kyue*]に近い音であったものと考えられる。日本語の「かはづ」あるいは蛙(かへる)も中国
語の蝦[kea]あるいは蛙[kyue*]から派生したものであろう。
【かまめ(加萬目・鷗)】
海
原(うなばら)は 加萬目(かまめ)立
(たち)多都(たつ) うまし國そ 蜻嶋(あきづしま) 八間跡(やまと)の國は、、(万2)
「加萬目(かまめ)」は「鷗」である。『和名
抄』には「鷗 可毛米(かも
め)、
水鳥也。一名江鷰」とある。朝鮮語の鷗はkal maeである。日本語の「かまめ」あるいは「かもめ」は
朝鮮語のkal maeと同系のことばであろう。
古代中国語の鷗は鷗[io]である。しかし、鷗の声符は區[xio]であることから「鷗」の上古音は鷗[xio*]に近い音であったと推測できる。古代中国語の喉音[x-]は破裂音であり、日本語のカ行に近い。日本語の「かも
め」、朝鮮語のkal maeはいずれも、中国語の上古音、鷗[xio*]と関連のあることばであろう。
【かみ(神)】
韓
國(からくに)の 虎(とらと)云(いふ)神(かみ)を
生取(いけどり)に、、
(万3885)
皇
(おほきみ)は神(かみ)に
し坐(ませ)ば真木(まき)の立(たつ)荒山中(あらやまなか)に海(うみを)成(なす)かも(万241)
朝鮮語の「かみ」はkeum nimである。「神」の朝
鮮漢字音は神(sin)であり、訓(古来の朝鮮語)は神(keum)である。日本語の「かみ」は朝鮮語のkeumと同系のことばであろう。nimは「、、さま」にあたることばである。
「神」の古代中国語音は神[djien]であるとされているが、同じ声符をもった漢字に乾
坤の坤[khuən]があり、「神」の上古音は神[khuən*]に近い音を持っていた可能性がある。日本語の「か
み」は中国語の神[khuən*]とも同系のことばであろう。
「虎と云(ふ)神」では虎も神にされている。本
居宣長は『古事記傳』で古事記の時代の「神」について次のように述べている。
迦微(かみ)と申す名義(なのこゝろ)未だ思ひ得ず。さて凡
そ迦微(かみ)とは、古御
典等(い にしへのふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其(そ)を祀(まつ)れ る社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさら
に
も云ず、鳥(とり)獣(けもの)木草のたぐひ 海山など其餘(そのほか)何(なに)にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可 畏(かし
こ)き物を迦微(かみ)とは云なり。
虎も神であ
り、天皇も神であるとすると「神」とは何かという疑問が、当然わいてくる。日本語の「かみ」には「式部郷(かみ)」(万312題詞)、「右馬頭(かみ)」
(万390左注)、「衛門督(かみ)」(万4262題詞)、「因幡守(かみ)」(万4515題詞)などもあり、役所の首長にももちいられた。
中国語の「神」には鬼神もあり、日本語の
「もののけ」に近いものも「神」と呼ばれた。アイヌ語では神は「カムイ」である。
【かめ(龜)】
我
國(わがくに)は 常世(とこよ)に成(なら)む 圖(ふみ)負(おへ)る 神(くすしき)龜(かめ)も 新代(あらたよ)と 泉(いづ
み)の河(かは)
に、、(万
50)
この歌の意味は「わが国は不老不死の理想郷だと
いう甲羅に模様のある不思議な亀が泉の河にあらわれた」というのである。亀は吉兆のしるしとされていた。
朝鮮語の亀はkeo bukである。「亀」の古代中国語音は亀[kiuə]である。日本語の「かめ」、朝鮮語のkeo bukは中国語の亀[kiuə]と同系のことばであろう。
董同龢は『上古音韵表稿』で龜の上古音を龜[kiwəg*]と再構している。朝鮮語の龜(keo buk)は中国語の龜[kiwəg*]の韻尾の音を留めている可能性がある。
藤堂明保の『学研漢和大辞典』によれば亀には三
つの読み方があるという。
1.支韻:キ(呉音)、キ(漢音)
2.尤韻:ク(呉音)、キュウ(漢音)
3.眞韻:コン(呉音)、キン(漢音)
日本語の亀(かめ)は眞韻の音を継承していると
いえる。「亀」
は久[kiuə]に通ずるところから「久しい」という意味に使われ
ることもある。「亀は万年」というのも、「亀」が「久」と音が通じるからであろう。
【かも(鴨)】
葦
邊(あしべ)行(ゆく)鴨(かも)の
羽我比(はがひ)に霜(しも)零(ふり)て寒(さむき)暮夕(ゆふべ)は倭(やまと)し所レ念
(おもほゆ)(万
64)
前
玉(さきたま)の小埼(をざき)の沼(ぬま)に鴨(か
も)ぞ翼(はね)きる己(おのが)尾(を)に零(ふり)置(おけ)る霜(しも)を掃(はらふ)とに有
(あら)し(万
1744)
一番目の歌(万64)の「鴨(かも)」の朝鮮語
訳にはkal mae giがあてられている。kal mae giは「かまめ(加萬目)」(万2)にも用いられてい
る。
二番目の歌(万1744)では鴨はo riと訳されている。o riは「あひる」あるいは「かも」である。o riは中国語の鴎[o]と同系のことばであろう。鴎[o]と鴨[eap]は音義ともに近い。動物や植物の名前は現代の生物
学的分類と必ずしも一致しないことが多い。
【から(韓)】
韓
國(からくに)の虎(とらと)云(いふ)神(かみ)を生取(いけどり)に、、(万3885)
絹
帯(きぬのおび)を 引帯(ひきおび)成(なす) 韓帯
(からおび)に取為(とらせ)、、
(万3791)
一番目の歌(万3885)の「韓國(からく
に)」の朝鮮語訳は韓国(han kuk)と朝鮮漢字音読みになっている。
二番目の歌(万3791)の「韓國(からく
に)」の朝鮮語訳は韓帯(ka ra
thi)で
ある。帯(thi)は帯(おび)の朝鮮漢字音読みおである。
韓国の古代中国語音は韓[han]である。頭音の[h-]は朝鮮語では韓(han)であらわれるが、訓(古来の中国語音)では韓(ka ra)で、喉音h
はkに転移している。朝鮮語の祖語には喉音(h-)はなかった可能性がある。また、韻尾の[-n]は朝鮮漢字音では韓(han)で-nであらわれるが、訓(古来の朝鮮語)ではraに転移している。
日本語でも音は韓(カン)であり訓は韓(から)
である。は
韓帯(ka ra
thi)のは韓(ka ra)が古い時代の朝鮮語音に対応しているとすれば、日本語の韓(から)は朝鮮語に近い。
日本語では韓(朝鮮)も漢(中国)も「から」である。「唐物」と書いて「からもの」と読まることもある。唐代になっても中国の国名は漢(から)のまま
残った。
【からす(烏)】
暁
(あかとき)と夜烏(よがらす)雖レ鳴
(なけど)此(この)山上(をか)の木末(こぬれ)の於(うへ)は未(いまだ)静(しづけ)し(万1263)
朝
烏(あさがらす)早(はやく)忽(な)鳴(なきそ)吾(わが)背子(せこ)が旦開(あさけ)の容儀(すがた)見(みれ)が悲
(かなし)も(万
3095)
一番目の歌(万1263)の烏(からす)の朝鮮
語訳はkha ma gwiである。
二番目の歌(万3095)の「朝烏」の朝鮮語訳
はa chim <朝>ui kha chi<かささぎ>と訳されている。
kha ma gwiのkha は中国語の鴉[ea]である。「鴉」の声符は牙[ngea]であり、「鴉」の上古音は鴉[ngea*]に近い音であったと考えられる。ui kha chi<かささぎ>は「か
らす」に近い鳥で、中国、朝鮮半島に多く分布する鳥であるが、九州地方にも棲息する。「烏」の朝鮮漢字
音は烏(o)であり、「鴉」は鴉(a)であり、音義ともに近い。
日本語の「からす」は「鴉[ngea]+隹(sae)」であろう。「からす」の「す」は朝鮮語のsaeである。
中国語にも鳥を意味する隹[tjiuəi]ということばもあり、カラス、ウグヒス、カケスな
どの「ス」も「隹」(中国語)・sae(朝鮮語)と同源である。
【かり(鴈)】
離レ家
(いへさかり)旅(たび)にし在(あれ)ば秋風(あきかぜの)寒(さむき)暮(ゆふへ)に鴈(かり)喧(なき)度(わたる)(万1161)
万葉集では「鴈」という漢字が用いられているが
発音も意味も「雁」と同じである。朝鮮語の雁はki
reo giで
ある。
雁の中国語音は雁・鴈[ngean]である。朝鮮語のki reo giは雁[ngean]から派生したもので
あろう。頭音の[ng-]は[k-]と調音の位置が同じ(後口蓋)であり、朝鮮語には
濁音ではじまる音節はないので清音に転移した。また、韻尾の[-n]は[-l]と調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しや
すい。
現代の朝鮮漢字音では雁[ngean]は頭音[ng-]が脱落して雁(an)である。
【き(城)】
天
皇(おほきみ)の 等保(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫國(つくしのくに)は 安多(あた・賊)麻毛流(まもる) 於佐倍(おさへ)の城
(き)そと 聞(きこし)食(をす)、、(万4331)
日本の故地名
などには「城(き)」ということばがしばしば出てくる。水城(みづき)、磐城(いはき)、稲城(いなぎ)、頸城(くびき)、結城(ゆふき)、城崎(きのさ
き)、茨城(いばらぎ)などである。「き」は百済のことばで「城」を意味するという。李基文の『韓国語の歴史』によれば「城(き)」は百済語だという。
百済語で「城」を意味する語が、kï(己、
只)であったことは確実である。例。悦城県
ハ本百済ノ悦 己県、儒城県ハ本百済ノ奴斯只県、潔城県ハ本百済ノ結己郡。、、古代日本語のkï(城、
柵)はこの 百済語の借用だと考えられる。(p.48)
金沢庄三郎は「地名人名等に関する日鮮語の比
較」などのなかで次のように述べている。
我國の古語に城をキといふ。これは柵壁其他の防備物を以て四
邊を取り圍んだ一郭の地の
名で、馬 を放養するをウマキ(牧)、稲を貯積するイナギ(稲城)などのキがそれである。
キと並んでシ
キという語もあり、磯城島(しきしま)、百磯城(ももしき)をはじめとして、飛鳥(あすか)、出雲の須賀(すが)、近江の滋賀、信濃の佐久(さく)、薩摩
の揖宿(いぶすき)などもその系列のことばであるという。(金沢庄三郎「地名人名等に関する日鮮語の比較」による)
【きみ(君・公)】
吾
(わが)念(おもふ)公(きみ)は
虚蝉(うつせみ)の 世人(よのひと)有(なれ)ば 大
王(おほきみ)の 命(みこと)恐(かしこみ)、、(万1453)
二
人(ふたり)行(ゆけ)ど去(ゆき)過(すぎ)難(がた)き秋山(あきやま)を如何(いかにか)君(きみ)が獨(ひとり)越(こゆら)む(万106)
愛
(はしき)やし榮(さかえ)し君(きみ)の
伊座(いまし)せば昨日(きのふ)も今日(けふ)も吾(あ)を召(めさ)ましを(万454)
如レ夢
(いめのごと)所レ念(おもほゆる)かも愛(はしき)やし君
(きみ)が使(つかひ)の麻祢久(まねく・數)通(かよへ)ば(万787)
最初の歌(万1453)には「公(きみ)」と
「大王(おほきみ)」が出てくる。この歌の「公(きみ)」は金思燁の『韓訳萬葉集』ではkeu tae<そなた>が使われている。また、「大王(おほき
み)」はim keum<王・君主>と訳されている。
二番目の歌(万
106)では「君」はne<二人称・君・お前>と訳されている。
三番目の歌(万454)の「君」はnim<恋人・いとしい人>である。
四番目の歌(万787)ではtang sin<あなた・お前さん>と訳されている。tang sinは漢字で書けば「当身」で、現代の朝鮮語でも日常
的に使われている。
古代中国語の「君」は君[giuən]である。日本語の君(きみ)は中国語と同源だが、
現代日本語の二人称の君(きみ)ほど親しみをこめたことばではない。天子、あるいは主君という意味合いが強い。女性が男性の恋人を呼ぶときにも君(きみ)
が使われることがある。
このほかにも、「きみ」にあたる朝鮮語としてはjeo nim<私(謙譲語)の恋人>(万1887)、keu nim<彼の人>(万3318)などがある。また、「大
君」は音でtae
kun(万
3325)な朝鮮漢字音が使われている例もある。
【きり(霧)】
春
山(はるやまの)霧(きりに)惑
在(まとへる)鸎(うぐひすも)我(われに)益(まさりて)物(もの)念(おもはめ)や(万1892)
朝鮮語の霧はan keである。朝鮮語では霧も霞もan keである。an keのkeは中国語の霞[hea]と関係のあることばであろう。日本語でも霞と霧は実態は同じもので、
『時代別国語大辞典~上代編~』によると、「霞は春、霧は秋にいわれることが多い」という。
【くし(君志・<串>)】
籠
(こ)もよ 美籠(みこ)母乳(もち) 布久毛(ふく
し・掘串)もよ 美夫君志
(みぶくし・串)持(もち) 此(この)岳(をか)に 菜(な)採(つ
ま)す兒(こ)、、(万
1)
大野晋は岩波の『日本古典文学大系・萬葉集一』
の頭注で「クシは朝鮮語kos(串)と同源」としている。金思燁もまた『韓訳萬
葉集』で「串」の訓はkotであると注に記している。
串の古代中国語音は串[hoan]であり、朝鮮漢字音は串(hwan)である。朝鮮語の訓(古来の朝鮮語)の串(kot)も、日本語の串(くし)も中国語の串[hoan]ときれいに音韻対応しているわけではないが、意味
が同じであり、同系のことばである可能性がある。
【くしろ(釧)】
珠
(たま)手次(だすき) 不レ懸
(かけぬ)時(とき)無(なく) 口(くち)不レ息
(やまず) 吾(わが)戀(こふる)兒(こ)を 玉釧
(たまくしろ) 手(て)に取(とり)持(もち)て、、(万1792)
「釧」の朝鮮語はku seulであり、日本語の釧(くしろ)と同源である。
「釧」の
古代中国語音は釧[thjyuən]であり、日本漢字音は釧(セン)である。しかし、
釧の上古音は釧[hjyuən*]に近い音であった可能性があり、日本語の釧(くし
ろ)、朝鮮語のku seulは中国語の「釧」の上古音 釧[hjyuən*]の痕跡を留めているものであると考えることもできる。
北海道の
地名の釧路は釧だけでは釧(くしろ)と読めなくなってしまったため「路」を付け加えて読みやすくしたものである。
朝鮮語のku seulは「珠(たま)」(万12)、「玉の緒」(万
3081)にも用いられている。
【くち(口)】
珠
(たま)手次(だすき) 不レ懸(かけぬ)時(とき)無(なく)
口(くち)不レ息(やまず)、、(万1792)
波
流(はる)の野(の)に久佐(くさ)波牟(はむ・喫)古麻(こま・駒)の久
知(くち・口)夜麻受(やまず)安(あ・吾)を思努布(しのぶ)らむ伊敝(い
へ・家)の兒(こ)ろはも
(万
3532)
「口(くち)」は朝鮮語の訓では口(ip)であり、音では口(ku)である。上記の歌ではいずれもipと訳されている。日本語の「云う」は朝鮮語のipと同系のことばではないかと云われている。
古代中国語の「口」は口[kho]である。中国語の口語では「口」のことを「嘴(zui)」という。日本語の「口(くち)」も中国語の「口[kho]+嘴[tziue]」と同系のことばであろう。
大野晋の『日本語の起源』(旧版)によれば朝鮮
語の南部方言では「口」のことを口(kul)というという(p.178)。朝鮮語では中国語の韻尾[-t]は規則的に(-l)に転移するから、朝鮮語の南部方言の口(kul)も日本語の口(くち)と同源であろう。
【くつ(久都・靴)】
信
濃道(しなのぢ)は伊麻(いま・今)の波里美知(はりみち)可里
婆祢(か
りばね)に安思(あし・足)布麻(ふま)しなむ久都(くつ・靴)波氣(はけ)和我(わが)世(せ・背)
(万
3399東歌)
金思燁の『韓訳萬葉集』では「久都」はku duと訳されていて、日本語の靴(くつ)に音義ともに
近い。日
本語の「くつ」は朝鮮語のku duと同源語であろう。日本語の「くつ(靴)」は中国
語の「靴[xuai]+ 沓[dəp]」と同源である可能性もある。
靴(くつ)にあたる朝鮮語は、sin<靴・履物>(万3791)、sin pal<履物>(万1807)などと訳されている例もあ
る。
万葉集の時代には靴は渡来人や貴族が儀礼用に履
くもので、庶民は裸足だったらしい。皮製のほか木製、布製のものもあった。正倉院には女子用の錦張りで刺繍のあるものが使わっている。古墳などから出土す
るもののなかには漆塗りのものもあるという。
【くに(國)】
家
(いへ)吉閑(きかな) 名(な)告(のら)さね そらみつ 山跡(やまと)の國
(くに)は、、(万1)
國の古代中国語音は国[kuək]である。日本語の「くに」とは頭音は対応するが、
韻尾は対応していない。スウェーデンの言語学者B.カールグレンは日本語の「くに」は中国語の郡[giuən]ではないかとしている。確かに、朝鮮半島には紀元
前にすでに樂浪郡など漢の植民地がおかれていて、それぞれの郡は「くに」と意識されたかもしれない。中国人からすると山跡(やまと)も郡(くに)のひとつ
であった可能性がないとはいえない。
金思燁の『韓訳萬葉集』では「山跡(やまと)の
國」はya ma to<大和>na ra<国>」と訳されている。朝鮮語はna raは國である。古代日本の首都である奈良も朝鮮語のna raと同源ではないかといわれている。
【くま(熊)】
荒
熊(あらくま)の住(すむと)云(いふ)山(やま)の師齒迫山(しはせやま)責(せめ)て雖レ問
(とふとも)汝(なが)名(な)は不レ告
(のらじ)(万
2696)
朝鮮語の「くま」はkomである。「熊」の古代中国語音は熊[hiuəm]である。朝鮮語の熊(kom)は古代中国語の喉音[hiuəm]かkであらわれたもので、古代中国語音の痕跡を留めて
いる。
日本語の熊(くま)も古代中国語の熊[hiuəm]の喉音[h-]がカ行であらわれたものである。中国語の喉音[h-]は日本語にはない発音であるが、調音の位置が日本
語のカ行(後口蓋音)に近く、日本語の訓ではカ行であらわれることが多い。日本漢字音では喉音[h-]は脱落して熊(ユウ)
となっている。
例:雲[hiuən](くも・ウン)、越[hiuat](こえる・エツ)、煙(けむ・エン)、黄[huang](き・ オウ)、
また、同じ声符をもつ漢字でカ行とア行に読み分
けるものもいくつかみられる。ア行音は上代中国語の喉音[h-][k-]などが介音[-i-]などの影響で脱落したものである。
