第206話
古代日本語と中国語(韻尾編)
日
本語と中国語の音韻構造の違いのうち最大のものは、日本語の音節は母音で終わる開音節なのに対して中国語の韻尾は[-p][-t][-k] や[-m][-n][-ng] で
終わる閉音節のものが多いということである。 そ
のため中国語から日本語への借用語は日本語の音韻構造に適合するために、さまざまな音韻転移が起こる。とりわけ、文字時代以前の借用語は原音の痕跡を見出す
のが困難なほど、転移していることもある。
日本語の弥生音(訓)は古代中国語の韻部について、四つ分けて考えることができる。 Ⅰ.古代中国語の原音を継承しているもの、 Ⅱ.古代中国語の上古音の痕跡を留めているもの、 Ⅲ.調音の位置や調音の方法が近い日本語音に転移
したもの、 Ⅳ.韻尾が脱落したもの、
Ⅰ.原音を継承しているもの。 (1)母音で終わる開音節の原音を継承したもの。
我[ngai] あ・わ、吾[nga] あ・わ、魚[ngia] うお、弟[dyei] おと、妹[muəi] いも・も、 馬[mea] うま、味[miuəi] うまし、梅[muə] うめ、蕪[miuə]う も、母[mə] おも、海[muə] うみ、 裏[liə] うら、來[hlə] くる、駒[hmea] こま、米[hmyei] こめ、児[ngye] こ、巣[dzheô] す、 洲[tjiu] す、渚[tjia] す、汝[njia] な、魚[ngia] な、勿[miuəi] な、根[kən] ね、牙[ngea] は、 羽[hiua] は、火[xuəi] ひ・ほ、簸[puai] ひ、檜[huai] ひ、稗[pie] ひ、戸[ha] へ、家[kea] へ、 眉[miei] まよ・まゆ、女[njia] め、馬[mea] ま、芽[ngea] め、矢[sjiei] や、舎[sjya] や、 彌[miai] や、世[sjiai] よ、寄[kiai] よる、繪[huai] ゑ、餌[njia] ゑ、尾[miuəi] を、小[siô] を、
(2)
韻尾の
[-m] [-n] を
ナ行あるいはマ行音で継承して母音を添加したもの。
今[kiəm] いま、禁[kiəm] いむ、金[kiəm] かね、汲[giəm] くむ、窮[giuəm] きはむ、 熊[hiuəm] くま、鑑[heam] かがみ、兼[hyam] かぬ、鎌[hliam] かま、店[tyəm] たな、 苫[sjiam] とま、音[iəm] ね、闇[əm] やみ、弓[kiuəm] ゆみ、臣[sjien] おみ、天[thyen] あめ、 秈[shean] いね・しね、犬[khyuan] いぬ、絹[kyuan] きぬ、巾[kien] きぬ、肝[kan] きも、 君[giuən] きみ、雲[hiuən] くも、輪[hliuən] くるま、蝉[zjian] せみ、進[tzien] すすむ、 薦[tzian] すすむ、苑[iuan] その、段[duan] たな、壇[dan] たな、連[lian] つらなる、 殿[dyən] との、難波[nan] なには、眠[myen] ねぶる・ねむる、呑[thən] のむ、濱[pien] はま、 絆[puan] ひも、文[miuən] ふみ、蟠[phiuan] へみ、免[mian] まぬがる、稔[njien] みのる、 南[nan] みなみ、罠[mien] わな、
日本語では韻尾の[-m]と[-n]が弁別されないため、[-m][-n]ともにナ行あるいはマ行で
あらわれることがある。
(3)
韻尾の[-p][-t][-k] を
継承したもの。