例:緩[huan]カン・援エン、軍[hiuən]グン・運ウン、渇[hat]カツ・謁エツ、黄[huang]コウ・オウ・横 オウ、景[kyang]ケイ・影エイ、國[kuək]コク・域イキ、甲[keap]コウ・鴨オウ、公[kong]コウ・翁 オウ、奇[kiai]キ・椅イ、可[khat]カ・阿ア、区[khiu]ク・欧オウ、狂[giuang]キョウ・王オウ、 牙[ngea]ガ・鴉ア、
【くも(雲)】
三
輪山(みわやま)を然(しか)も隠(かくす)か雲(く
も)だにも情(こころ)有(あら)なも可苦佐布(かくさふ)べしや(万18)
春
楊(はるやなぎ)葛山(かづらぎやまに)發(たつ)雲
(くもの)立座(たちてもゐても)妹(いもをしぞ)念(おもふ)(万2453)
朝鮮語の「くも」はku reumである。「雲」の古代中国語音は雲[hiuən]である。朝鮮語のku reumは中国語の雲[hiuən]の頭音[h-]がカ行に転移したものである。「雲」の朝鮮漢字音
は雲(un)である。 「雲」は日本語では音が雲(ウン)、訓が雲(く
も)であり、朝鮮語と酷似している。
中国語の喉音[h-]は介音[-i-]の発達によって脱落した。それが日本漢字音の雲
(ウン)、朝鮮漢字音の雲(un)に反映されているのであろう。唐代の中国語原音は
すでに喉音[h-]が脱落して雲[iuən]に近い音だったと思われる。韻尾[-n]は日本語ではナ行またはマ行であらわれることが多
い。ナ行・マ行はいずれも鼻音であり、調音の方法が同じである。
日本語の「くも」、朝鮮語のku-reumはいずれも中国語の雲[hiuən]と同源であろう。中国語の雲[hiuən]は一音節であるが、朝鮮語では雲(keu reum)と二音節に表記している。このことは古代朝鮮語が
開音節(母音で終わる音節)であったことを示唆しているといえる。
【くも(久毛・蜘蟵)】
可
麻度(かまど)には 火気(ほけ)布伎(ふき・吹)多弖受(たてず) 許之伎(こしき・甑)には 久毛(くも・蜘蟵)の須(す・巣)かきて、、(万892)
久毛(くも)は音表記であるが、漢字では蜘蟵
(くも)である。朝鮮語の「くも」はkeo-miであり、音義ともに日本語に近い。日本語の「く
も」は朝鮮語と同源であろう。
【くろ(黒・玄)】
居
(ゐ)明(あかし)て君(きみ)をば将レ待
(またむ)ぬばたまの吾(わが)黒髪(くろかみ)に
霜(しも)は零(ふれ)ども(万
89)
ぬ
ばたまの玄髪山(くろかみやま)を
朝(あさ)越(こえ)て山下(やました)露(つゆ)に沾(ぬれに)けるかも(万1241)
朝鮮語で「くろい」はkeom eulである。語幹のkeomは日本語の「くろ」に近い。古代中国語の「黒」は
黒[xək]、「玄」は玄[hyuen]である。喉音[h-][x-]は日本語にはない音であり、調音の位置が日本語の
カ行に近いため、日本語ではカ行であらわれることが多い。玄[hyuen]の韻尾[-n]は調音の位置が[-l]と同じ(歯茎の裏)であり転移しやすい。
黒[xək]の韻尾[-k]は調音の位置も方法も日本語のラ行とは違うが、中
国語の韻尾[-k]が日本語でラ行であらわれる例はないことはない。
韻尾[-n]がラ行であらわれる例:漢[xan]から、塵[dien]ちり、雁[ngean]かり、邊[pyen] へり、干[kan]
ひる、
韻尾[-k]がラ行であらわれる例:色[shiək]いろ、腹[piuək]はら、殻[khək]から、識[sjiək]しる、織[tjiək]
おる、夜[jyak]よる、
日本語の「くろ」、中国語の「黒」「玄」、朝
鮮語のkeomは同系のことばであろう。
【けぶり(煙)】
山
常(やまと)には 村山(むらやま)有(あれ)ど 取(とり)よろふ 天乃香具山(あめのかぐやま) 騰(のぼり)立(たち) 國見(くにみ)を為(す
れ)ば 國原(くにはら)は 煙(けぶり)立
(たち)たつ、、(万
2)
「煙」の朝鮮漢字音は煙(yeon)である。朝鮮語の訓(古来の朝鮮語)は煙(yeon gi)である。yeon gi はyeon<煙> gi<氣>であろう。古代中国語の「煙」は煙[yen]である。朝鮮語の「煙」は音(yeon)も訓)(yeon gi)も中国語から派生したことばである。訓のほうが古
く、音のほうが新しい。
「煙」の日本漢字音は煙(エ
ン)、訓は煙(けぶり)である。唐代の中国語音は煙[yen]であるが、「煙」の祖語(上古音)は煙[hyen*]であであったと考えられる。頭音の[h-]は唐代になると介音[-y-]の発達によって失われて煙(エン)になった。日本
語の煙(けぶり)は
上古中国語音の煙[hyen*]の痕跡を留めたものであり、音の煙(エン)は唐代
の音
を規範としたものである。
古代中国語の煙[yen]、日本漢字音の煙(エン・けむり)、朝鮮語の煙(yeon gi)はいずれも同源
である。
【こ(子・兒)】
憶
良(おくら)等(ら)は今(いま)は将レ罷
(まからむ)子(こ)将レ哭
(なくらむ)其(そを)被(おふ・負)母(はは)も吾(われ)を将レ待
(まつらむ)そ(万
337)
父
母(ちちはは)に不レ令レ知
(しらせぬ)子(こ)故(ゆ
ゑ)三宅道(みやけぢ)の夏野(なつのの)草(くさ)を菜積(なづみ)來(くる)かも(万3296)
山
際(やまのま)従(ゆ)出雲(いづもの)兒等(こら)は
霧有(きりなれ)や吉野山(よしののやまの)嶺(みね)にたなびく(万429)
念
有(おもへり)し 妹(いも)には雖レ有
(あれど) 憑有(たのめり)し 兒等(こら)
には雖レ有
(あれど) 世間(よのなか)を 背(そむき)し不レ得
(えね)ば、、(万
210)
一番目の歌(万337)の「子(こ)」はa iと訳されている。a iのiは中国語の兒[njie]の頭音が脱落したものであろう。朝鮮漢字音では中
国語の日母[nj-]は規則的に脱落する。
例:日本(il bon)、熱(yeol)、入(ip)、など
朝鮮語のa iは小兒(わらは)の訳として用いられることもある
(万3842)。また、a iはaeと一音節になってあらわれることもある(万
3222)。
二番目の歌(万3296)の「子」はa gaである。中国語の「兒」と同じ声符を持った漢字に
睨[ngie]がある。中国語の兒[njie]は兒[ngie]に音価が近かった。a gaのgaは兒[ngie]と同系のことばである。日本語の「赤ちゃん」は朝
鮮語のa gaと同系のことばであろう。
三番目の歌(万429)の「兒(こ)」はa ga ssi<お嬢さん>と訳されている。a ga ssiは未婚の女性の呼称である。
朝鮮語にはa gi<赤ちゃん>ということばもある。日本書紀歌謡に
「いざ、阿藝(あぎ)、怒(の)に比蘆(ひる)つみに、、」という歌があり、「あぎ(我君・我兒)」は古代日本語では二人称に親しく呼びかけることばであ
る。日本語の「阿藝(あぎ)」も朝鮮語のa giあるいはa iと同系のことばであろう。
四番目の歌(万210)の「兒(こ)」はa nae<妻、家内>と訳されている。この場合「兒
(こ)」は前の「妹(いも)」を受けていると思われるのでa
naeと
訳したのであろう。
朝鮮語で「つま(妻)」はa naeと呼ばれることもある。日本語の「姉(あね)」は
朝鮮語のa naeの意味が転移したものである可能性がある。
【こと(言)】
謂
(いふ)言(こと)の恐(か
しこき)國(くに)そ紅(くれなゐ)の色(いろに)莫(な)出(いで)そ念(おもひ)死(しぬ)とも(万683)
言
(ことに)出(いでて)云(いはば)忌々(ゆゆしみ)山川(やまかは)のたぎつ心(こころを)塞(せか)耐(へ)在(たりけ
り)(万
2432)
最初の歌(万
683)の「謂(いふ)言(こと)」は金思燁の『韓訳萬葉集』でははmalと訳している。朝鮮語の「言(こと)」あるいは「ことば」はmalである。朝鮮語ではmalは名詞にも動詞(言う)にも使われる。
二番目の歌(万2432)では「言(こと)」はip、「言(いふ)」にはmalをあてている。朝鮮語のipは「口」であり「言(こと)」にも用いられる。日
本語の「云う」は朝鮮語のipと同源であるという。
古代中国語音は言[ngian]である。朝鮮語のmalは中国語の言[ngian]の転移したものであろう。中国語の疑母[ng-]は朝鮮語の[m-]と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやす
い。また、韻尾の[-n]は[-l]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。
中国語の言[ngian]は日本語では言(こと)に転移
するが、朝鮮語では言(mal)に転移する。転移する方向
は違っているが、いずれも音韻転移の法則にあっている。中国語の疑母[ng-]は調音の位置が日本語のカ行音と同じ(後口蓋)であり、転移しやすい。また、韻尾の[-n]は[-t]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。
日本語でも中国語の[ng-]がマ行であらわれる例がある。また、韻尾の[-n]がラ行であらわれる例もある。
[ng-]がマ行であらわれる例:芽[ngea](ガ・め)、御[ngia](ゴ・み)、眼[ngean(ガン・め)、
元[ngiuan(ゲン・もと)、迎[ngiang](ゲイ・むかへる)、雅[ngea]美(ガ・みやび)、
韻尾の[-n]がラ行であらわれる例;漢[xan]・韓[han](から)、、雁[ngean](かり)、玄[hyuen]
(くろ)、昏[xuən](くれ)、塵[dien](ちり)、邊[pyen](へり)、巾[kiən](きれ)、
日本語の訓で韻尾の[-n]がタ行であらわれる例:管[kuan](くだ)、肩[kyan](かた)、腕[uan]
(うで)、堅[kyen](かたい)、本[puən](もと)、断[duan](たつ)、満[muan](みつる)、
日本語の動詞「言(かたる)」も「言(こと)」
の動詞形であろう。
中国語の言[ngian]が日本語では言(こと)になり、朝鮮語では言(mal)に
転移している。同じ漢字文化圏でも受け入れる側のことばの音韻構造により、転移のしかたが異なる。また、何時の時代の音を受け入れたかによっても、発音は
異なる。中国と日本、あるいは中国と朝鮮の交流の歴史は三千年にも及ぶ。唐代の中国語音に準拠したもの以外はすべて訓(「やまとことば」あるいは古来から
の朝鮮語)だと考えることはできない。
音韻の転移には一定の法則がある。中国の音韻学
者 王力は『同源字典』のなかで「音近ければ義近し」といっている。調音の位置が同じ音は転移しやすい。また、調音の方法が同じ音は音価も近く転移しやす
い。
次の表では横の列は調音の位置が同じものであ
り、縦の列は調音の方法が同じ音を並べてある。
清 音
有気音
濁 音
鼻濁音
清濁音
後口蓋音
[k]
[kh-]
[g-]
[ng]
歯茎 音
[t]
[th-]
[d-]
[n]
[l]
唇 音
[p]
[ph-]
[b-]
[m]
日本語の言(こと)への転移は音韻法則に合って
いる。言[ngian]の頭音[ng-]は[k-]と調音の位置が同じ(後口蓋)であり、韻尾の[-n]は[t]と調音の位置が同じ(歯茎の裏)である。
また、朝鮮語の言(mal)への転移も音韻法則に合っている。言[ngian]の頭音[ng-]は[m-]と調音の方法が同じ(鼻濁音)であり、韻尾の[-n]と[-l]は調音の位置が同じ(歯茎の裏)である。
【こひ(戀)】
大
夫(ますらを)や片戀(かたこひ)将レ為
(せむと)嘆(なげけ)ども鬼(しこ)の益卜雄(ますらを)なほ戀(こひ)にけり(万117)
葦
邊(あしべ)徃(ゆく)鴨(かも)の羽音(はおと)の聲(おと)耳(のみに)聞(きき)つつもとな戀(こひ)度(わたる)かも(万3090)
何
時(いつはしも)不レ戀
(こひぬ)時(ときとは)雖レ不レ有
(あらねども)夕方(ゆふがた)任(まけて)戀(こひ
は)無乏(すべなし)(万2373)
最初の歌(万117)の「戀」は金思燁の
『韓訳萬葉集』ではsa rangと訳されている。朝鮮語の「戀」はsa rangである。
二番目の歌(万3090)の「戀」はkeu riと訳されている。朝鮮語のkeu riは「恋こがれる」という意味である。日本語の「こ
ひ」は朝鮮語のkeu riに音義ともに近い。
三番目の歌(万2373)の「戀(こひ)ぬ時」
の「戀」はkeu rip<恋しい>、「戀は無乏(すべなし)」の「戀」はsa rangと訳している。sa rangは名詞形であり、keu riあういはkeu ripは形容詞や動詞に使われる。
【こほり(郡)】
「右
の一首朝夷(あさひなの)郡(こほり)上
丁丸子の連(むらじ)大歳(おほとし)のなり」
(万
4353左注)
「右
は、郡司(こほりのつかさ)
巳下子弟巳上の諸人多く集二此
會一(こ
の會につどふ)」
(万4071左注)
万葉集には日本語の郡(こほり)を詠み込んだ歌
はないが、漢文の注には「郡」が使われていて、「こほり」と読みならわされている。朝鮮語で「郡」にあたることばにko-eulがある。日本語の郡(こほり)は朝鮮語のko eulと同系のことばであろう。
「郡」の古代中国語音は郡[giuən] である。韻尾の[-n]は日本語ではラ行であらわれることが多い。日本語
の郡(こほり)、朝鮮語のko eulはいずれも中国語の郡[giuən] 」から派生したことばであ
ろう。
朝鮮半島には紀元前108年、漢の武帝によって楽浪郡、帯方郡など四郡が植
民地として置かれた。現代の朝鮮漢字音は郡(kun)であるが、楽浪郡などの時代には郡(ko eul)と呼ばれた可能性がある。郡(kun)も郡(ko eul)も中国語の郡[giuən]と同源であろう。
金思燁の『韓訳萬葉集』では「村」(万277)
や「小国(をぐに)」(万3311)にもko
eulと
いうことばが使われている。
【こま(高麗)】
高
麗(こま)劔(つるぎ)己(な)が景迹(こころ)故(から)外(よそ)耳(のみに)見(み)つつや君(きみ)を戀(こひ)渡
(わたり)なむ(万
2983)
日本では高麗のことを「こま」という。古代日本
語ではラ行音が語頭にたつことがなかったので麗[lyai]はマ行に転移した。漢字のなかには同じ声符をラ行
とマ行に読み分けるものがある。[l-]と[m-]は調音の位置が近く転移しやすい。
例:陸(リク)・睦(むつ)、勵(レイ)・萬(マ
ン)、
また、日本漢字音でも音でラ行であらわれることば
が訓ではマ行であらわれることが多い。
例:覧[lam](ラン・みる)、乱[luan](ラン・みだる)、嶺[lieng](レイ・みね)、戻[lyet](レイ・ もどる)、両[liang](リョウ・もろ)、椋[liang](リョウ・むく)、漏[lo](ロウ・もる)、
「高麗」の朝鮮漢字音は高麗(ko ryeo)である。日本語の高麗(こま)は高麗(ko ryo)の転移したものである。
【こり・凝】 伊
勢(いせ)の國(くに)は 奥(おき)つ藻(も)も 靡(なびき)し波(なみ)に 塩気(しほけ)のみ 香乎礼流(かをれる)國(くに)に 味凝(うまこ
り) 文(あや)に乏(ともし)き 高照(たかてらす) 日(ひ)の御子(みこ)(万162)
「味(うま)こり」は「文(あや)」にかかる枕
ことばである。大野晋は岩波古典文学大系の頭注で「コリは朝鮮語keul(文・綾)と同源。」としている。朝鮮語のkeulは文・文章の意味である。「うまこり 文(あ
や)」は「朝鮮語の文(keul)と日本語の「文(あや)」をかけた、かけことばで
ある。
金沢正三郎の『日韓古地名論考』によると、「朝
鮮では今日なほ天をha neul cheon、地をsta jiの如く、漢字を音訓両点でいふ」という。ha neul<「天」の訓>cheon<「天」の朝鮮漢字音>、sta<「地」の訓>ji<「地」の朝鮮漢字音>のごとくである。
万葉集の枕詞にも「わたつみ」<朝鮮語の海(pa
da)>
<日本語の海(うみ)>のように両点(二か国語
併記)とみられるものがある。「うまこり」「文(あや)」もそのひとつである。
日本でも古くは文選読みといって音訓を並べて読
むことがあった。例えば『千字文』の最初の部分は次のように読む。
天地玄黄 テンチのあめつちは クエンクワウとくろく・きなり。
宇宙洪荒 ウチウのおほぞらは コウクワウとおほいにおほきなり。
【さけ(酒)】
中
々(なかなか)に人(ひと)と不レ有
(あらず)は酒壺(さかつぼ)に
成(なり)にてしかも酒(さけ)に
染(しみ)なむ(万
343)
朝鮮語では「酒」のことをsulという。sulは音義ともに日本語の「さけ(酒)」に近い。古代
中国語の酒は酒[tsiu]である。酒はは酢[dzak]あるいは醋[syak]に近い。日本語の
「さけ」の「け」あるいは朝鮮語のsulの韻尾(-l)は上古音の酒[tsiuk*]の韻尾[-k]の痕跡を留めているものであろう。
酒をつくる人のことを記紀万葉の時代の日本語で
は「すすこり」という。古事記歌謡に「すすこり」を歌った歌がある。
須
須許理(すすこり)が 醸(か)みし御酒(みき)に 我(われ)醉(ゑ)ひにけり ことな酒(ぐし) 笑(ゑ)酒(ぐし)に 我(われ)醉(ゑ)ひにけり(古事記歌謡)
「須須許理(すすこり)」は杜氏であり、酒(sul)を司ることからこの名前がある。「酒壺」は朝鮮語
ではsul tokである。日本語の「徳利」は朝鮮語のtukと関係があるのではあるまいか。
【さつや(矢)】
大
夫(ますらを)の得物矢(さつや)手
挿(たばさみ)立向(たちむかひ)射(い)る圓方(まとかた)は見(みる)に清潔(さやけ)し(万61)
古代中国語の「矢」は矢[sjiei]である。また、「矢」と同じ声符をもった漢字に
「疾」がある。「疾」の古代中国語音は疾[dziet]であるとされている。「矢」の祖語(上古音)には
矢[sjiet*]のような韻尾があって、それが朝鮮語の矢(sal)にその痕跡を残しているのではあろう。
日本語の矢(や)は矢[sjiei]の頭音が脱落したものであり、朝鮮語の矢(sal)は上古中国語の矢[sjiet*]の転移したものである。矢(さつや)は朝鮮語のsalと日本語の「や」を重ねた、いわゆる両点(二か国
語併記)である。
大野晋は岩波古典文学大系のなかで次のように述
べている。「朝鮮語で矢をsalという。朝鮮語の語末のlは日本語ではtに対応するものが少なくない。例えば、pəl(蜂)→pati(蜂)、kəl(徒歩)→kati(徒歩)、keul(複数形の語尾)→tati(たち、複数接尾辞)、kul(口)→kuti(口)などである。従って朝鮮語のsalは日本語のサツ、サチ satu、satiと対応するものであろう。」(補注61)
古事記、日本書紀に海幸彦、山幸彦の物語が出て
くるが、「幸」は原文では「佐知」であり、朝鮮語の矢(sal)と関係のあることばではなかろうか。物語の最後に
は佐比持(さひもち)の神という神が出てくるが、佐比は刀剣をもっている神と解釈されている。
【さで(小網)】
三
川(みつかは)の淵瀬(ふちせ)も不レ落
(おちず)左提(さで・小網)刺
(さす)に衣手(ころもで)潮(ぬれぬ・濡)干(ほす)兒(こ)は無(なし)に(万1717)
「さで」とは「さで網」のことで、魚をすくい取
るのに使う網である。大野晋は岩波古典文学大系の頭注で「小網―さであみ。手もとを狭く浅く、前方を深く広くした網。魚をすくいとる。朝鮮語sadul (A dipper shaped fishing net with a long
handle.Prov.)(Galeの韓英辞典)と同源」としている。
金思燁の『韓訳萬葉集』では「小網(さで)」はsa do loと訳している。
【さと(里・郷)】
吾
里(わがさと)に大雪(おほゆき)落有(ふれり)大原(おほはら)の古(ふり)にし郷(さと)に落(ふら)まくは後(のち)(万103)
飛
鳥(とぶとりの)明日香(あすか)の里(さと)を
置(おき)て伊奈婆(いなば・去)君(きみ)が當(あたり)は不レ所レ見
(みえず)かもあらむ(万
78)
金思燁の『韓訳萬葉集』では、最初の歌(万
103)の「里(さと)」・「郷(さと)」はma
eulと
訳している。朝鮮語のma eulは日本語の村(むら)に対応することばである。韓
国ではセマウル運動という「新しい村」づくり運動が1970年代からはじまり、ソウルから釜山に向かう急行列
車はセマウル号と名づけられてた。sae
ma eulのsaeは「新しい」という意味で、sae ma
eulと
は「新しい村」である。
二番目の歌(万78)の「里(さと)はko eulと訳している。里(ko eul)は日本語の郡(こほり)にあたることばである。
「郡」の古代中国語音は郡[giuən]であり、「郡」は朝鮮語のko eulに音義ともに近い。
【さむし(寒)】
流
経(ながらふる)妻(つま)吹(ふく)風(かぜ)の寒
(さむき)夜(よ)に吾(わが)勢(せ・背)の君(きみ)は獨(ひとり)か宿(ぬ)らむ(万59)
朝鮮語の「寒い」にchanである。金思燁の『韓訳萬葉集』では「風の寒(さ
むき)夜」は「chan<寒い> pa ram<風> pul<吹く> eo chi neun
i<この> pam<晩>」と訳されている。日本語の「さむい
(寒)」は朝鮮語のchanと同源である可能性がある。
古代中国語の「寒」は寒[han]である。朝鮮語の寒(chan)は中国語の寒[han]の転移したものであろう。同じ声符
の漢字をカ行とサ行に読み分けるものをいくつかあげることができる。サ行音はカ行音が摩擦音化したものである。
例:寒[han]カン・塞[sək]ソク、賢[hyen]ケン・腎[zjieən]ジン、感[həm]カン・鍼[tjiəm]シン、喧[xiuan] ケン・宣[siuan]セン、訓[xiuən]クン・川[thjyuan]セン、絢[xyuen]ケン・旬[ziuən]ジュン、嚇[xeak] カク・赤[thjyak]セキ、吸[xiəp](キュウ・すふ)、
【しか・か(鹿)】
暮
(ゆふ)去(され)ば小倉山(をぐらのやま)に鳴(なく)く鹿
(しか)は今夜(こよひ)は不レ鳴
(なかず)寐宿(いねに)けらしも(万1511)
山
妣姑(やまびこ)の相(あひ)響(とよむ)まで妻(つま)戀(ごひ)に鹿
(か)鳴(なく)山邊(やまべ)に獨(ひとり)耳(のみ)為(し)て(万1602)
朝鮮語の「しか(鹿)」はsa seum である。日本語の古語には「しし(猪鹿)」という
ことばもあり、日本語の「しし」は朝鮮語のsa seumと同源だとされている。
鹿の古代中国語音は鹿[lok]であり、「鹿」は鹿(しか)あるいは鹿(か)とも
呼ば
れた。 日本語の鹿(しか)は中国語の「猪[tjio]+鹿[lok]」である可能性がある。古代日本語に
は拗音(シャ・ショなど)はなかったから直音で猪(し)となった。
鹿[lok]の上古音には入りわたり音があり鹿[hlok*]のような音であったと考えられている。日本語の鹿
(か)は入りわたり音[h-]の痕跡を留めたものであろう。
【しき(城)】
礒
城嶋(しきしま)の 日本國(やまとのくに)に 何方(いかさまに) 御念(おもほし)食(めせ)か つれも無(なき) 城上
(きのへの)宮(みや)に
大殿(おほとの)を つかへ奉(まつり)て、、(万3326)
咲
花(さくはな)の色(いろ)は不レ易
(かはらず)百石城(ももしき)の
大宮人(おほみやびと)ぞ立(たち)易(かはり)ける(万1061)
「ももしきの」は「大宮」あるいは「日本(や
まと)」にかかる枕詞である。記紀万葉では「城」を城(き)あるいは城(しき)と読むことが多い。
李基文の『韓国語の歴史』によると、「百済語で
「城」を意味する語が、kï(己、只)であったことは確実である。例。悦城県
ハ本百済ノ悦己県、儒城県ハ本百済ノ奴斯只県、潔城県ハ本百済ノ結己郡。この語は新羅語にも高句麗語にも見ることができないものである。古代日本語のkï(城、柵)はこの百済語の借用だと考えられる。」(p.48)という。また、「古代日本語のtsasi(城)は、新羅語のcas(城)であるに違いない。」(p.77)という。
朝鮮語のcasも中国語の城[zjieng]あるいは塞[sək]と関係のあることばであろう。朝鮮語のcasも中国語の城[zjieng]あるいは塞[sək]と関係のあることばであろう。日本書紀では「城」
は「さし」と読まれている。
三
月(やよひ)に、伴跛(はへ)、城(さし)を
子呑(しとん)・帯沙(たさ)に築きて、、
(紀・継体8年)
【しし(十六・猪鹿)】
十
六(しし)こそは いはひ 拝(をろが)め 鶉(うづら)こそ いはひ廻(もとほ)れ 四時自物(ししじもの) いはひ拝(を
ろが)み、、、(万
239)
朝
獦(あさかり)に 十六(しし)履
(ふみ)起(おこ)し 夕狩(ゆふがり)に 十里(とり・鳥)蹋(ふみ)立(たて) 馬(うま)並(なめ)て、、(万926)
万葉集の時代には猪も鹿も「シシ」といった。「十
六」というのは「四×四=十六」であることによるもので、いわゆる戯書とよばれる表記法である。
朝鮮語では「鹿」のことをsa seumという。日本語の「しし」は朝鮮語のsa seumと同源であろう。古代中国語の「猪」は猪[tjio]である。猪[tjio]が摩擦音化して猪(し)になった可能性がある。古
代日本語の「猪」は猪(チョ)というよう拗音ではなく、直音であった。「しし」は猪鹿ばかりでなくその肉をあらわすこ
ともある。
宍
(しし)待(まつ)と 吾(わが)居(をる)時(とき)に 佐男鹿(さをしか)の 來(き)立(たち)嘆(なげか)く、、吾
(わが)宍(しし)は 御
(み)奈麻須(なます)波夜志(はやし)、、(万3885)
金思燁の『韓訳萬葉集』では「宍待つと」の
「宍」にはsa seumをあて、「さ男鹿」にはsus<雄> sa seum<鹿>としている。また、「吾(わが)宍(し
し)」にはsal<動物の肉>をあてている。
【しぶたに(澁谿)】
澁
谿(しぶたに)の二上山(ふたかみやま)に鷲(わし)ぞ子(こ)産(む)と云(いふ)指羽(さしば)にも君(きみ)が御為(み
ため)に鷲(わし)ぞ子
(こ)生(む)と云(いふ)
(万
3882)
「澁」の朝鮮漢字音は澁(sap)であり、訓(古来の朝鮮語)は澁(theolp)である。金思燁の『韓訳萬葉集』では「澁谿」はtheolp<澁> kol<谷>と意訳している。
古代中国語の「澁」は澁[shiəp]である。「澁」の祖語(上古音)が澁[tjiəp*]に近い音だった考えられる。朝鮮語のtheolpは中国語の上古音、澁[tjiəp*]に準拠したことばであろう。
日本語の「しぶい」は
唐代の中国語音、澁[shiəp]を規範としている。日本漢字音の澁(ジュウ)は音
便形である。古代中国語の韻尾[-p]は日本漢字音では音便化することが多い。
例:蝶[thyap](てふ・チョウ)、甲[keap](かふ・かぶと・コウ)、合[həp](あふ・ゴウ)、
吸[xiəp](すふ・キュウ)、雑[dzəp](さひ<雑賀・さひが>・ザツ・ゾウ<雑煮>)、
【しほ(潮・塩)】
熟
田津(にきたづ)に船乗(ふなのり)せむと月(つき)待(まて)ば潮
(しほ)もかなひぬ今(いま)は許藝(こぎ)乞(いで)な(万8)
然
(しか)の海人(あま)は軍布(め)苅(かり)塩(し
ほ)焼(やき)無レ暇
(いとまなみ)髪梳(くしげ)の小櫛(をぐし)取(とり)も不レ見
(みな)くに(万
278)
日本語の「しほ」は潮にも塩にも使われる。朝鮮
語では潮はpa dat mul<海+水>であり、塩はso geumである。
「潮」の古代中国語音は潮[diô]である。日本語の「しほ」は潮[diô]の頭音が[-i-]介音の影響で摩擦音化して、サ行に転移したもので
ある。
「塩」の古代中国語音は塩[iəm]である。「塩」の祖語(上古音)には入りわたり音[h-]があった可能性がある。「塩」の上古音が塩[hiəm*]に近い音であったとすれば、朝鮮語のso geumのgeumは上古中国の塩[hiəm*]と同源である可能性がある。日本語の塩(しほ)は
潮[diô]を援用したものである。
【しま(嶋)】
彼
此(をちこち)の 嶋(しま)は
雖レ多
(おほけど) 名(な)細(ぐは)し 狭岑(さみね)の嶋
(しま)の 荒礒面(ありそも)に 廬作(いほりて)見(みれ)ば、、(万220)
朝鮮語では島のことをseomという。日本語の「しま」は朝鮮語のseomと同源であろう。 古代中国語の「島」は島[tô]である。日本語の「しま」は中国語の洲[tjiu]と関係のあることばではないかとも言われている。
【しも(霜)】
葦
邊(あしべ)行(ゆく)鴨(かも)の羽我比(はがひ)に霜
(しも)零(ふり)て寒(さむき)暮夕(ゆふべは)倭(やまと)し所レ念
(おもほゆ)(万
64)
「霜」の朝鮮漢字音は霜(sang)であり、訓(古来の朝鮮語)は霜(seo ri)である。「霜」の古代中国語音は霜[siang]である。朝鮮語の霜(seo ri)も中国語の霜[siang]から派生したものではあるまいか。古代朝鮮語には
中国語の韻尾[-ng]に相当するものがなかったので、霜[siang]は朝鮮語ではseo riと二音節になったと考えられる。
日本漢字音でも中国語の韻尾[-ng]がラ行であらわれるものが見られる。
例:城[zjieng]しろ、平[bieng]ひら、香[xiang]かをり、狂[giuang]くるう、軽[khyeng]かるい、
幌[huang]ほろ、経[kyeng]へる、広[kuang]ひろい、容[jiong]いれる、
日本語の霜(しも)は古代中国語音の霜[siang]の韻尾[-ng]がマ行に転移したものである。[-ng]と[-m]は調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやす
い。
例:公[kong]きみ、状[dziang]さま、鏡[kyang]かがみ、灯[təng]ともる、停[dyeng]とまる、
醒[syeng]さめる、澄[diəng]すむ、
朝鮮語の「霜」は音が霜(sang)であり、訓は霜(seo ri)である。ハングルは李朝時代にできたものであり、霜(sang)は李朝時代の朝鮮漢字音をあらわしていると考えら
れる。
古代朝鮮語のことはよく分かっていないが、古代朝鮮語には中国語の韻尾[-ng]のような音がなかったために、古代朝鮮語では霜(seo ri)になり、後に音では霜(sang)と読むようになったと考えることができる。
【しらたま(真珠・白玉)】
真
珠(しらたま)は緒(を)絶(だえ)為(し)にきと聞(きき)し故(ゆゑ)に其(その)緒(を)復(また)貫(ぬき)吾(わ
が)玉(たま)に将レ為
(せむ)(万
3814)
白
玉(しらたま)の緒(を)絶(だえ)は信(まこと)雖レ然
(しかれども)其(その)緒(を)又(また)貫(ぬき)人(ひと)持(もち)去(いに)けり(万3815)
「真珠(しらたま)」の朝鮮語訳は真珠(jin ju)であり、「吾(わが)玉にせむ」の「玉」はku seulと訳されている。真珠(jin ju)は音読みであり、ku seulは訓(古来の朝鮮語)である。ku seulは日本語の釧(くし
ろ)と同源である。
【しろ(城)】
開
木代(やましろの・山城)来背(くせの・久世)社(やしろの)草(くさ)莫(な)手折(たおりそ)己(おのが)時(ときと)立
(たち)雖レ榮
(さかゆとも)草(くさ)勿(な)手折(たをりりそ)(万1286)
朝鮮語訳では「山城(やましろ)」はmoit<山の>jae<城>と訳されている。「城」の朝鮮漢字音は城(jeong)であり、中国語の城[zjieng]と同源である。朝鮮語の城(jae) も中国語の城[zjieng]と関係ががるのではあるまいか。
朝鮮語には城にあたることばとしてcas(日本語の磯城嶋などの「しき」)、あるいはkiということばもあるが、casは新羅系のことばであり、kiは百済系のことばだとされている。
【そで(袖)】
茜
草(あかね)指(さす)武良前(むらさき)野(の)逝(ゆき)標野(しめの)行(ゆき)野守(のもり)は不レ見
(みず)や君(きみ)が袖(そで)布
流(ふる)(万
20)
婇
女(うねめ)の袖(そで)吹
(ふき)反(かへす)明日香(あすか)風(かぜ)京都(みやこ)を遠(とほ)み無用(いたづら)に布久(ふく)(万51)
朝鮮語の袖(そで)はso maeであり、日本語の「そで(袖)」に酷似している。
日本語の「そで(そで)は朝鮮語の袖(so mae)と同源であろう。
袖の古代中国語音は袖[ziu]である。朝鮮語のso maeのsoは中国語の袖[ziu]と関係のあることばであろう。日本語で袖(そで)
と
なったのは手(て)の連想ではなかろうか。楊[jiang]なども楊(やぎ)であるが、木(き)の連想で「や
なぎ」つまり「楊(ヤン)の木(き)」となった。
金思燁の『韓訳萬葉集』では日本語の「衣手(こ
ろもで)」(万508)あるいは「衣」(万2063)もso
maeと
訳している。
【た(田)】
秋
田(あきのた)の穂上(ほのへ)に霧相(きらふ)朝霞(あさがすみ)何時(いつ)邊(へ)の方(かた)に我(わが)戀(こひ)
将レ息
(やまむ)(万
88)
吾
妹兒(わぎもこ)が赤裳(あかも)埿塗(ひづち)て殖(うゑ)し田
(た)を苅(かりて)将レ蔵
(をさめむ)倉無(くらなし)の濱(はま)(万1710)
最初の歌(万88)の「秋の田の、、」は金思燁
の『韓訳萬葉集』では田(patt)と訳している。pattは日本語の「畑」と同源であるとされているが、朝
鮮語では田にも畑にも使われることがある。
二番目の歌(万1710)の「殖ゑし田」は朝鮮
語訳では田(non)とされている。朝鮮語の田(non)は中国語の田[dyen]と同系のことばであろう。朝鮮語では濁音が語頭に
くることがないので田[dyen]は田(non)に転移したと考えられる。朝鮮語ではnonは田んぼに使われ、pattは田と畑の両方に使われる。
【たかい(高)】
神
(かむ)さびて 高(たかく)貴
(たふと)き 駿河(するが)有(なる) 布士(ふじ)の高嶺(たかね)を、、(万317)
天
河(あまのがは)白浪(しらなみ)高(たかし)吾
(わが)戀(こふる)公(きみ)が舟出(ふなで)は今(いまし)為(すら)しも(万2061)
朝鮮語の「高い」はnoppである。日本語の俗語の「のっぽ」は朝鮮語からの
借用だといわれている。
最初の歌(万317)の「高く貴き」はは金思燁
の『韓訳萬葉集』ではnopp eun
kwiと
訳している。nopp eun<高く> kwi<貴い>である。「高嶺(たかね)」はnopp eun<高い> moi<山>である。moiは日本語の「森」と同源であるという。
二番目の歌(万2061)の朝鮮語訳は金思燁の
『韓訳萬葉集』によると次のようになっている。朝鮮語は語順が日本語と同じであり、中国語からの借用語も含めて、語彙も日本語と同系のものが多い。
eun ha<銀
河> su<水> huin<白
い> mul kyeol<浪> nopp<高
い> ko da
nae <吾
が>keu
nim <恋
人・いとしい人>nun im<公> ui pae
<舟>neun i
che
ya theo na<去
りゆく >neun ga po tu na<見
える>(万
2061・朝鮮語訳)
【たけ(竹)】
御
苑布(みそのふ)の竹林(たけのはやし)に
鸎(うぐひす)はしば奈吉(なき・鳴)にしを雪(ゆき)は布利(ふり)つつ(万4286)
烏
梅(うめ)の波奈(はな・花)知良麻久(ちらまく・散)怨之美(をしみ・惜)和我(わが)曾乃(その・苑)の多氣(たけ・竹)の波也之(はやし・林)に于
具比須(うぐひす・鶯)奈久(なく・鳴)も(万824)
朝鮮語の「たけ(竹)」の音は竹(juk) であり、訓(古来の朝鮮語)は竹(tae)である。古代中国語の「たけ」は竹[tiuk]であり、朝鮮語の竹(tae)は中国語の竹[tiuk]の韻尾が脱落したものであろう。
現代の朝鮮漢字音は竹(juk)である。現代の朝鮮語は中国語と同じように入声音[-p][-t][-k]があるが、古代朝鮮語は開音節(母音で終わる音
節)であったと考える学者もある。朝鮮語の訓、竹(tae)は朝鮮語が開音節だった時代の古い音を留めている
可能性がある。
同じ声符をもった漢字でも韻尾[-k]を留めているものと、韻尾[-k]が脱落したものある。現代の北京語では韻尾の[-k]はすべて失われてい
る。
例:式シキ・試シ、
憶オク・意イ、液エキ・夜ヤ、握アク・屋ヤ、悪アク・亜ア、莫バク・墓ボ、
壁ヘキ・避ヒ、易(エキ・イ)、塞(ソク・サイ)、直(チョク・チ)、
日本語の「たけ」は古代中国語の竹[tiuk]の韻尾[-k]の痕跡を留めている。朝鮮語の竹(tae)ではすでに中国語の韻尾[-k]は失われている。朝鮮漢字音の竹(jiuk)では中国語の韻尾[-k]が保たれている。このことは古代中国語は開音節
(母音で終わる音
節)であったことを裏づけているいえないだろうか。
日本書紀歌謡は漢字の音だけを使って表記されて