合[həp] あふ、峡[heap] かひ、蛤[həp] かひ、渋[shiəp] しぶし、狭[heap] せばし、吸[xiəp] すふ、 塔[təp] たふ、集[dziəp] つどふ、粒[liəp] つぶ、頬[kyap] ほほ、葉[jiap] は、 熱[njiat] あつし、未[miuət] いまだ、舌[tjiat] した、葛[kat] かづら・くづ、鉢[puat] はち、 蓋[kat] ふた、筆[piet] ふで、佛[biuət] ほとけ、 赤[thjyak] あか、息[siək] いき、顎[ngak] あご、奥[uk] おく、菊[kiuk] きく、欠[khiuak] かく、 塞[sək] せき、鵲[syak] さぎ、築[tiuk] つく、漬[dziek] つける、 作[tzak] つくる、
續[ziok] つづく、遂[thiok] とげる、竹[tiuk] たけ、束[sjiok] つか、濁[diok] にごる、 額[ngək] ぬか、墓[mak] はか、剥[peok] はぐ、牧[miuək] むまき、幕[mak] まく、 覓[mək] まぐ、麦[muək] むぎ、若[njiak] わかし、腋[jyak] わき、岳[ngak] をか、
Ⅱ.中国語の上古音の痕跡を留めているもの。
(1)
中国語の韻尾[-n][-m] が、祖語の入声音[-t] の痕跡を残すもの。
音[iam] おと、腕[uan] うで、肩[kyan] かた、琴[giəm] こと、言[ngian] こと、但[dean] ただ、 斷[duan] たつ、楯・盾[djiuən] たて、幡[phiuan] はた、邊[pyen] はた・ほとり、満[muan] みつ、 斑[pean] ふち・まだら、源[ngiuan] みなもと、鞭[bian] むち、本[puən]・元[ngiuan] もと、 澱[dyən] よど、綿[mian] わた、遠[hiuan] をち、
(2)
上古音で中国語の韻尾[-ng] が[-k] で
あった時代の痕跡を残したもの。
鶯[eng] うぐひす、仰[ngiang] あふぐ、鏡[kyang] かがみ、影[yang] かげ、莖[heng] くき、 香[xiang] かをる・かぐはし、性[sieng] さが、祥[zieng] さが、栄[hiueng] さかゆ、 雙六[sheong] すごろく、勝[sjieng] すぐる、清[tsyeng] さやけし・すがし、静[dzieng] しづか、 貞[tieng] さだか、幸[heang] さき・さち、瀧[liong] たき、當麻[tang] たぎま、嶺[lieng]みね、 丈[diang] たけ、冢・塚[tiong] つか、舂[sjiong] つく、床[dziang] とこ、常[zjiang] とこ、 長[diang] ながし、鳴[mieng] なく、響[xuang] ひびく、命[mieng] みこと、楊[jiang] やなぎ、 床[dziang] ゆか、行[heang] ゆく、往[hiuang] ゆく、横[hoang] よこ、桶[dong] をけ、
(3)
上古音で入声音[-p][-t][-k] の
韻尾があった時代の痕跡を残すもの。(*は祖語) 著[tia][diak*] つく、地[diet*] つち、槌[duət*] つち、椎[duət*] つち、咲[syô][sog*] さく、
酒[tziu][tziuk*] さけ、少[sjiô] すこし、槌[diuəi][diuət*] つち、椎[duəi][duət*] つち、 釣[tyô][tiog*] つり、照[tjiô][tjiog*] てる、鳥[nyu][tog*] とり、寺[ziə][dək*] てら、時[zjiə] [dək*] とき、 流[liu][liôg*] ながる、苗[miô][miog*] なへ、柔[njiu][niôg*] にこ・にぎ、逃[do][dog*]にぐ・にげる、 猫[miô][miog*]ねこ、塗[da][dag*] ぬる、濡[njio][nug*] ぬる・ぬれる、負[biuə][bwəg*] まく、 求[kiu][hmog*] まぐ、迷[myei][med*] まとふ・まよふ、舞[miua][muag*] まふ、 報[pu][pôg*] むくいる、復[biuk] むくいる、廻[huəi][hwəd*] めぐる、