いるが、[-p][-t][-k]の韻尾のある漢字が入声韻尾を脱落した形で使われ
ている。
阿
椰珥于多娜濃芝 作[tzak]沙
<あやにうた楽し ささ>(紀
歌謡33)
作[tzak]基
泥曾母野 倭我底騰蘿須謀野<さき手ぞもや 我が手取らすもや>(紀歌謡108)
擧
騰我瀰儞 枳謂屢箇皚必[piet]謎
<琴頭に 来居る影媛 >(紀
歌謡92)
飫
襃枳瀰簸 賊據嗚枳舸斯題<大君は そこを聞かして>(紀歌謡75)
飫
廼餓烏塢 志齊務苔 農殊末[miuat]句
志蘿珥<己が命を 死せむと 盗まく知らに>(紀歌謡18)
【たち(太刀)】
焼
(やき)太刀(たち)の 手
頴(たかみ)押(おし)ねり 白檀弓(しらまゆみ) 靫(ゆぎ)取(とり)負(おひ)て、、(万1809)
「太刀(たち)」にあたる朝鮮語はnalである。「太刀」の古代中国語音は太[that]刀[tô]である。朝鮮語のnalは中国語の太[that]刀[tô]と音韻対応している。太刀[that tô]の[th-]とnalのnは調音の位置が同じであり、転移しやすい。また、
太刀[that tô]の[t]はnalのlと調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しや
すい。朝鮮語では中国語の韻尾[-t]は規則的に(-l)であらわれる。
日本語の「太刀(たち)」と朝鮮語のnalも中国語の太刀[that tô]と同系のことばである。
【たち・ども(等)】
古
(いにしへ)の七(ななの)賢(さかしき)人(ひど)等
(たち)も欲(ほり)為(せし)物(もの)は酒(さけ)にし有(ある)らし(万340)
この歌の「等」は等(たち)と読むテキストと等
(ど
も)と読むテキストがある。日本語の「たち・ども(等)」は中国語の等[təng]と同源であろう。日本語でも中国語の韻尾[-ng]はマ行であらわれる例、タ行であらわれる例などが
ある。
[-ng]がマ行であらわれる例:公[kong]きみ、霜[siang]しも、弓[kiuəng]ゆみ、浪[lang]なみ、灯[təng] ともる、停[dyeng]とまる、醒[syeng]さめる、
[-ng]がタ行であらわれる例:龍[liong]たつ、筒[dong]つつ、糧[hliang*]かて、幸[hiəng]さち、
朝鮮語の等(たち・ども)はteulである。大野晋は岩波古典文学大系(補注61)の
なかで「朝鮮語の語末のl は日本語ではt
に対応するものが少なくない。」として、朝鮮語のteulは日本語の複数接尾語尾の「たち」に対応してい
る、と述べている。
「等」の現代朝鮮語音は等(teung)である。teulのlは中国語の韻尾[-ng]が転移したものである可能性がある。
【たづ(鶴)】
櫻
田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴
(なき)渡(わたる)年魚市方(あゆちがた)塩(しほ・潮)干(ひ)にけらし鶴(たづ)鳴(なき)渡(わたる)(万271)
鶴(つる)は歌語としては鶴(たづ)である。
「つる」は「相見(あひみ)鶴鴨(つるかも)」(万81)のように借訓として用いられることからして、「鶴」は万葉集の時代にも鶴(つる)とも呼ばれてい
たことが分かる。
朝鮮語の「つる」はtu ru miであり、日本語の「つる」に音義ともに近い。朝鮮
語では鶴のことを音で鶴(hak)と呼ぶ例もある(万509)が、訓はtu ru miである。日本語の鶴(つる)は朝鮮語のtu ru miと同源であろう。
【たへ(妙・栲)】
春
(はる)過(すぎ)て夏(なつ)來(きたる)らし白妙
(しろたへ)の衣(ころも)乾有(ほしたり)天(あめ)の香來山(かぐやま)(万28)
海
部(あま)處女等(をとめらが) 纓有(うながせる) 領巾(ひれ)も光(てる)がに 手(て)に巻(まけ)る 玉(たま)もゆららに 白栲(しろたへ)
の 袖(そで)振(ふる)所レ見(みえ)つ 相(あひ)思(おもふ)らしも(万3243)
白妙(しろたへ)は白栲[khu]とも書き、楮[dia](こうぞ)
で織った白い布のことである。「栲」「楮」の中国語音は栲[khu]、楮[dia]である。楮は朝鮮語でtak na
muで
ある。na muは「木」である。「たへ」は朝鮮語のtakと同系のことばであろう。
万葉集には「栲」を栲(たく)と読む例もある。
「栲縄(たくなは)の長き命を」(万194)、「多具夫須麻(たくぶすま)白山風の、、」(万3509)
【たま(珠・玉)】
吾
(わが)欲(ほり)し野嶋(のじま)は見(み)せつ底(そこ)深(ふか)き阿胡根(あこね)の浦(うら)の珠(たま)そ不レ拾
(ひりはぬ)、、(万
12)
玉
緒(たまのを)を片緒(かたを)に搓(より)て緒(を)を弱(よわ)み乱(みだるる)時(とき)に不レ戀
有目(こひざらめ)やも(万
3081)
珠(たま)は朝鮮語ではku seulである。日本語の釧(くしろ)は朝鮮語のku seulと同源である。
珠は古代社会ではでは装飾としても、社会的地位
を示す象徴としても珍重された。万葉集では白玉jin
ju<真
珠>(万1782)、眞玉ku seul(万3263)のほか、竹珠tae ku seul(万1790)、足玉pal ku seul(万2065)、手珠son ku seul(万2065)などが詠まれているので、竹製のも
のもあり、手にも足にも用いられた。
【たる(足)】
佛
(ほとけ)造(つくる)真朱(まそほ)不レ足
(たらず)は水(みづ)渟(たまる)池田(いけだ)の阿曾(あそ・朝臣)が鼻上(はなのうへ)を穿礼(ほれ)(万3841)
朝鮮語では「足」を足(ta-ri)という。日本語の「たりる(足)」は朝鮮語のta riの援用である。日本語の「あし(足)」にあたる朝
鮮語は二つある。脚(leg)はta riであり、足(foot)はpalである。日本語の「足りる」は正確にはta ri<脚>である。
金思燁の『韓訳萬葉集』では「足らず」は朝鮮語
訳ではpu jok<不足>と訳している。万葉集の原文も「不足」で
あるが、日本語では「たらず」と読み下している。金思燁の朝鮮語訳では万葉集の大和ことばに漢語をあてているものが多い。朝鮮語は日本語よりも漢語を使う
ことが多いようである。
【たれる(垂)】
竹
珠(たけたま)を 密(しじに)貫(ぬき)垂(たり)
齊戸(いはいべ・瓶)に 木綿(ゆふ)取(とり)四手(しで)て 忌(いはひ)つつ、、(万1790)
「垂」の朝鮮漢字音は垂(su)であり、訓(古来の朝鮮語)はteu ri eulである。日本語の垂(たれる)は朝鮮語のteu ri eulと同系のことばであろう。
「垂」の古代中国語音は垂[zjiuai]である。しかし、同じ声符をもった漢字に唾[thuai]があり、「垂」の上古音は垂[thuai*]に近い音だったと思われる。日本語の「たれる
(垂)」、朝鮮語のteu riは上古中国語の垂[thuai*]と同源であろう。
垂[zjiuai]は垂[thuai*]が口蓋化したものであり、唐代の中国語音に近い。
日本漢字音の垂(スイ)、朝鮮漢字音の垂(su)は唐代の中国語音に依拠している。
【ちち(父)】
奥
(おく)床(とこ)に 母(はは)は睡(いね)たり 外床(とどこ)に
父(ちち)は寐(いね)たり 起(おき)立(たた)ば 母(はは)可レ知
(しりぬべし) 出(いで)行(ゆか)ば 父(ちち)可レ知
(しりぬべし)、、(万
3312)
母(はは)の朝鮮語はeo meo niであり、父はa peo jiである。a peo jiのpeoは中国語の父[biua]と関係のあることばであろう。
eo meo niのmeoは中国語の母[mə]であり、niは女[njia]である。eoは日本語の梅(うめ)、馬(うま)のように、中国
語の[m-]の前に母音が添加されたものである。古代日本語の
音韻構造と朝鮮語の音韻構造はかなり似ていて、日本語でも朝鮮語でも中国語のmの前に母音を添加した。万葉集の時代の日本語でも
「母」を「おも」とす
る例がある。
可
良己呂武(からころむ・唐衣)須宗(すそ・裾)にとりつき奈苦(なく・泣)古(こ・子)らを意伎(おき・置)てそ伎怒(きぬ・来)や意母(おも・母)奈之
(なし・無)にして(万
4401)
日本語の父(ちち)の語系は不明である。
【ちどり(千鳥)】
千
鳥(ちどり)鳴(なく)佐保(さほ)の河瀬(かはせ)の小浪(さざれなみ)止(やむ)時(とき)も無(なし)吾(わが)戀(こ
ふらく)は(万
526)
「千鳥」は朝鮮語ではmul the saeと訳されている。mul<水> the<群れ> sae<鳥>である。saeは中国語の隹[tjuəi]と同源であり、鳥の別名である。日本語のカラス、
ウグヒスなどの「ス」も朝鮮語のsaeと同源である。
【つき(月)】
東
(ひむがしの)野(のに)炎(かぎろひの)立(たつ)所レ見
(みえ)て反見(かへりみ)為(すれ)ば月(つき)西
渡(かたぶきぬ)(万
48)
あ
らたまの年(としの)緒(を)永(ながく)照(てる)月
(つきの)不レ猒
(あかざる)君(きみ)や明日(あす)別(わかれ)なむ(万3207)
朝鮮語の「月」はtalである。最初の歌(万48)の「月」の朝鮮語訳はtalである。朝鮮語のtalは日本語の「つき(月)」に音義ともに近い。日本
語の「つき」は朝鮮語のtalと同系のことばであろう。
二番目の歌(万3207)の「照る月」はtalと訳されているが、「年の緒(を)」はse weolと訳されている。se<年>weol<月>つまり「年月」である。
中国語の月[ngiuat]の朝鮮漢字音は月(weol)である。中国語の疑母[ng-]は介音[-i-]を伴う場合には朝鮮語では脱落し、韻尾の[-t]は(-l)に転移する。例えば九月(ながつき)はku weol<九月>(万3223)という。
【つばき(椿)】
巨
勢山(こせやま)の列々(つらつら)椿(つばき)都
良々々(つらつら)に見(み)つつ思(しのば)な許湍(こせ)の春野(はるの)を(万54)
椿(つばき)の古代中国語音は椿[thiuən]であり、朝鮮漢字音は椿(chun)である。金思燁の『韓訳萬葉集』では「つばき(椿)」をtong paek と訳している。日本語の「つばき」は朝鮮語のtong paekと同系のことばであろう。「つばき」の「き」は、
楊(やなぎ)の「ぎ」と同様に「木」の連想である。
【つめ(爪)】
吾
(わが)爪(つめ)は 御弓
(みゆみ)の弓波受(ゆはず)、、(万3885)
朝鮮語の「つめ(爪)」はthopである。金思燁の『韓訳萬葉集』ではson thop(手の爪)と訳されている。日本語の「つめ
(爪)」は朝鮮語のthopと同源であろう。韻尾の[-p]は[-m]と調音の位置が同じ(脣音)であり、転移しやす
い。古
代日本語では[p]は語頭ではハ行であらわれ、語中語尾ではマ行(鼻
濁音)であらわれる。
「爪」の古代中国語音は爪[tsheu]である。日本語の「つめ(爪)」は中国語の爪[tsheu]とも同系のことばである。
【つるぎ(劔)】
高
麗(こま)劔(つるぎ)己
(な)が景迹(こころ)故(から)外(よそ)耳(のみに)見(み)つつや君(きみ)を戀(こひ)渡(わたり)なむ(万2983)
「高麗劔(こまつるぎ)」は己(な)にかかる枕
詞である。朝鮮語で「刃」のことをnalという。劔(つるぎ)が己(な)の枕詞になるのは
朝鮮語の劔(nal)と己(nae<私>)の連想である。「高麗劔(こまつるぎ)」は朝鮮語
の刀nalの連想で、朝鮮語の一人称の己(nae)にかかる枕詞となった。枕詞には「わたつみの」
<朝鮮語の海(pa da)+日本語の海(うみ)>のように朝鮮語によること
ば遊びが多い。
【てら(寺)】
寺
々(てらでら)の女餓鬼(めがき)申(まをさ)く大神(おほみわ)の男餓鬼(をがき)被レ給(たばり)て其(その)子(こ)将レ播
(うまはむ)(万
3840)
「てら(寺)」の朝鮮漢字音は寺(sa)、訓(古来の朝鮮語)は寺(jeol)である。中国語の寺は寺[ziə]である。しかし、寺と同じ声符をもった漢字に特[dək]があることから「寺」の上古音は寺[dək*]に近い音であったものと考えられる。上古音の寺[dək*]は摩擦音化して頭音が[z-]になり、韻尾の[-k]は失われた。
朝鮮語の寺(jeol)はその変化の過程を示すものであり、寺(sa)は摩擦音化が完成し、韻尾の[-k]が失われたものである。
日本語の寺(てら)、寺(ジ)も同じ音韻変化の
過程を示している。寺は仏教とともにインドから中国を経て朝鮮や日本に伝えられたものであり、中国語を介して朝鮮や日本に伝えられた。仏教伝来以前から日
本語の訓に寺(てら)があり、あるいは
朝鮮語に寺(jeol)があったわけではない。
同じ寺をあらわすことばに古刹などというときの
「刹」があり、刹の古代中国語音は刹[sheat]がある。中国語の寺[ziə]も刹[sheat]も、さらに遡れば、バーリ語のtheraに行きつくという。日本語の寺(てら・ジ)・刹
(てら・サツ)もバーリ語のtheraから派生したことばであろう。朝鮮語の寺(jeol・sa)、刹(chal・jeol)もバーリ語のtheraから生々流転してきたものである。
【とき(時)】
三
吉野(みよしの)の 耳我(みみがの)嶺(みね)に 時
(とき)無(なく)そ 雪は落(ふり)ける 間(ま)無(なく)そ 雨は零(ふり)ける 其(そ
の)雪(ゆき)の 時(とき)無(なきが)如(ごと)、、(万25)
波
々(はは・母)に麻乎之(まをし・申)て 等伎(とき・
時)も須疑(すぎ・過) 都奇(つき・月)も倍奴礼(へぬれ・経)ば、、(万3688)
時の朝鮮漢字音は時(si)である。訓(古来の朝鮮語)は時(thae)である。「時」の古代中国語音は時[zjiə]である。時と同じ声符をもった漢字に特[dək]があり、「時」の上古音は時[dək*]に近い音であったものと考えられる。日本語の「と
き(時)」は上古音の時[dək*]を継承したものであり、朝鮮語の時(thae)も同系のことばであろう。日本漢字音の時(ジ)、
朝鮮漢字音の時(si)は中国語の時[zjiə]に依拠したものである。
上古音の時[dək*]は唐代になると口蓋化して時[zjiə]になった。日本語でも朝鮮語でも訓はt(タ行音)
であり、音はs(サ行音)である。いずれもタ行音の方が古く、サ
行音は口蓋化した唐代の音に依拠している。
【とも(友)】
大
夫(ますらを)は友(とも)の
驂(さわぎ)に名草溢(なぐさもる)心(こころ)も将レ有(あらむ)我(われ)ぞ苦(くるし)き(万2571)
金思燁の『韓訳萬葉集』では「友(とも)」は朝
鮮語でtong muと訳されている。朝鮮語のtong muは「友達」「仲間」である。tong muは日本語の「とも(友)」に音義ともに近い。
【とり(鳥・鶏)】
三
吉野(みよしの)の象山(きさやまの)際(ま)の木末(こぬれ)には幾許(ここだ)もさわく鳥(とり)の聲(こゑ)かも(万924)
鶏
(とりが)鳴(なく) 吾妻(あづま)の國(くに)に 古昔(いにしへ)に 有(あり)ける事(こと)と 至レ今
(いままでに) 不レ絶
(たえず)言(いひ)ける 勝壮鹿(かつしか)の 真間(まま)の手兒奈(てこな)が、、(万1807)
朝鮮語の「鳥」はsaeである。日本語の鴉(カラス)、鶯(ウグイス)、
ホトトギス、カケスなどの「ス」は朝鮮語のsaeと同源である。ただし、現代の朝鮮語では鴉はkal ka ma gwiであり、鶯はkhwi kho riであり、saeを含んだ合成語ではない。朝鮮語の鳥(sae)は、さらに遡れば中国語の隹[tjuəi]にたどりつく。中国語の「隹」は「鳥」と同義であ
る。
「鳥」の古代中国語音は鳥[tyô]である。日本語の「とり」は中国語の鳥[tyô]と同源であろう。
日本語の「とり」は野鳥にも鶏にも使われるが、
朝鮮語では「鶏」のことをtarkという。古代中国語の鶏は鶏[hyei]である。朝鮮語の鶏(tark)は中国語の鶏[hyei]と同系のことばであろう。「鶏」は万葉集の時代の日本語で
は「庭つ鳥」である。
【な(汝・己)】
淡
海(あふみ)の海(み)夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝
(なが)鳴(なけ)ば情(こころ)もしのに古(いにしへ)所レ念
(おもほゆ) (万
266)
霍
公鳥(ほととぎす) 獨(ひとり)所レ生
(うまれ)て 己(なが)父
(ちち)に 似(に)ては不レ鳴
(なかず) 己(な)が母(はは)に 似(に)ては不レ鳴
(なかず)、、(万
1755)
常
世(とこよ)邊(へに)可レ住
(すむべき)物(もの)を劔(つるぎ)刀(たち)己
(な)が行(こころ)から於曾(おそ)や是(この)君(きみ)(万1741)
万葉集の時代の日本語では「な」は一人称にも二
人称にも使われている。最初の歌(万266)の「汝(な)」は二人称
で、朝鮮語訳はne<そなた>と訳されている。
二番目の歌(万1755)の「己(な)」は己
(おのれ)という文字が使われていて、「自分の父」という意味で一人称でありje<自分の>と訳されている。
三番目の歌(万1741)の「己(な)」は「自
分の心によって」という意味である。大野晋は日本古典文学大系の頭注で「劔刀―枕詞。ナにかかる。ナは刃の意。カタナのナは片刃の意。朝鮮語のnal(刃)と同源。ナは同音によって己(ナ)・名にか
かる。」と説明している。
朝鮮語の一人称(私)はnaeであり、二人称(君、お前)はneであり、音が近い。万葉集では一人称にも己(ナ)
が使われ、二人称にも汝(ナ)が使われていて、混同がある。日本人には朝鮮語の一人称naeと二人称neの区別がつかなかったからであろう。
朝鮮語では一人称のnaeはnae ga<私が>というときにはnaeであらわれるが、na neun<私は>のときはnaであらわれる。
また、二人称のneもne ga<お前が>というときはneであらわれるが、neo neun<お前は>のときはneoであらわれる。
一人称のnaeは中国語の我[ngai]の転移したものであり、二人称のneは汝[njia]から派生したことばであろう。中国語の疑母[ng-]も日母[nji]も日本語でもナ行であらわれることがある。
[ng-]の例:魚[ngia](ギョ・な)、額[ngeak](ガク・ぬか)、睨[ngiəi](ゲイ・にらむ)、 業[ngiap](ギョウ・なり)、訛[nguai](カ・なまり)、贋[ngan](ガン・にせ)、
[nj-]の例:汝[njia](ジョ・な)、燃[njian](ネン・もえる)、熱[njiat](ネツ・あつい)、 二[njiei](ニ・ジ)、日[njiet](ニチ・ジツ)、人[njien](ニン・ジン)、肉[njiuk](ニク)、
万葉集では「己」は己(おのれ・おの)と読まれ
ることもある。この場合はもちろん一人称である。
前
玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼(ぬま)に鴨(かも)ぞ翼(はね)きる己
(おのが)尾(を)に零(ふり)置(おけ)る霜(しも)を掃(はらふ)とに有
斯(あらし)(万
1744)
朝鮮語の「あなた」には当身(tang-sin)(万787)ということばもあり、現代朝鮮語では
よく使われる。
【な(魚・菜)】
た
らし比賣(ひめ・姫)可尾(かみ・神)の美許等(みこと)の奈
(な・魚)都良須(つらす・釣)と美多々志(みたたし・立)世利斯(せりし)伊志(いし・
石)を多礼(たれ・誰)美吉(みき・見)(万869)
ふ
くしもよ美夫君志(みぶくし・串)持(もち) 此(この)岳(をか)に 菜
(な)採(つま)す兒(こ)、、(万1)
最初の歌(万869)の「奈(な)都良須(つら
す)」は「魚(な)釣らす」である。日本語の魚(な)は中国語の魚[ngia]の頭音[ng-]がナ行に転移したものである。中国語の疑母[ng-]は調音の方法がナ行あるいはマ行と同じ(鼻音)な
ので転移することがある。魚(さかな)の「な」も同源である。
金思燁の『韓訳萬葉集』では「ko gi <魚>reul nakk eu<釣る>」と訳されている。朝鮮語ではko
giは
肉にも魚にも使われている。魚と肉を区別するときは、魚にはmul
ko gi<水
+肉>といってko gi<肉>と区別する。
二番目の歌(万1)の「野菜(な)採(つま)す
兒(こ)」の「菜」は菜(na mul)<青菜>と訳されている。「野菜(な)」は朝鮮語
のna mulと同源であろう。万葉集では「な」は「魚」にも
「菜」にも用いられている。
朝鮮漢字音の「魚」は魚(eo)である。eoは魚[ngia]の頭音は脱落したものであり、日本語の魚(うお)
と同源である。日本語の「魚(な)」「魚(うを)」は、形は違うがいずれも、中国語の魚[ngia]から転移したものである。次の歌の「宇乎(う
を)」は魚である。
思
可能宇良(しかのうら・浦)に 伊射里(いざり・漁)する安麻(あま・海人) 伊敝(いへ・家)妣等(びと・人)の 麻知(まち・待)古布(こふ・戀)ら
むに 安可思(あかし・明)都流(つる・釣)宇乎(う
を・魚)(万3653)
【なげく(嘆)】
思
(おもひ)或(まとひ)て 杖(つゑ)不レ足
(たらず) 八尺(やさか)の嘆(なげき) 嘆(なげ
け)ども、、(万3344)
金思燁の『韓訳萬葉集』では「嘆(なげき)」の
訳はthan sik(嘆息)という漢語を使っている。日本語の「嘆
(なげく)」の古代中国語音は嘆[than]の頭音がナ行に転移したと考えることができる。
金思燁の『韓国訳萬葉集』ではやまとことばの翻
訳に漢語が多く使われている。朝鮮語では日本語よりも漢語を使うことが多い。
例:糧(かて)sik ryang<食糧>(万888)、猟(かり)sa nyang<狩猟>(万3885)、
情(こころ)sim jeong<心情>(万2921)、盛(さかり)han chang<繁盛>(万820)、
標(しめ)pyeop ji<表示>(万115)、、関(せき)kwan mun<関門>(万3754)、
織女(たなばたつめ)jik nyeo(万2027)、常(つね)phyeong sang<平常>
(万1069)、慰(なぐさむる)wi an<慰安>(万2571)、社(やしろ)sin sa
<神社>(万
1286)、万年(よろづよ)man nyeon(万2024)、別(わかれ)i pyeol
<離別>(万
133)女(をみな)yeo ja<女者>(万419)、
【なし(無)】
三
空(みそら)去(ゆく)名(な)の惜(をしけく)も吾(われ)は無
(なし)不レ相
(あはぬ)日(ひ)數多(まねく)年(とし)の経(へぬれ)ば(万2879)
この歌の「吾は無(なし)」も「不レ相
(あはぬ)」
もひずれも否定形で金思燁の『韓訳萬葉集』ではいずれもa ni
と訳されている。「あに」は「豈(あに)図らんや」の「あ
に」で、日本語では反語的に使われるが、朝鮮語では否定である。
「惜(をし)けくも吾(われ)は無(なし)不レ
相(あはぬ)日」は朝鮮語では「a khap<惜しい>do<も>a ni<否定> ha ne。man na ji<会う>
a ni<否定> ha neun nal<日> i」と訳されている。
日本語の豈(あに)は朝鮮語のa niとは意味の範囲が少し違うが、同系のことばであろ
う。万葉集の歌でも「あに」
が使われている例がある。しかし、朝鮮語訳はa ni<否定>ではなく、eo jji<どんなに>となっている。
夜
(よる)光(ひかる)玉(たま)と言(いふ)とも酒(さけ)飲(のみ)て情(こころ)を遣(やる)に豈(あに)若(しか)めやも(万346)
【なつ(夏)】
石
麻呂(いはまろ)に吾(われ)物(もの)申(まをす)夏(なつ)痩(やせ)によしと云(いふ)物(もの)ぞ武奈伎(むなぎ・鰻)取(とり)喫(めせ)(万3853)
朝鮮語の夏はyeo reumである。スウェーデンの言語学者カールグレンはそ
の著書『言語学と古代中国』のなかで、日本語の「夏」は中国語の熱[njiat]の借用語ではないかとしているが、朝鮮語のyeo reumも中国語の熱[njiat]と関係のあることばではあるまいか。朝鮮語では中
国語の日母[nj-]は規則的に脱落する。「熱」の朝鮮漢字音は熱(yeol)である。
【なびく(靡)】
墓
上(はかのうへ)の木枝(このえ)靡有(なびけり)如
レ聞(ききしごと)陳努壮士(ちぬをとこ)にし依(よりに)けらしも(万1811)
朝鮮語の「靡(なびく)」はna pu khiである。日本語の「なびく」は朝鮮語のna pu khiと同系のことばであろう。
中国語の「靡」は麻[meai]+非[piuəi]であり、これを日本語では「なびく」とした可能性
もある。頭音の[m-]は調音の方法が[n-]と同じ(鼻音)であり、転移しやすい。
例:無[miua]ない、苗[miô]なへ、猫[miô]ねこ、祢[miai]ね、名[mieng]な、鳴[mieng]なく、
寐[muət]ねる、眠[myen]ねむる、
【なみ(浪・波)】
奥
浪(おきつなみ)邊波(へなみ)雖レ立
(たつとも)和我(わが)世故(せこ・背子)が三船(みふね)の登麻里(とまり・泊)瀾(なみ)立(たた)めやも(万247)
この歌では「なみ」に浪[lang]、波[puai]、瀾[lan]が使われている。日本語の「なみ」は浪[lang]あるいは瀾[lan]の頭音[l-]がナ行に転移したものである。
古代日本語ではラ行音が頭音にたつことがなかっ
たから[l-]はナ行に転移した。[l-]と[n-]は調音の位置が同じであり、音価も近く、転移しや
すい。朝鮮漢字音では中国語の[l-]は[n-]に転移することが多い。
朝鮮語の例:浪(nang)、龍(nong)、楽天(nak-cheon)、洛陽(nak-yeong)、来年(nae-nyeon)、
労働(no-dong)、冷房(naeng-bang)、冷麺(naeng-myeon)、緑茶(nok-cho)、
日本語の訓でも中国語の[l-] がナ行に転移した例はみられる。このことは古代日本語の音韻構造が朝鮮語の音韻
構造に近かったことを示唆している。
日本語の例:練[lian]ねる、梨[lyei]なし、涙[liuei]なみだ、臨[liəm]のぞむ、流[liu]ながれ、
しかし、この歌の「なみ」は朝鮮漢字音の浪(nang)でなく、浪(mul kyeol) と訳されている。mul kyeolのmulは水であり、mul kyeolは複合語である。
【なみだ(涙)】
朝
日(あさひ)弖流(てる・照)佐太(さた)の岡邊(をかべ)に群(むれ)居(ゐ)つつ吾等(わが)哭(なく)涙(なみだ)息(やむ)時(とき)も無(な
し)(万
177)
朝鮮語の「なみだ」はnun mulである。nun mulは複合語でありnun<眼>-mul<水>である。日本語の「なみだ」は朝鮮語の(nun-mul)と音義ともに近い。
万葉集では日本語の「なみだ」には涙[liuei]のほかに、涕[thyei](万453)、渧[dyəi]
(万1520)、泣[khyəp](万968)が使われている。泣(なく)は動詞だ
が、名詞として使われることもある。
【なめる・ならべる(並)】
百
磯城(ももしき)の大宮人(おほみやびと)は 船(ふね)並
(なめ)て 旦(あさ)川(かは)渡(わたり) 舟(ふね)競(きほひ) 夕(ゆふ)河(か
は)渡(わたる)、、(万
36)
た
まきはる内(うち)の大野(おほの)に馬(うま)數(な
め)て朝(あさ)ふますらむ其(その)草(くさ)深野(ふかの)(万4)
「並べる」の朝鮮語はna ranであり、日本語の並(ならぶ)と音義ともに近い。
日本語の「並(ならぶ)」は朝鮮語のna ran と同源であろう。
【ぬ(寐・宿)】
紫
(むらさき)の名高(なたかの)浦(うら)の愛子(まなご)地(つち)袖(そで)耳(のみ)觸(ふれ)て不レ寐(ね
ず)か将レ成
(なりなむ)(万
1392)
う
つつにも今(いま)も見(みて)しか夢(いめ)耳(のみに)手本(たもと)纏(まき)宿(ぬ)と見(みれ)ば辛苦(くるし)も(万2880)
「寐」の古代中国語音は寐[muət]であり、「寝」は寝[tsiəm]である。日本語の「ねる」は音義ともに中国語の寐[muət]に近い。
朝鮮語の「寐」は音が寐(mae)、訓(古来の朝鮮語)は寐(jal) である。また、「寝」の朝鮮語音は寝(chim) であり、訓は寝(jam jal) である。寐(jal)、寝(chim・jam jal)は中国語の寝[tsiəm]と同系のことばであろう。
朝鮮語の訓、寝(jam)は古い朝鮮語音の痕跡を留めており、朝鮮漢字音の
寝(chim)はそれが変化したものである。朝鮮語でも、訓
(古来からの朝鮮語)と思われているもののなかに古い中国語音の痕跡を留めているものが含まれている。
大野晋は岩波古典文学大系(万2880)の頭注
で「寝-nu(寝)は朝鮮語nu(臥)と同源か。」としている。朝鮮語にはnu ulといことばがあり「臥す」という意味である。古代
中国語の臥[ngua]の頭音[ng-]は調音の方法が[n-]と同じ(鼻音)であり、朝鮮語の臥(nu ul)は中国語の臥[ngua]と同源である可能性がある。
【ぬふ(縫)】
安
波牟(あはむ・合)日(ひ)の可多美(かたみ)にせよと多和也女(たわやめ・手弱女)の於毛比(おもひ・念)美太礼(みだれ・乱)て奴敝流(ぬへる・縫)
許呂母(ころも・衣)ぞ
(万
3753)
人
(ひと)皆(みな)の笠(かさ)に縫(ぬふと)云
(いふ)有間(ありま)菅(すげ)在
(あり)て後(のち)にも相(あはむ)とそ念(おもふ)(万3064)
大野晋は岩波古典文学大系(万3064)の頭注
で「縫ふ―nuFu(縫)は朝鮮語nupi(縫)と同源か。」としている。朝鮮語の辞書によ
るとnu piは「刺し縫いをすること」とある。「縫ふ」は朝鮮
語のnu piと同系のことばであろう。
金思燁の『韓訳萬葉集』では「奴敝流(ぬへ
る)」(万3753)はnu unと訳され、「縫(ぬふ)と云(いふ)」(万
3064)の「縫(ぬふ)」はyeokk ta<編む>と訳されている。
【ぬま(沼)】
前
玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼(ぬま)に
鴨(かも)そ翼(はね)きる己(おのが)尾(を)に零(ふり)置(おけ)る霜(しも)を掃(はらふ)とに有
斯(あらし)(万
1744)
朝鮮語の「ぬま(沼)」はneuppであり、日本語の「ぬま」に音義ともに近い。韻尾
の[-p]は[-m]と調音の位置が同じ(唇音)であり、転移しやす
い。
注目すべきは、アイヌ語にnup(野原)、nupuri(山)ということばがあることである。アイヌ語の
文法構造は日本語とも朝鮮語ともかなり違うが、語彙の交流があった可能性がある。
【の(野)】
阿
騎(あき)の野(の)に宿
(やどる)旅人(たびびと)打(うち)靡(なびき)寐(い)も宿(ぬ)らめやも古部(いにしへ)念(おもふ)に(万46)
た
まきはる内(うち)の大野(おほの)に
馬(うま)數(なめ)て朝(あさ)布麻須(ふます・踏)らむ其(その)草(くさ)深野(ふかの)(万4)
最初の歌(万46)の「野(の)」はteulと訳されている。二番目の歌(万4)の「大野」はhan<大> peol<原>と訳されている。peolは日本語の「はら(原)」と同源である。
日本の地名には「つる」のつくものが多い。山梨
県の都留、神奈川県の鶴見、大阪の鶴橋なども朝鮮語の野(teul)と関係がある可能性がある。金沢庄三郎は「地名人
名等に関する日鮮語の比
較」のなかで次のように述べている。
我國でも九州地方には特に津留(つる)といふ地名が多く、原野の義に用いられてゐる。
例へば豐 後國大分郡の勝津留(かつつる)・大津留(おほつる)、肥後國玉名郡津留(つる)などである が、この勝津留(かつつる)のカには大の義があ
るから、大津留(おほつる)と同一の名義であろ う。
そして、ほかにも上総の香取郡、近江の香取郡、
肥前の松浦(まつら)郡、甲斐の都留郡なども朝鮮語であろう、としている。
漢字「野」の声符「予」には杼[dia]の音があり、野(の)上古音は野[dia*]の音があったと思われる。日本語の野(の)が中国
語の上古音、野[djya*]を継承たものであろう。[d-]と[n-]は調音の位置が同じであり、転移しやすい。古事記
歌謡では「杼」は「ど(乙)」に使われて
いる。
迩
本杼理能 阿布美能宇美迩<鳰鳥の 淡海の海に>(記歌謡38)
【のる(告・謂)】
然
(しかの)海部(あま)の礒(いそ)に苅(かり)干(ほす)名
告(なのり)藻(そ)の名(な)は告
(のり)てしを如何(なにか)相(あひ)難(がた)き(万3177)
此
(この)岳(をか)に 菜(な)採(つま)す兒(こ) 家(いへ)吉閑(きかな) 名(な)告(のら)さね、、我(われ)こそは 告(のら)め 家(い
へ)をも名(な)をも(万
1)
た
まかぎる石垣(いはがき)淵(ふち)の隠(こもり)には伏(ふして)雖レ死
(しぬとも)汝(なが)名(な)は不レ謂(のらじ)(万2700)
古語の「告(のる)」は神の託宣や、人に秘すべ
きことを告げるという意味で、天皇の仰せごとなどに用いる。
「告(のる)」の朝鮮語訳はmal<言う>である。朝鮮語のmalは古代中国語の言[ngian]と同源であろう。疑母[ng-]は[m-]と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやす
い。日本語でも御[ngia]み、元[ngiuan]もと、眼[ngean]め、迎[ngyang]むかへる、などマ行に転移した例がみられる。
万葉集巻1の最初の歌(万1)の「告(のる)」
について大野晋は岩波古典文学大系の頭注で「ノルは朝鮮語nil(話す)と同源」としている。日本語の「のる」
「祝詞(のりと)」「呪う」「祈る」などと同系のことばである。朝鮮語にはno
rae(歌
う)ということばもあって、日本語の「告(のる)」に近い。次の歌の「歌」はno
raeと
訳されている。
は
しきやし老夫(おきな)の歌(うた)に
おほほしき九(ここのの)兒等(こら)やかまけて将レ居
(をらむ)(万
3794)
三番目の歌(万2700)の「名は不レ謂(のらじ)」は金思燁の『韓訳萬葉集』では「i
reum<名>eun ip<言ふ>e nae ji<否定>」と訳している。朝鮮語のipは口という意味だが、日本語の「言ふ」と同源では
ないかといわれている。
【は(葉)】
小
竹(ささ)の葉(は)は三山
(みやま)も清(さや)に亂(みだる)とも吾(われ)は妹(いも)思(おもふ)別(わかれ)來(きぬ)れば(万133)
「葉」の朝鮮漢字音は葉(ipp)である。古代中国語音は葉[jiap]であり、朝鮮語のippは中国語の葉[jiap]と同源である。日本語の葉(は)は葉[jiap] の韻尾が独立した音節になったものであろう。中国語の韻尾[-p]は日本漢字音では葉(ヨウ)のように音便化する場
合が多い。
例:頬[kyap](キョウ・ほほ)、渋[shiəp](ジュウ・しぶ)、粒[liəp](リュウ・つぶ)、
合[həp](ゴウ・あふ)、
中国語の韻尾[-p]は蝶[thyap]<てふ>のように旧仮名遣いではハ行音であらわれ
ることもある。「てふ」の「ふ」は中国語の韻尾[-p]の痕跡を留めたものである。
日本語の葉(は)、朝鮮語の葉(ipp)はいずれも中国語の葉[jiap]と同源である。
【は(歯)】
泊
瀬川(はつせかは)流(ながる)水沫(みなわ)の絶(たえ)ばこそ吾(わが)念(おもふ)心(こころ)不レ遂
(とげじ)と思(おも)歯目(はめ)(万1382)
氏
河(うぢかは)歯(は)与杼
(よど)湍(せ)無之(なからし)阿自呂(あじろ・網代)人(ひと)舟(ふね)召(よばふ)音(こゑ)をちこち所レ聞
(きこゆ)(万
1135)
上記の例はいずれも音借で、日本語の助詞の「~
は」などにあてたものである。このことから、万葉集の時代に「歯」が「は」と呼ばれていたことがわかる。万葉集には「歯(は)」を詠んだ歌はみあたらな
い。
朝鮮語の「歯」はiあるいはi phalである。i phalのphalは日本語の「は(歯)」と関係がある可能性があ
る。
古代中国語の「歯」は歯[thjiə]である。[th-]は日本語にはない有気音であり、息をためて吐き出
す音だから、ハ行音に聞こえた可能性がある。
中国語の[th-]がハ行であらわれる例:春[thjiuən]はる、禿[thuk]はげ、恥[thiə]はぢ、
また、中国語では歯科医のことを「牙科」とい
う。「牙」の古代中国語音は牙[ngea]であり、日本語の「は」は牙[ngea]と同源である可能性がある。疑母[ng-]は調音の位置が喉音[h-]に近く、日本語でハ行に転移する可能性もある。例
えば臥[ngua]は日本語では臥(ふす)である。
万葉集には「牙」という字を用いた例も
ある。これは「牙」が牙(きば)とも読まれることから、一般に牙(き)と読みならわしているが、歯(は)のことであり、牙(は)と読むことも可能ではなか
ろうか。