王力は古代中国語の韻尾[ô]を母音で終わる開音節のように表示しているが、中
国語の韻尾[ô] は 上古には[ôk] 近い音でだったものと思われる。董同龢は咲[siogl、少[thiog] 、釣[tiog] 、照[tjiog] のように、韻尾に[-g]のような痕跡があったとしている。日本語の咲(さく)、少(すこし)、釣 (つり)、照(てる)、鳥(とり)などはその痕跡を留めているのであろう。
Ⅲ.中国語の韻尾が調音の位置や調音の方法が近い
日本語音に転移したもの。
(1)
中国語の韻尾[-ng]がマ行・ナ行に転移したもの。
清[tsyeng]すむ、醒[tsyeng]さむ、定[dyeng]さだむ、澄[diəng]すむ、種[doing]たね、
常[zjiang]つね、渟[dyeng]たまる、停[dyeng]とどまる、黨[tang]とも、燈[təng]ともす、
浪[liang]なみ、嘗[zjiang]なむ・なめる、峰[phiong]みね、嶺[lieng]みね、胸[xiong]む
ね、梁[liang]やな、詠[hyuang]よむ、
(2)
中国語の韻尾の[-p] が日本語でマ行・タ行に転移したもの。
鴨[eap]
[keap*] か
も、畳[dyəp] たたみ、立[liəp] たつ、
(3)
中国語の韻尾[-n][-m] がラ行に転移したもの。
怨[iuan] うらむ、恨[hən] うらむ、降[hoəm] おる・ふる、現[hyan] あらはす、顕[xian] あらはす、 韓[han] から、漢[xan] から、嫌[hyam] きらふ、還[hoan] かへる、懸[hiuen] かける、 限[hean] かぎる、雁[ngean] かり、薫[xiuən] かをる、懸[hiuen] さがる、猿[hiuan] さる、 塵[dien] ちり、馴[ziuən] なれる・ならす、潤[njiuən] ぬらす、沾[tham] ぬる、練[lian] ねる、
原[ngiuan] はら、榛[tzhen] はり、墾[khən] はり、干[kan] ひる、謙[khyam] へる、鋺[uan] まり、 丸[huan]ま ろ・まる、亂[luan] みだる、郡[giuən] むら、群[giuən] むれ、連[lian] むらじ、 燃[njian] もえる、遣[kian] やる、
(4)
中国語の韻尾[-p][-t][-k][-ng] が
日本語でラ行音に転移したもの
入[njiəp] いる、猟[hliap] かり、摺[ziuəp] する、汁[tjiəp] しる、執[tiəp] とる、業[ngiap] なり、 没[muət] うもる、渇[khat] かれる、刈[ngiat] かる、栗[hliet] くり、徹[diat] とほる、 垂[zjiuai][duat*] たれる、拂[piuət] はらふ、祓[piuət] はらふ、吠[biuat] ほえる、掘[giuət] ほる、 滅[miat] ほろぶ、悦[jiuat] よろこぶ、折[tsyet] をる、織[tjiek] おる、射[djyak] いる、 色[shiək] いろ、涸[hak] かれる、足[tziok] たる、櫟[lek] なら、緑[liok] みどり、 荒[xuang] あらい、狂[giuang] くるふ、香[xiang] かをる、凝[ngiəng] こる、通[thong] とほる、
乗[djiəng] のる、平[being] ひら、經[kyeng] ふる、亡[miuang] ほろぶ、妄[miuang] みだり、 浪[lang] みだり、萌[məng] もえる、
Ⅳ.