莵
原壮士(うなひをとこ)い 仰レ天
(あめあふぎ) 叫(さけび)おらび 蹋レ地
(あしずりし) 牙(き)喫
(かみ)建怒(たけび)て、、(万1809)、
【はか(墓)】
墓
上(はかのうへ)の木枝(このえ)靡(なびけ)り如レ聞
(ききしごと)陳努壮士(ちぬをとこ)にし依(よりに)けらしも(万1811)
朝鮮語の「墓(はか)」はmu teomである。mu teomのmuは中国語の「墓」と同系のことばであろう。
日本語の「はか」は古代中国語の墓[mak]に依拠したものであろう。「墓」の日本漢字音は墓
(ボ)であり、韻尾の[-k]を喪失しているが、同じ声符をもった漢字に莫[mak]、爆[mak]などがあり、「墓」の韻尾に[-k]があったものと考えられる。頭音の[m-]は[p-]と調音の位置が同じであり、古代日本語では濁音
(鼻濁音)は語頭では清音になった。
【はこ(篋)】
東
人(あづまひと)の荷向(のさきの)篋(はこ)の
荷(に)の緒(を)にも妹(いもは)情(こころ)に乗(のり)にけるかも(万100)
この歌の意味は「東国人の貢物を入れた箱の緒の
ように、妹は私の心をつかまえている」というほどの意味であろう
朝鮮語の「篋(はこ)」はpa ku ni<かご>である。古代中国語の「篋」は篋[heap]である。篋[heap]の頭音は喉音[h-]であり、日本語にはない音である。日本語ではカ行
やハ行であらわれることが多い。
喉音[h-]がカ行であらわれる例:莖[heng]くき、玄[hyuen]くろ、韓[han]から、黄[huang]き、嫌[hyam]
きらう、還[hoan]かえる、畫[hoek]かく、限[hean]かぎり、
喉音[h-]がハ行であらわれる例:灰[huəi]はい華[hoa]はな、、幌[huang]ほろ、衡[heang]は かり、閑 [hean]ひま、降[hoəm]ふる、惚[huat]ほれる、含[həm]ふくむ、宏[hoəng]ひろい、
また、韻尾の[-p]は筐[khiuang]などの[-ng]に近く、泣[hliəp*](なく)、匣[heap](はこ)などのようにカ行であらわれることもあ
る。
【はた(機)】
棚
機(たなばた)の五百(いほ)機(はた)立(たて)て織(おる)布(ぬの)の秋(あき)去(さり)衣(ごろも)孰(たれか)取
(とり)見(みむ)(万
2034)
朝鮮語の「機織」はpe theulである。日本語の「はた」は朝鮮語のpe theulと同系のことばであろう。
古事記には機織りについて次のような記述があ
り、機織りは神代の時代から行われていたことになっている。
天照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐(ま)して、神御衣(かむみそ)織らしめたま
ひし時、そ の服屋(はたや)の
頂(むね)を穿ち、天(あめ)の斑馬(ふちこま)を逆剥(さかは)ぎに剥ぎ て堕(おと)し入るる時に、天の服織女(はたおりめ)見驚きて、梭(ひ)に陰
上(ほと)を衝 (つ)きて死にき。
実際に弥生時代の遺跡から木製の織機が出土して
いる。日本語の「はた」には万葉集では「機(はた)」があてられている。
「機」の古代中国語音は機[kiəi]である。頭音の[k-]は喉音の[h-]に調音の位置が近く、音価も近い。日本語では[h-]と[k-]は弁別されないため、訓ではハ行であらわれること
がある。日本語の「はた(機)」、朝鮮語のpe
theulは
中国語の機[kiəi]と関係のあることばである可能性がある。
中国語[k-]が日本語でハ行であらわれる例:蓋[kat]ふた、骨[kuət]ほね、頬[kyap]ほほ、光[kuang]ひかり、 廣[kuang]ひろい、経[kyeng] へる、姫[kiə]ひめ、古[ka]ふるい、干[kan]ほす、
【はた(幡)】
婆
羅門(ばらもに)の作有(つくれる)小田(をだ)を喫(はむ)烏(からす)瞼(まぶたは)腫(はれ)て幡幢(はたほこ)に居(をり)(万3856)
「幡幢(はたほこ)」とは旗のついた桙のことで
ある。朝鮮語の幡(はた)はpeonである。古代中国語の「幡」は幡[phiuan]である。現代の日本語では「はた」は「旗」の字が
あてら
れているが、中国語の幡[phiuan]あるいは朝鮮語の幡(peon)と同源である。
日本の「はた(幡)」は古代中国語の幡[phiuan]の韻尾[-n]が[-t]であらわれたものである。中国語音韻史によると、
唐代の韻尾[-n]の上古音は[-t]であったとされている。[-t]と[-n]は調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しや
すい。日本語の「幡(はた)」は中国語の上古音の痕跡を留めているといえる。
同じ声符をもった漢字の韻尾をナ行で読むものと
タ行で読むものがある。タ行の方が古く、ナ行の方が新しい。また、日本漢字音では、中国語の韻尾が訓ではタ行であらわれ、音では「ン」であらわれるものが
ある。訓の方が新しく、音のほいうが新しい音である。
同じ声符の文字をタ行とナ行に読み分ける例:産[san]サン・薩[sat*]サツ、珊[san]サン・冊[tshek]
サツ、因[ien]イン・咽[yet*]エツ、散[san]サン・撒[sat]サツ、吻[niuət]フン・物[miuət]ブツ、
厭[iap]エン・壓[eap]アツ、乾[kan]カン・乞[khiət]コツ、
韻尾[-n]が訓でタ行であらわれる例:堅[kyen]かたい、肩[kyan]かた、腕[uan]うで、管[kuan]くだ、
盾[djiuən]たて、宛[iuan]あて、綿[mian]わた、満[muan]みつ、断[duan]たつ、本[puən]もと、
元[ngiuan]もと、言[ngian]こと、鞭[bian]むち、面[mian]おもて、
「はた」には旗[giəi]も用いられるが、日本語の「はた」は中国語の幡[phiuan]あるいは朝鮮語の幡(peon)と同系のことばである。「はた」とは「はたはた」
と「はためくもの」という語源説もあるが、「はた」は仏教伝来とともに中国経由でもたらされたもので、漢字文化圏にひろがりをもったことばである。
【はたけ(波多氣・畑)】
宇
恵之(うゑし・植)田(た)も 麻吉之(まきし・播)波
多氣(はたけ)も 安佐(あさ)ごとに之保美(しぼみ)可礼(かれ・枯)由苦(ゆく)、、(万4122)
朝鮮語の「はた」にあたることばはpattである。朝鮮語のpattは田と畑の両方をさす。朝鮮語の「田」にあたる語
にはnon(万1710)があって、nonは田だけに使われる。
「畑」は国字である。『和名抄』には「火田
夜岐波太(やきはた)」とあって、「畑」は「火」と「田」を組み合わせたもので焼き畑をあらわす。日本語の「はた」水田に対して陸田にだけ使われる。
大野晋は『日本語の起源』(旧版)で日本語の
農作関係の語彙に朝鮮語と類似したものが多いとして、畑(pat)、鉈(nat)、𣑥(tak)、小網(sadul)、鉏(stapo)、鍬(xomai)、串(kot)などをあげている。そして「いかに日本の農業が朝
鮮半島軽油の技術によって開発されたものであるかをよく示している。」(p.124)としている。
【はは(母)】
た
らちねの母(はは)が手
(て)放(はなれ)如是(かく)ばかり無二為便
一(すべなき)事(こと)は未レ為
(いまだせな)くに(万
2368)
憶
良(おくら)等(ら)は今(いま)は将レ罷
(まからむ)子(こ)将レ哭(なくらむ)其(そを)被(おふ)母
(はは)も吾(わ)を将レ待
(まつらむ)そ(万
337)
朝鮮語の「母」はeo meo niである。eo meo niのmeoは中国語の母[mə]と同源であろう。eo mo niのniは中国語の女[njia]であろう。語頭のeoは母音添加で、日本語の妹(いも)、梅(うめ)、
馬(うま)のような母音添加が朝鮮語にもあったものと考えられる。
二番目の歌(万337)の母はeo mi と訳されている。eo miは母の卑称で、自分の母親のことおを他人に対して
いう場合に使われる。
万葉集の時代には日本語でも「おも」が使われて
いる。
可
良己呂武(からころむ・唐衣)須宗(すそ・裾)にとりつき奈苦(なく・泣)古良(こら・子等)を意伎(おき・置)てぞ伎努(きぬ・来)や意母(おも・母)
奈之(なし・無)にして
(万
4401)
【はら(原)】
明
日香(あすか)の 真神(まかみ)の原(はら)に
久堅(ひさかた)の 天(あま)つ御門(みかど)を 懼(かしこく)も 定(さだめ)賜(たまひ)
て、、(万
199)
秋
(あき)去(さら)ば今(いま)も見(みる)如(ごと) 妻戀(つまごひ)に鹿(か)将レ鳴
(なかむ)山(やま)ぞ高野原(たかのはら)の
宇倍(うへ)(万
84)
飫
(おうの)海(うみ)の河原(かはら)の
乳鳥(ちどり・千鳥)汝(なが)鳴(なけ)ば吾(わが)佐保河(さほがは)の所レ念
(おもほゆら)くに(万
371)
最初の歌(万199)の「原」はpeol である。二番目の歌(万84)の朝鮮語訳はteul phan となっている。teul は野であり、teul phan は野原である。朝鮮語のpeol は日本語の「はら」と同源であろう。
三番目の歌(万371)の「河原」は「kang ga<川辺> mo re<砂> patt<原>」と訳されている。patt
は日本語の畑にあたることばだとされているが、田
にも畑にも原にも用いられる。
古代中国語の「原」は原[ngiuan] である。日本語の「はら」は中国語の原[ngiuan] の転移したものであろう。疑母 [ng-]は調音の位置が喉音[h-]に近くハ行であらわれることもある。
[ng-]がハ行であらわれる例:牙[ngea] は、涯[ngai]
は
て、臥[ngua] ふす、
日本語の原(はら)、朝鮮語のpeol あるいはphan も中国語の原[ngiuan] と同系のことばである。
【はらふ(浪良布・拂)】
安
豆左(あづさ)由美(ゆみ・弓)欲良(よら)の夜麻(やま・山)邊(べ)の之牙可久尓(しげかくに・繁)伊毛(いも・妹)ろを多弖天(たてて・立)左祢度
(さねど・寐處)波良布(はらふ・拂)も(万3489)
金思燁の『韓訳萬葉集』では「波良布(はら
ふ)」をpeo ri deと訳している。「拂」の古代中国語音は拂[piuət]であり、朝鮮漢字音は拂(pul)である。訓(古来の朝鮮語)のpeo ri deも中国語の拂[piuət]と関係のあることばである可能性がある。古代の朝
鮮語は開音節(母音で終わる音節)であったので、訓では拂(peo
ri)と
二音節になり、音では拂(pul)となったものと考えられる。peo riが古い形であり、pulのほうが新しい形である。
日本語の「はらふ」は中国語の拂[piuət]の転移したものである。日本語の「はらふ(拂)」
は朝鮮語の拂(pul)と転移の仕方が同じである。朝鮮語では中国語の韻
尾[-t]は規則的に(-l)に転移する。
日本語でも、中国語の韻尾[-t]がラ行に転移したものをいくつかあげることができ
る。
例:出[thiuət]でる、掘[giuət]ほる、擦[tziat]する、祓[puat]はらふ、惚[xuət]ほれる、越[hiuat]こえる、
絶[dziuat]たえる、折[tjiat]をる、
【はり(針)】
針(はり)は有(あれ)ど妹(いも)し無(なけ
れ)ば将レ著
(つけめ)やと吾(われ)を令レ煩
(なやまし)絶(たゆる)紐(ひも)の緒(を)(万2982)
朝鮮語の針はpa neulである。pa neulは日本語の「はり」に音義ともに近い。
「針」の古代中国語音は針[tjiəm]である。「針」の正字は鍼[tjiəm]であり、「鍼」の声符は感[həm]であることから、「鍼」の祖語(上古音)は鍼[hiəm*]に近い音価をもっていたものと推測できる。上古中
国語音の鍼[hiəm*]は介音[-i-]の発達により口蓋化して、唐代までに鍼[tjiəm]に変化した。
中国語の喉音[h-][x-]は日本漢字音ではカ行であらわれるが、
訓ではハ行であらわれることが多い。
例:灰[huəi](カイ・はい)、火[xuəi](カ・ひ)、戸[ha](コ・へ)、華[hoa]・花[xoa](カ・はな)、
宏[hoəng]・弘[huəng](コウ・ひろい)、惚[xuət](コツ・ほれる)、降[hoəm](コウ・ふる)、
日本語のハ行は中国語の[p-]に対応していると考えられている。しかし、古代に
おいては中国語の喉音もハ行であらわれることが多かった。日本語の「はり」は上古中国語の鍼[hiəm*]、あるいは朝鮮語のpa neulと同系のことばであろう。
【はる(春)】
春(はる)過(すぎ)て夏(なつ)來(きたる)らし白
妙(しろたへ)の衣(ころも)乾(ほし)た り天(あめ)の香來山(かぐやま)(万28)
「春」の朝鮮語はpomである。pomのpは日本語のハ行に対応している。
中国語の韻尾の[-m]が日本語ではラ行であらわれることがある。[-m]と[-l]は調音の位置が近く、転移することがある。
例:鍼[hjiəm*]はり、庵[iam]いほり、俺[iuam]おれ、嫌[hyam]きらふ、減[kiam]へる、降[hoəm]ふる、
朝鮮語のpomは日本語の「はる」と同源であろう。
【ひ・か(日)】
比
(ひの・日)具礼(くれ・昏)に宇須比(うすひ)の夜麻(やま・山)を古由流(こゆる・越)日(ひ)は勢奈(せな・背)のが素[亻弖]*(そ
で・袖)もさやに布良思(ふらし・振)つ(万3402)
春
日(はるひ)を 春日山(か
すがのやま)の 高座(たかくら)の 御笠(みかさ)の山(やま)に、、(万372)
一
年(ひととせ)に七夕(なぬかのよ)耳
(のみ)相(あふ)人(ひと)の戀(こひ)も不レ過
(すぎね)ば夜(よは)深(ふけ)徃(ゆ)くも(万2032)
天
地(あめつち)の 遠(とほき)が如(ごとく) 日
(ひ)月(つき)の 長(ながき)が如(ごとく) おし照(てる) 難波(なには)の宮(みや)に、、(万933)
朝鮮語の「日」はhaeである。日本語の「ひ」は朝鮮語の日(hae) と同源であろう。
金思燁の『韓訳萬葉集』をみると、一番目の歌
(万3402)の最初の「比(ひ)」はhae と訳し「古由流(こゆる)日(ひ)」の「日」はnal と訳している。朝鮮語ではhae は主に太陽に使われ、nal は日(day) に使われる。「日」の朝鮮漢字音は日(il) であり、訓(古来)の朝鮮語はnal である。
「日」の古代中国語音は日[njiet]である。朝鮮語のnal は中国語の日[njiet] の韻尾[-t]が(-l) に転移したものであり、朝鮮漢字音の日(il) は頭音[nj-]が脱落したものである。中国語音韻史をみると隋唐
の時代以降口蓋化が進んだことが知られている。nal は上古中国語音を反映したものであり、日(il) は唐代の中国語音に依拠したものである。
古代朝鮮語では中国語の日母[nj-]は脱落せず、ナ行であらわれている。「汝」なども
訓は汝(neo)であり、音は汝(yeo)であり、音は頭子音が脱落している。
二番目の歌(万372)の「春日(かすが)」の
日(ガ)は朝鮮語の日(hae)
が
日本語でカ行であらわれたものである。朝鮮語の(h-) は日本漢字音ではガ行音であらわれる。
例:賀(ha)ガ、下(ha)ゲ、學(hak)ガク、虐(hak)ギャク、限(han)ゲン、含(ham)ガン、合(hap)ゴウ、
害(hae)ガイ、該(hae)ガイ、現(hyeon)ゲン、玄(hyeon)ゲン、号(ho)ゴウ、豪(ho)ゴウ、護(ho)ゴ、
互(ho)ゴ、畫(hwa)ガ、幻(hwan)ゲン、後(hu)ゴ、
三番目の歌(万2032)の「七日(なぬか)」
は朝鮮語訳では七日(chil il)と音訳されている。chilは朝鮮語で七(シチ)であり、ilは「日」の朝鮮漢字音である
四番目の歌(万933)の「日月(ひつき)」は
朝鮮語ではhae<日> wa<と> tal<月>と訳されている。朝鮮語ではhaeは太陽(the sun)であるが、年(hae)にも使われる。
日本語の日(ニチ・ジツ)は中国語の日[njiet]系のことばであり、日(ひ・か)は朝鮮語の日(hae)系のことばである。
【ひ(火)】
春
野(はるの)焼(やく) 野火(のび)と
見(みる)まで 燎(もゆる)火(ひ)を 何如(なにかと)問(とへ)ば、、(万230)
螢
(ほたる)成(なす) 髣髴(ほのかに)聞(きき)て 大土(おほつち)を
火穂(ほのほと)跡(ふみ)て、、(万3344)
朝鮮語の「火」はpulである。日本語の「ひ(火)」は朝鮮語のpulと音義ともに近い。
古代中国語の「火」は火[xuəi]である。中国語の喉音[h-][x-]は音ではカ行であらわれるが、訓ではハ行であらわ
れるものも多い。
例:灰[huəi](カイ・はひ)、戸[ha](コ・へ)、閑[hean](カン・ひま)、蓋[huat](ガイ・ふた)、
脛[hyeng](ケイ・はぎ)、華[hoa](カ・はな)、花[xoa](カ・はな)、宏[hoəng]・弘[huəng]
(コ
ウ・ひろい)、降[hoəm](コウ・ふる)、惚[xuət](コツ・ほれる)、
日本語の「ひ」は中国語の喉音[x-]がハ行であらわれたものである。朝鮮語のpulも中国語の火[xuəi]と同系のことばであろう。
二番目の歌では「炎」のことを「火穂」と表記し
ている。日本語の「ほのほ」の語源は「火の穂」だとする説があるが、必ずしも民間語源説とすることはできない。朝鮮語では「ほのほ」のことをpul<火> ggot<花>という。pul ggotは火花である。
【ひとつ(一)】
妹
(いも)も我(われ)も一(ひとつ)有
(なれ)かも三河(みかは)なる二見(ふたみの)自レ道
(みちゆ)別(わかれ)不勝(かね)つる(万276)
朝鮮語の「一」はha naである。日本語の「ひとつ」は朝鮮語のha naに音義ともに近い。韻尾の[-n]は調音の位置が日本語のタ行と同じであり、転移し
やすい。
また、「ハナから、、」などという日本語の表現
も朝鮮語のha na(一から)と関係があるのではなかろうか。日本語
の「一人(ひとり)」の「ひと」もha naから派生している可能性がある。
【ひとり(獨)】
獨
(ひとり)耳(のみ)見(みれ)ば戀(こひ)しみ神名火(かむなび)の山(やまの)黄葉(もみぢば)手折(たをり)けり君(き
み)(万
3224)
獨(ひとり)の朝鮮語訳はhan jaである。hanはha na<一>の短縮形であり、jaはja<者>である。日本語の「ひとり」は朝鮮語のha
naか
ら派生したことばであろう。人[njien]は現代中国語では人(ren)であり、「ひとり」の「り」と同系のことばである
可能性がある。
【ふく(吹)】
娞
女(うねめ)の袖(そで)吹(ふき)反
(かへす)明日香(あすか)風(かぜ)京都(みやこ)を遠(とほ)み無用(いたづら)に布久(ふく)(万51)
朝鮮語の「吹く」はpul daである。pul daの語幹であるpulは日本語の「吹く」に音義ともに近い。 朝鮮語の
「風」はpa ram であり、「風が吹く」はpa ram pulである。pa ramもpulも日本語の「風」「吹く」と同源である。
【ふね(船)】
樂
浪(ささなみ)の思賀(しが)の辛崎(からさき)雖二幸
有一(さ
きくあれど)大宮人(おほみやびと)の船(ふね)麻
知(まち・待)かねつ(万
30)
朝鮮語の船はpaeである。長崎の船漕ぎ競争「ペーロン」の「ペー」
は朝鮮語のpaeであろう。
日本語の船(ふね)は中国語の盤[buan]と同源であると言われている。「盤」の原義は
「船」であったという。日本語の「ふね」は中国語の盤[buan]と同源である。
朝鮮語のpaeは日本語の「ふね」の「ふ」に似ている。「ふね」
は中国語の盤[buan]の韻尾[-n]は脱落したものである可能性もある。中国語の盤[buan]、朝鮮語の船(pae)、日
本語の「ふね」は同系のことばではあるまいか。
【ふむ(踏)】
信
濃(しなの)なる知具麻(ちくま)の河泊(かは)の さざれ思(し・石)も伎弥(きみ・君)し布美(ふみ・踏)てば多麻(たま・玉)と比呂波(ひろは)
む(万
3400)
朝鮮語の「踏む」はpalp daである。palpの頭音p-は日本語ではハ行に対応し、韻尾の-pは-mと調音の方法が同じ(鼻濁音)であり、転移しやす
い。朝鮮語のpalpと日本語の「ふむ」は同源である可能性が高い。
【ほし(星)】
天
海(あめのうみ)に雲(くも)の波(なみ)立(たち)月船(つきのふね)星
(ほし)の林(はやし)に榜(こぎ)隠(かくる)所レ見
(みゆ)(万
1068)
朝鮮語では「ほし」はpyeolである。朝鮮語の星(pyeol)は日本語の「ほし」の「ほ」に似ている。日本語
の「ほし」は「朝鮮語のpyeol(星)+中国語の星[syeng]」を併記した両点(二か国語併記)である可能性が
ある。
朝鮮語では両点といって、中国語と朝鮮語を併記
する方法がる。例えば、「天」は朝鮮語でha neulであり、朝鮮漢字音では天(cheon)であるが、これを併記して天(ha neul+cheon)とする造語法である。日本でも文選読みという方法
が行われていた。
【ほたる(螢)】
玉
梓(たまづさ)の使(つかひ)の云(いへ)ば 螢(ほた
る)成(なす) 髣髴(ほのかに)聞(きき)て、、(万3344)
「螢なす」は「ほのか」にかかる枕詞である。
『時代別国語大辞典・上代編』(三省堂)は「螢(ほたる)のホは火(ヒ)の交替形であろう。」としている。
『岩波古典文学大系』の頭注で大野晋は「螢は朝
鮮語pontəri(螢)と同源か。」としている。
金思燁の『韓訳萬葉集』では「ほたる(螢)」はpan
dit pulと
訳されている。pan dit<螢の> pul<光>である。pan ditは日本語の「ほたる」に近い。
一方、日本語の「ほたる」は中国語の「火[xuəi]+垂[duai*]」である可能性もある。野坂昭如の『火垂の墓』は
戦争で、蛍のようにはかなく消えた肉親の命の鎮魂になっていが、野坂昭如の想像力は古代の日本人の心につながっているといえるのかもしれない。
【ほとけ(佛)】
佛
(ほとけ)造(つくる)真朱(まほそ)不レ足(たらず)は水(みず)渟(たまる)池田(いけだ)の阿曾(あそ・朝臣)が鼻上
(はなのうへ)を穿礼(ほれ)(万3841)
朝鮮語の「ほとけ(佛)」はpulである。中国語の佛は佛[piuət]であり、朝鮮語のpulは中国語の佛[piuət]の韻尾[-t]が(-l)に転移したものである。中国語の韻尾[-t]は朝鮮漢字音では規則的に(-l)に転移する。
金思燁の『韓訳萬葉集』では佛(ほとけ)をpul sang<仏像>と訳している。日本語の「ほとけ」
はやはり中国語の佛[piuət]に由来するものであり、朝鮮語のpulも同系のことばである。「ほとけ」の「け」につい
ては諸説あるが、不明である。
佛はさらに遡ると梵語のBuddhaに行き当たる。Buddhaは中国語では音訳されて、仏陀、浮図、浮屠などと
表記された。それが朝鮮語でpulになり、日本語では「ほとけ」として定着した。朝
鮮語でも古代日本語でも、濁音が語頭にくることはないからBuddhaは清音になり「ほと」あるいはpulになった。
【ほととぎす(霍公鳥)】
掻
(かき)霧(きら)し雨零(あめのふる)夜(よ)を霍公
鳥(ほととぎす)鳴(なき)て去(ゆく)成(なり)あはれ其(その)鳥(とり)(万1756)
朝鮮語の「ほととぎす」はtu kyeon saeである。朝鮮語のsaeは「鳥」であり、日本語の「ホトトギス」の「ス」は
朝鮮語のsae と同源である。朝鮮語のsaeは更に遡ると中国語の隹[tjiuəi]にたどり着く。中国語の隹[tjiuəi]は鳥の別名である。
「ほととぎす」は中国語では「霍公鳥」である。
日
本語でも「カッコー」と呼ばれるが、擬声語である。
【ほのほ(火穂)】
大
土(おほつち)を 火穂(ほのほと)跡
(ふみ)て 立(たちて)居(ゐ)て 去方(ゆくへ)も不レ知
(しらず)、、(万
3344)
現代の日本語では「ほのお」は炎(ほのほ)であ
る。万葉集では「火(ほ)+穂」と表記している。そのような連想があったからであろう。
朝鮮語の「ほのほ」は「pul khot(火+花)」である。日本語では「火花」といえば
まったく違うものになってしまう。
ことばの語彙
はどの言語でも数万に限られている。中国の『康煕字典』が約4万語の語彙を収めているという。諸橋徹次の『大漢和辞典』は『康煕字典』をわずかに超える語
彙を収録しているといわれている。しかし、この世の中の事象は数限りなくありうるか
ら、限られた語彙を使って神羅万象を表現するとなると、基礎語彙を組み合わせた複合語にたよらざるを得ない。
「ほのほ」については、中国語は炎[jiam]という語彙を発明し、日本語は「火の穂」、朝鮮語
は「火の花」という複合語をあてた。
【またま(真玉)】
伊
杭(いくひ)には 鏡(かがみ)を懸(かけ) 真杭(まくひ)には 真
玉(またま)を懸(かけ)
真珠
(またま)なす 我(わが)念(おもふ)妹(い
も)
も、、(万
3263)
朝鮮語訳では「真玉(またま)」はku seulである。ku seulは日本語の釧(くしろ)と同源である。
【まつ(松)】
白
那弥(しらなみ・波)の濱松(はままつ)の
木(き)の手酬(たむけ)草(くさ)幾世(いくよ)までにか年(とし)は経(へぬ)らむ(万1716)
松
根(まつがねの) 松事(まつこと・待)遠(とほみ) 天傳(あまつたふ) 日(ひ)の闇(くれぬれ)ば、、(万3258)
最初の歌(万171)の「松の木」はso na muである。na muは「木」であるから「松」はsoである。
二番目の歌(3258)の「松の根」はsol<松> phu ri<根>である。朝鮮語のso あるいはsol は古代中国語の松[ziong]
と関係のあることばであろう。「松」の朝鮮漢字音は松(song)である。
中国語の語彙は朝鮮語の文字(ハングル)ができ
るずっと
以前から受け入れられていたから、母語の音韻構造によって聴覚印象は大きな影響を受けた。松(sol)のほうが古く、松(song)のほうが新しい。しかし、いずれも中国語の松[ziong]に依拠したことばであろう。
日本語の「まつ(松)」の語系は不明である。
【み(實)】
橘
(たちばな)は實(み)さへ
花(はな)さへ其(その)葉(は)さへ枝(え)に霜(しも)雖レ降
(ふれど)いや常葉(とこは)の樹(き)(万1009)
「橘(たちばな)の實(み)」は朝鮮語では「kyeol na mu nun yeol mae」と訳されている。直訳すると「kyeol <橘の音訳>na mu<木> nun<~の> yeol mae<實>」である。yeol maeのyeolは中国語の實[djiet]の頭音が脱落し、韻尾の[-t]が(-l)に転移したものであろう。中国語の韻尾[-t]は朝鮮語では規則的に(-l)に転移する。 mae は日本語の「み(實)」と同源であり、yeol maeは「yeol
<實の中国語音>+ mae<古来の朝鮮語>」の両点ではあるまいか。
日本語の實(み)は朝鮮語のyeol maeのmaeと同系のことばである可能性がある。
【みづ(水)】
石
走(いはばしる)垂水(たるみ)の水(みづ)のはしきやし君(きみ)に戀(こ
ふ)らく吾(わが)情(こころ)から(万3025)
朝鮮語の「みず」はmulである。日本語の「みづ」は朝鮮語の水(mul)と同源であろう。
【みね(峯・嶺)】
三
芳野(みよしの)の青根(あをね)が峯(みね)の
蘿席(こけむしろ・蓆)誰(たれか)将レ織
(おりけむ)經緯(たてきぬ)無(なし)に(万1120)
此
山(このやま)の嶺(みね)に
近(ちかし)と吾(わが)見(み)つる月(つき)の空有(そらなる)戀(こひ)も為(する)かも(万2672)
あ
しひきの山鳥(やまどりの)尾(を)の一峯(ひとを)越
(こえ)一目(ほとめ)見(み)し兒(こ)に應レ戀
(こふべき)ものか(万
2694)
一番目の歌(万1120)の峯(みね)は朝鮮語
でpong u riと訳されている。中国語音は峯[phiong]であり、朝鮮語のpong u riのpongは中国語の峯[phiong]と同源であろう。
二番目の歌(万2672)の嶺(みね)はmoi ui pu ri<山の先端>と訳されている。
三番目の歌(万2692)の峯(を)はmoit pu ri<山の端>と訳されている。アイヌ語では「山」の
ことをnupuriというが、朝鮮語のpu riと関係のあることばである可能性がある。
日本語の峯(みね)は中国語の峯[phiong]と同系のことばである。頭音の[ph-]は[m-]と調音の位置が同じ(唇音)であり、韻尾の[-ng]は[-n]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。朝鮮語
のpong も同系のことばである。
【みやこ(京)】
古
(いにしへの)人(ひと)に和礼(われ・吾)有(あれ)や樂浪(ささなみ)の故(ふるき)京(みやこ)を見(みれ)ば悲(かなし)き(万32)
朝鮮語では都はseo ulである。韓国の首都「ソウル」は都という意味であ
る。奈良の都の奈良は朝鮮語では国(na ra)であるという。seo ulは朝廷(みかど)(万3668)にも使われてい
る。
【むぎ(麦)】
柜
楉(うませ)越(ごし)に麦(むぎ)咋
(はむ)駒(こま)の雖レ詈
(のらゆれど)猶(なほし)戀(こひし)く思(おもひ)かねつも(万3096)
朝鮮語で「むぎ」にあたることばにpo riがある。古事記に五穀の起源を述べた部分がある。
す
なはちその大宜津比賣(おほげつひめ)を殺しき。故(かれ)、殺されし神の身に生(な)れる物は、頭(かしら)は蠶(かひこ)なり、二つの目は稲穂(い
なほ)なり、二つの
耳は粟(あは)な り、鼻は小豆(あづき)なり、陰(ほと)に麥(むぎ)なり、尻は大豆(まめ)なりき。
岩波古語辞典は「陰(ほと)は朝鮮語のpōtʃi(女陰)と同源か」としている。大野晋の『日本語
の起源』(旧版)では「女陰(ほと)はpoči」とされている(p.177)。古事記の「陰(ほと)に麥(むぎ)なり」という
のは「陰poči は麦po riなり」ということになり、朝鮮語でかけことばに
なっている。つまり、古事記の逸話の作者は朝鮮語に通じていたということである。
「麦」の朝鮮漢字音は麦(maek)である。現代の朝鮮語は閉音節(子音でで終わる音
節)があるが、古くは開音節(母音で終わる)であったのではないかという説がある。朝鮮語の麦(po ri)は朝鮮語が開音節であった時代の音であり、麦(meak)は朝鮮語が閉音節の中国語音を受け入れるように
なってからの音ではあるまいか。朝鮮語の訓、麦(po
ri)も
朝鮮漢字音の麦(meak)も中国語の麦[muək]に由来することばであろう。
日本語の「むぎ」は中国語の麦[muək]と同源である。朝鮮語の麦(po ri)あるいは麦(meak)も同系のことばであろう。
【むなぎ(武奈伎・鰻)】
石
麻呂(いはまろ)に吾(われ)物(もの)申(まをす)夏(なつ)痩(やせ)によしと云(いふ)物(もの)ぞ武奈伎(むなぎ・鰻)取(とり)喫(めせ)(万3853)
金思燁の『韓訳萬葉集』では「むなぎ(鰻)」は
鰻(paem jang eo)と訳されている。直訳すると「paem <蟠(へび>jang<状> eo<魚>)である。
日本語の「へび」には現在では「蛇」が用いられ
ているが、「へび」は中国語の蟠[buan]と同源であろう。「へび」は仏足石歌に「閉美(へ
み)」と見え、和妙抄でも「虵、倍美」とされていることから古語は「へみ」であったことが知られる。
日本語の「むなぎ(鰻)」は中国語の鰻[miuan]魚[ngia]の日本語読みである。「む」と「う」はともに合口
音であり、転移しやすい。現代日本語の「うなぎ」は万葉集の「むなぎ」である。古代中国語の[m-]は現代北京語では(w-)になっているものが多い。[ ]内は古代中国語音。
例:網[miuang] wang、微[miuəi] wei、尾[miuəi] wei、文[miuəi] wen、聞[miuən] wen、問[miuən] wen、
舞[miua] wu、無[miua] wu、武[miua] wu、霧[miu] wu、
【むら(村)】
つ
のさはふ石村山(いはれのやま)に
白𣑥(しろたへに)懸有(かかれる)雲(くも)は皇(すめらみこ)かも(万3325)
村
肝(むらきも)の 心(こころ)を痛(いた)み、、(万5)、
金思燁の『韓訳萬葉集』では「石村(いはれ)の
山」を直訳して「tul(岩) ma eul(村) moi(山)」としている。朝鮮語で「村」はma eulである。
万葉集では「村」を村落という意味で使った例は
なく、枕詞の「むらきもの」に「村肝の」という表記があるのみである。しかし、朝鮮語の村はma eulであり音義ともに日本語の「村(むら)」に近い。
日本語の村(むら)はma eulと同源であろう。
19870年代に韓国ではセマウル運動が起こり、セマウル号
という特急も走った。sae ma eulとは「sae<新しい>ma eul<村>」という意味である。
【むれ(群)】
朝
鳥(あさどり)の 朝(あさ)立(だち)為(し)つつ
群鳥(むらどり)の 群(む
ら)立(たち)行(ゆけ)ば、、(万1785)
この歌の「群(むら)鳥(どり)」は朝鮮語訳で
はmut saeと訳されている。saeは「鳥」である。「群」の朝鮮漢字音は群(kun)であり、訓は郡(mu ri)である。これは日本語の音が群(グン)であり、訓
が群(むれ)であるのと完全に対応している。
古代中国語の「群」は群[giuən]であるが、「群」の祖語(上古音)は群[hmiuən*]のような音であり、入りわたり音[h-]の発達したものが群[giuən]になり、入りわたり音の脱落したものが朝鮮語の群(mu ri)あるいは日本語の群(むれ)になったと考えること
ができる。
古代中国語の[m-]の上古音に、入りわたり音[h-]があったことはスウェーデンの言語学者B.カール
グレンなども主張していて、その例として毎(マイ)と海(カイ)がよく取り上げられる。毎と海が同じ声符をもちながら頭音が違うのは毎[muə]の上古音に入りわたり音[h-]があり、毎[hmuə*]の[h-]が発達したものが海[xuə]になり、[h-]が脱落したものが毎[muə]になったと説明すると毎(マイ)と海(カイ)の関
係は整合的に説明できる。中国の音韻学者、王力などもこの考え方を支持している。
【め(目・眼)】
人
目(ひとめ)多(おほ)み眼
(め)こそ忍(しのぶ)れ小(すくなく)も心(こころの)中(なか)に吾(わが)念(おもは)莫(な)くに(万2911)
朝鮮語の「め(目・眼)」はnunである。古代中国語の「眼」はであり、朝鮮語のnun は中国語の眼[ngean]と同源であろう。現代の朝鮮漢字音では中国語の疑
母[ng-]は介音[-i-]などの影響で脱落して眼(an) となるが、朝鮮語の訓(古来の朝鮮語)では
我[ngai] na、樂[ngôk] nakのようにn であらわれることがある。また、日本でも疑母[ng-]がナ行であわわれる例がみられる。
例:魚[ngia]な、、額[ngeak]ぬか、贋[ngean]にせ、訛[nguai]なまり、願[ngiuan]ねがふ、
中国語の疑母[ng-]は日本語の訓ではマ行であらわれることが多い。
例:芽[ngea]め、御[ngia]み、群[ngiuən]むれ、元[ngiuan]もと、迎[ngyang]むかへる、
中国語の眼[ngean]は朝鮮語の訓(古来朝鮮語)では眼(nun)であらわれ、日本語の訓ではマ行で眼(め)とな
る。疑
母[ng-]は朝鮮語の訓では眼(nun)に転移し、日本語の訓ではマ行に転移して眼(め)
となった。
【も(裳)】
為レ君
(きみがため)山田(やまだ)の澤(さは)に恵具(ゑぐ)採(つむ)と雪消(ゆきげ)の水(みづ)に裳(もの)裾(すそ)所レ沾
(ぬれぬ)(万
1839)
裳(も)の朝鮮語訳はchi maである。日本語の裳(も)はchi maのmaと関係のあることばではなかろうか。裳(も)は万
葉の時代の女性の服装で、腰から下につけるスカートのようなものであった。cho
go riは
民族衣装の上衣である。
【もみぢ(黄葉)】
秋
山(あきやま)の 木葉(このは)を見(み)ては 黄葉
(もみぢ)をば 取(とり)てぞ思努布(しのぶ)、、(万16)
黄
葉(もみぢば)の過去(すぎにし)子等(こらと)携(たづさはり)遊(あそびし)礒(いそ)を見(みれ)ば悲(かなし)も(万1796)
最初の歌(万16)の「黄葉(もみぢ)」は、金
思燁の『韓訳萬葉集』ではne reu
ipと
訳されている。「ne reu(黄色い、金色の)ip(葉)」である。
二番目の歌(万179)の「もみぢ(黄葉)」は
朝鮮語訳ではtang phung ipである。「tang phung(丹楓)ip(葉)」つまり丹(に)色の楓(かへで)の葉(ip)である。
朝鮮語の黄葉(もみぢ)は複合語であり、「もみ
ぢ」という単語はない。
【や(矢)】
大
夫(ますらを)の得物矢(さつや)手
挿(たばさみ)立向(たちむかひ)射(い)る圓方(まとかた)は見(みる)に清潔(さやけ)し(万61)
朝鮮語の「矢」はsalである。万葉集には「得物矢(さつや)」という表
現がしばしば出てくるが、「さつ+や」の「さつ」は朝鮮語のsalと同源であろう。朝鮮語では韻尾の[-t]は規則的に[-l]であらわれる。「さつ+や」の「や」は日本語の
「や(矢)」であり、「矢(や)」は中国語の矢[sjiei]
の頭音が脱落したものである。
「得物矢(さつ
や)」は朝鮮語のsal(矢)と日本語の矢(や)を併記した、いわゆる両
点(二か国語表記)である。両点は万葉集では「わたつみの」などにみられる。「わたつみの」
は朝鮮語のpa da(海)と日本語の海(うみ)の両点である。
【やなぎ(柳・楊)】
梅
花(うめのはな)取(とり)持(もち)見(みれ)ば吾(わが)屋前(やど)の柳
(やなぎ)の眉(まよ)し所レ念
(おもほゆる)かも(万
1853)
春
楊(はるやなぎ)葛山(かつらぎやまに)發(たつ)雲(くも)の立(たちても)座(ゐても)妹(いもをしぞ)念(おもふ)(万2453)
朝鮮語の「柳(やなぎ)」はpeo teulである。「柳」の古代中国語音は柳[liu]であるが、朝鮮漢字音は柳(yu)である。
「楊」の古代中国語音は楊[jiang]である。日本語の「やなぎ」は中国語の「楊」から
派生したものである。「楊」は一字で楊(やぎ)とも読む。日本語の「やなぎ」は「や(楊)+の+木」の連想で「やなぎ」となったものであろう。しかし、古
代中国語の楊[jiang]と柳[lyu]は、朝鮮漢字音でみると楊(yang)と柳(yu)であり音義ともに近い。
万葉集には「垂(しだ)り柳」を詠んだ歌(万
1896)もあり朝鮮語訳は「su yang<垂楊の音訳> peo teul<朝鮮語の柳>」と訳されている。
春去(はるされば)為垂柳(しだれやなぎの)十緒(とををにも)
妹心(いもが)心(こころに)乗在鴨(のりにけるかも)(万1896)
【やま(山)】
山
常(やまと・大和)には 村山(むらやま・群)有
(あれ)ど 取(とり)よろふ 天(あめ)の香具山(か
ぐやま)、、(万2)
金思燁の『韓訳萬葉集』では「群山」は「mot <多くの>moi<山>」であり、「香具山」はka gu moiと訳されている。朝鮮語の「山」の訓、山(moi)は日本語の「森」と同源であるとされている。
現代朝鮮語では「山」はsanであり、同じ金思燁の『韓訳萬葉集』でも「あしひ
きの山にも野にも、、」(万927)では「san<山>e to
teul<野>e to」と訳されている。また、山川(万3765)はsan gwaと音訳されている。
【やみ(闇)】
闇
夜(やみのよ)に鳴(なく)なる鶴(たづ)の外(よそ)耳(のみに)聞(きき)つつか将レ有
(あらむ)相(あふ)とはなしに(万592)
闇
夜(やみ)有(なら)ばうべも不二來
座一(き
まさじ)梅花(うめのはな)開(さける)月夜(つくよ)に伊而麻左自(いでまさじ)とや(万1452)
久
(ひさに)将レ在
(あらむ)君(きみを)念(おもふ)に久堅い(さかた)の清(きよき)月夜(つくよ)も闇夜(やみのよに)所レ見
(みゆ)(万
3208)
闇(やみ)の朝鮮語はpamである。pamは中国語の晩[miuan]と音義ともに近い。
一番目の歌(万592)の「闇(やみ)の夜
(よ)」は金思燁の『韓国訳萬葉集』では「kham
kham<真っ
暗で>han<いっぱいの>pam<晩>」と訳している。
二番目の歌(万1452)の「暗闇」は「o tu ul<暗い>pam<晩>」である。
三番目の歌(万3208)の「闇(やみ)の夜
(よ)」はpamである。
【ゆふ・よひ(暮・晩)】
暮
(ゆふ)去(さら)ば屋戸(やど)開(あけ)設(まけ)て吾(われ)将レ待
(またむ)夢(いめ)に相(あひ)見(み)に将レ來
(こむと)云(いふ)比登(ひと)を(万744)
ぬ
ばたまの宿(いね)てし晩(よひ)の
物念(ものもひ)に割(さけ)にし胸(むね)は息(やむ)時(とき)も無(なし)(万2878)
暮(ゆふ)の朝鮮語もpam(晩)である。二番目の歌(万2878)では晩
(よひ)と読みならわしている。朝鮮語訳ではいずれも晩(pam)と訳されている。日本語の「ゆふ」「よひ」は夜[jyak]の系統のことばであり、朝鮮語の暮(ゆふ)、晩(よひ)には晩[miuan] の語系のことばがあてられている。
【よ・よひ(夜)】
茜
(あかね)刺(さす)日(ひ)は雖二照
有一(て
らせれど)烏玉(ぬばたま)の夜(よ)渡
(わたる)月(つき)の隠(かく)らく惜(をし)も(万169)
渡
津海(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に伊理比(いりひ)紗之(さし)今
夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(きよらけく)こそ(万15)
「夜(よる)」の朝鮮語もpamである。朝鮮語のpamは中国語の晩[miuan]と同源であろう。朝鮮語では濁音が語頭にくること
がないので中国語の[m-]は清音の[p-]に転移した。また、韻尾の[-n]は[-m]と調音の方法が同じであり、音価も近い。日本語で
も[-m]と[-n]は弁別されていない。
「よひ・ゆふ(夕)」も「よ・よる(夜)」と同
系の
ことばであろう。中国語でも夜[jyak]、夕[zjyak]は声符が同じであり、夜[jyak]は夕[zjyak]の頭音が脱落したものである。また、中国語の暮[mak]、晩[miuan]は朝鮮語のpamは同系のことばである。
金思燁の『韓国訳萬葉集』では最初の歌(万
169)の「ぬばたまの夜渡る月」は「pam<晩>ha neul<天>eul kyeon neo ga<渡る> neun tal<月>」と訳している。また、二番目の歌(万
15)は「今夜(こよひ)の月夜(つくよ)」を「o
neul<今
日> pam<晩> tal<月>」と訳している。
【わかれ(別)】
小
竹(ささ)の葉(は)は三山(みやま)も清(さや)に乱(みだる)とも吾(われ)は妹(いも)思(おもふ)別(わかれ)來(きぬ)れば(万133)
金思燁の『韓訳萬葉集』では「わかれ(別)」はi pyeol<離別>と音訳している。朝鮮漢字音ではラ行音は
語頭に立つことがないから離(i)となり、別(ベツ)の韻尾の[-t]はラ行に転移している。朝鮮語のほうが日本語より
も漢語を使うことが多い。
日本語の「わかれ」は中国語の別[biat]と同系のことばである可能性がある。中国語の[p-][m-][b-]は唇音であり、合口音の[w-]に転移しやすい。
例:分[piuan]わける、頒[peən]わ
ける、煩[biuan]わづらふ、判[phuan]わ
かる、沸[piuət]わ
く、忘[miuang]わすれる、 綿[mian]わ
た、罠[mien]わな、
【わが・われ(我・吾)】
我
(われ)こそは告(のら)め、、(万1)
石
見乃(いはみの)や高角山(たかつのやま)の木際(このま)より我
(わが)振(ふる)袖(そで)を妹(いも)見(み)つらむか(万132)
小
竹(ささ)の葉(は)は三山(みやま)も清(さや)に乱(みだる)とも吾
(われ)は妹(いも)思(おもふ)別(わかれ)來(きぬ)れば(万133)
最初この歌(万1)の我(われ)なnaである。二番目の歌(万132)の我(わが)はnaeである。三番目の歌(万133)の吾はnaである。
我はnaと発音されるときとnaeと発音されるときがある。現代の朝鮮語でもna neun(私は、、)、nae ga(私が、、)である。
朝鮮語のnaあるいはnaeは中国語の我[ngai]の転移したものであろう。朝鮮語では中国語の疑母[ng-]は語頭に立つことがなかったので、調音の方法が同
じ(鼻音)のnに転移した。
現代の朝鮮漢字音では「我」は我(a)である。我(a)は中国語の我[ngai]の頭音[ng-]が脱落したものである。朝鮮漢字音の我(a)は唐代の中国語音に依拠したものであり、我(na)は隋の時代以前の中国語音の痕跡を留めたものであ
ろう。
朝鮮語のnaeは「朕(われ)」にも使われている。中国語の朕は
皇帝の自称である。日本でも戦中までは天皇の勅語などに使われた。
不
聴(いな)と雖レ云(い
へど)強(しふ)る志斐(しひ)のが強語(しひがたり)此(この)ころ不レ聞
(きかず)て朕(われ)戀
(こひ)にけり(万
236)
【わがせこ(吾背子)】
吾
勢子(わがせこ)は借廬(かりいほ)作(つく)らす草(かや)無(なく)は小松(こまつが)下(もと)の草(かや)を苅(か
ら)さね(万
11)
吾
背子(わがせこ)が古家(ふるへ)の里(さと)の明日香(あすか)には乳鳥(ちどり・千鳥)鳴(なく)成(なり)嬬(つま)待
(まち)不得(かね)て(万
268)
宜
(よろし)なへ吾背(わがせ)の君(きみ)が
負(おひ)來(き)にし此(この)勢(せ)の山(やま)を妹(いも)とは不レ喚
(よばじ)(万
286)
最初の歌(万11)の「吾背子」は金思燁の『韓
訳萬葉集』ではu ri imと訳されている。u riは私、imは恋い慕う人(君臣・親子・師弟・親友・恋人など
慕わしく思う相手)に用いられることばである。u riは日本語の「俺(おれ)」と同源であろう。
二番目の歌(万268)では「吾背子」はkeu tae<そなた>と訳されている。
三番目の歌(万286)の「吾背(わがせ)の君
(きみ)」はu ri nang kumと訳されている。nang kumは「nang<郎> kum<君>」である。朝鮮語ではラ行音が語頭に立つこ
とがないため、中国語の[l-]は[n-]に転移して、郎は郎(nang)になる。
朝鮮語には花郎(hwa rang)ということばがあって、新羅時代(562-732)に両班などの子弟で修養を積んだ青少年をさすこと
ばである。
万葉集では「せこ」に背子、兄子、勢子、勢兒、
などと表記されている。意味は同母の兄または弟を姉妹が親しみをこめて呼ぶことばで、夫や男性の恋人にも用いられる。
【わぎもこ(吾妹兒・吾妹子)】
吾
妹兒(わぎもこ)が形見(かたみ)の服(ころも)下(したに)著(き)て直(ただに)相(あふ)までは吾(われ)不レ脱
(ぬがめ)やも(万
747)
吾
妹子(わぎもこ)が殖(うゑ)し梅樹(うめのき)毎レ見
(みるごとに)情(こころ)咽(むせ)つつ涕(なみだ)し流(ながる)(万453)
吾
妹兒(わぎもこ)に猪名野(ゐなの)は令レ見
(みせ)つ名次山(なすきやま)角松原(つののまつばら)何時(いつ)か将レ示
(しめさむ)(万
279)
吾
妹子(わぎもこ)が 母(はは)に語(かたら)く、、(万1809)
問
(とは)まくの 欲(ほしき)我妹(わぎも)
が 家(いへ)の不レ知
(しらな)く
(万1742)
古代の日本語では二重母音をきらったので我妹(wa ga i mo) を我妹(wa gi mo) と三音節に短縮した。正確にはgi
は鼻濁音で、我妹(wa ngi mo) であろう。日本語ではgi は語頭では濁音になるが、語中では鼻濁音になる。
最初の歌(万747)の「吾妹子(わぎもこ)」
は朝鮮語訳ではnae nimと訳されている。「nae<私の>nim<恋人、いとしい人>」である。
二番目の歌(万44)の「吾妹子(わぎもこ)」
の訳はma nu ra<妻>となっている。
三番目の歌(万279)の「吾妹兒(わぎも
こ)」はnae ma tu ra<私の妻>と訳されている。
四番目の歌(万1809)の「我妹子(わぎも
こ)」は音訳でcheo nyeo<妻女>と音訳されている。
五番目の歌(万1742)は長歌の一部である
が、「我妹(わぎも)」は「jeo<私の謙譲語> a gi<若い娘や嫁に対する愛称>」と訳されている。
万葉集の時代の「妹(いも)」は現代日本語の妹
(いもうと)より意味の範囲が広く、男から妻や恋人・姉妹など親しい女性を呼ぶのにも使われ、女どうしで親しんで呼ぶときにも使われている。
【わごおほきみ(大君・王)】 や
すみしし 和期大王(わごおほきみ)の
常宮(とこみや)と 仕奉(つかへまつれ)る、、
(万
917)
冬
(ふゆの)朝(あした)は 刺(さsh)楊(やなぎ) 根(ね)張(はり)梓(あづさ)を 御手(おほみて)に 所レ取
(とらし)賜(たまひ)て 所レ遊
(あそばしし) 我(わが)王(おほきみ)を、、(万3324)
最初の歌(万917)の「和期大王(わがおほき
み)」は朝鮮語訳ではu ri<私の>im keum<王>と訳されている。
二番目の歌(万3324)の「我王(わがおほき
み)」はu ri<私の>tae kun<大君>と訳されている。tae kun<大君>は音訳である。
朝鮮語の「君」は朝鮮漢字音では君(kun)であり、訓(古来の朝鮮語)ではim keumである。keumは「君」の古形であろう。imは「恋い慕う人・君臣」である。
「君」の古代中国語音は君[giuən]であり、朝鮮語では君(keum)に転移した。それがやがて君(kun)と発音されるようになった。
日本語の訓は君(きみ)であり、音は君(クン)
である。音訓とも中国語の君[giuən]と同源である。君(きみ)のほうが古く、君(ク
ン)のほうが新しい。
【わた・わだ(海)】
渡
津海(わたつみ)の豐旗雲(とよはたくも)に伊理比(いりひ)紗之(さし)今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(きよらけく)
こそ(万
15)
さ
さなみの志我(しが)の大和太(おほわだ)與
杼六(よどむ)とも昔人(むかしのひと)に亦(また)も相(あは)めやも(万31)
あ
りねよし對島(つしま)の渡(わたり)海中(わたなか)に
幣(ぬさ)取(とり)向(むけ)て早(はや)還(かへり)り許(こ・来)ね(万62)
朝鮮語の「海」は海(pa da) である。枕詞の「わたつみの」は「海<朝鮮語のpa da>+つ+海<日本語の「うみ」>」を重ねた両点
(二か国語併記)である。「つ」は「沖つ波」「庭つ鳥」の「つ」で現代日本語の「の」にあたる。
このように外来語と母語を重ねる方法を朝鮮語で
は両点とい言語学者の金澤庄三郎(1872-1967)の『朝鮮研究と日本書紀』によると、朝鮮では今日
でも「天」は「ハナル・チョン」、「地」は「スト・チ」というように朝鮮語と中国語を重ねて両点で読むという。「天」「地」は朝鮮語で天(ha-neul)、地(stə)であり、朝鮮漢字音では天(cheon)、地(ji)である。
朝鮮語研究の第一人者である小倉進平も「国語及
朝鮮語のために」(『小倉進平博士著作集(四)』)のなかで、次のように書いている。
朝鮮語では訓と音とを必ず併唱する。例へば國語で「人」「犬」なる漢字を讀む場合には「人」は 「ひとといふ字」、「犬」は「犬といふ字」と訓でこそいふ
が、更に進んで之を「ひとのジンの 字」、「いぬのケンの字」ちいふ風に唱へることをしない。然るに朝鮮語
にありては、「人」なる 漢字を讀む場合には、必ず(sa-ram・in)、
犬なる漢字を讀む場合には、必ず(kae・kyeon)と
訓音併唱 することを必要条件とするのである。(注:ハングル表記の部分はローマ字に書き換え
た)
二番目の歌(万31)の「大和太(おほわだ)」
は金思燁の『韓訳萬葉集』では「kheun
<大
きな>pa da<海>」と訳されている。「志賀の大和太」は琵琶
湖のことであり、pa daは海にも湖にも使われている。
三番目の歌(万62)の「海中(わたなか)」の
海(わた)は朝鮮語のpa daである。「わた」は日本語として使われている。
【わらは(小兒)】
小
兒(わらは)等(ども)草(くさ)は勿(な)苅(かりそ)八穂(やほ)蓼(たで)を穂積(ほづみ)の阿曾(あそ・朝臣)が腋
(わき)草(くさ)を可礼(か
れ)(万
3842)
「小兒(わらわ)」は朝鮮語訳ではa iと訳されている。a iは「子ども」の意味で、aは朝鮮漢字音の兒(a)である。「兒」の古代中国語音は兒[njie]であるが、朝鮮漢字音では中国語の日母[nj-]は規則的に脱落して兒(a) となる。朝鮮語のa iも兒(a)から派生したことばであろう。日本語の兒(わらは)の語系は不明である。「わ
らは」の「わ」は我[ngai] であろう。
朝鮮語にはa gi<赤ん坊・子ども>ということばもある。a iとa giは意味が近い。a giも中国語の我[ngai]兒[njie]が転移したことばであろう。「兒」と同じ声符を
もった漢字に睨[ngye]があり、「兒」は朝鮮語のgiに近い音をもっていた可能性がある。
日本語の「赤ちゃん」と同系のことばではあるまい
か。記紀歌謡に「あぎ」ということばが使われている。
伊
奘阿藝(いざあぎ) 怒(の)に比蘆(ひる)つ
みに、、(日
本書紀歌謡35)
こ
れと似た歌が古事記歌謡にもあり、古事記では
「いざ古杼母(こども)」となっている。これによって「阿藝(あぎ)」が「古杼母(こども)」のことであることがわかる。
伊
邪古杼母(いざこども) 怒毘流(のびる)つみに、、(古事記歌謡44)
【をとめ(未通女)】
未
通女(をとめ)等(ら)が織(おる)機上(はたのへ)を真櫛(まくし)用(もち)掻上(かかげ)𣑥嶋(たくしま)波間(なみ
のま)従(ゆ)将レ見
(みゆ)(万
1233)
葦
屋(あしのや)の宇奈比(うなひ)處女(をとめ)の
奥槨(おくつき)を徃(ゆき)來(く)と見(みれ)ば哭(ね)耳(のみ)し所レ泣
(なかゆ)(万
1810)
一番目の歌(万1233)の朝鮮語訳は「未通女(a ga ssi)」である。a ga ssiは未婚の女性の呼称である。
二番目の歌の朝鮮語訳は「處女(cheo nyeo)」であり、「處女」の音読みである。「未通女(を
とめ)」はso nyeo<少女>(万2351)と音訳されている場合もあ
る。
日本語の「をとめ」の「め」は中国語の女[njia]であろう。「女」の上古音は女[mia*]に近い音であり、口蓋化によって唐代には女[njia]となったと考えられる。古事記歌謡では賣[mai]が「女(め)」の意味に使われている。
阿(あ)はもよ賣(め)にしあれば、、(古事記歌謡5)
佐加志(さかし)賣(め)を阿理(あり)と岐加(きか)して久波志(くはし)賣(め)
を阿理(あり)と伎許(きか)して、、(古事記歌謡2)
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