韻尾[-ng][-k][-n][-m] が
脱落したもの。
網[miuang] あみ、夢[miuəng] いめ、名[mieng] な、嶺[lieng] ね、氷[pieng] ひ、瓶[pieng] へ、
方[piuang] へ・も、湯[thang] ゆ、雄[hiuəng] を、 酢[dzak] す、百[peak] ほ、目[miuk] め、 田[dyen] た、津[tzien] つ、邊[pyen] へ、帆[biuəm] ほ、眼[ngean] め、面[mian] も、
記
紀万葉の日本語のなかに中国語からの借用語が多いことは、必ずしも日本語と中国語の構造が似ていることを意味するものではない。中国語は語順も違うし、音韻
構造も違う。中国語の動詞は活用しないのに日本語では動詞や形容詞が活用する。日本語の文法構成はむしろ朝鮮語に近い。 し
かし、日本語と中国語の違いは、日本語とヨーロッパの言語との違いにくらべれば少ないともいえる。たとえば、日本語も中国語も名詞の単数・複数を問わない。ヨー
ロッパの言語には名詞に男性名詞・女性名詞・中性名詞などを区別するものが多いが、日本語も中国語も文法上の性を区別しない。語彙のうえでも性差別を明確に
することが少ない。英語のcowとox、henとcockなどの区別は日本語にも中国語にもない。Heとsheもあまり意識せずに会話ができる。英語のようにchairmanではなくchair
personに
しようなどと考える必要もない。一方、兄と弟、姉と妹は中国語も日本語も区別するのに対して、英語などでは長幼稚の序にかかわらずbrother、sisterを使うので、強いて区別しようとするときはelder brotherとかyounger brotherなどといわなければならないが、日本語や中国語で
は別の語彙が用意されている。
こ
とばの歴史は10万年まえに遡るといわれているが、文字としての記録が残されているのは数千年前までに過ぎない。文字時代以前に中国文化と日本文化の交流
があったことは、稲作の伝来、鉄の文化の伝来をみても明らかである。文化の伝播にともなって、ことばも伝えられたことは、疑う余地がない。 大
航海時代以来、ヨーロッパの文化が南北アメリカや太平洋の島々、カリブ海、アフリカやインド洋の島々に伝えられ、まったく異なった文法構造の言語が接触し
た結果、いわゆるクレオールが生まれた。最近はクレオールの研究もかなり盛んに行われている。クレオールでは現地語の文法構造のうえに、ヨールッパ言語の語彙が現地語化されて、たくさん取り
入れられている。 文
字時代になってからの借用語は、字によって固定されやすいが、文字時代以前の借用語は転移しやすい。例えば、ハワイ語には文字がない時代にたくさん英語など
の語彙が入ってきたが、借用語であることが分からなくなるほど変化しているものが多い。 ここに英語からの借用語10語をあげてある。あなたは何問正解でき
るだろうか。ハワイ語は日本語と同じように各音節が母音で終わる開音節だから、日本語が中国語の語彙を取り入れた時と同じような転移も起こっていて興味深
い。正解は借用語小字典を参考にしてほしい。
1.kaimana
hila、
2.kalikimaka、3.ki、4.makeke、5.panako、
6.pineki、7.pinka、8.aikalima、9.Merikana、10.Iapana、
借用語小字典:(
)は英語 aikalima(ice
cream), ailana(island),
anakala(uncle),
anake(aunt), apala(apple),
hipa(sheep),
hokele(hotel),
hoki
(horse), Iapana(Japan),
inika(ink),
Kaimana
Hila(Diamond Hill),
Kakolika(Catholic),
kalapu(club),
Kaleponi(California), kalika(silk)
kameki(cement)
kanake
(candy), kaukani(thousand),
kapiki(cabbage),
Kalikimaka(Christmas), kenika(tennis),
ki(tea),
kita(guitar),
kokoleka(chocolate),
kuea(square),
kueka(sweater),
kuka(coat), kula(gold),
kuna(schooner),
laiki(rice),
Ladana(London), likiki(receipt),
lilia(lily),
loke(rose),
lopi(rope),
lumi(room),
makika(mosquito),
makeke(market),
Mele Karikimaka(Merry Christmas),
Merikana(American),
mapala(marble),
mika(mister),
mikini(machine),
Nuloka(New York),
paina(pine),
paka(park)
palani(brandy),
panako(bank),
pauka(powder),
pea(bear),
Pelekania(England),
pena(paint),
pepa(pepper),
pia(beer),
piliwi(believe),
pine(pin),
pineki(peanut), pinika(vinegar),
pipi(beef),
pola(bowl),
polu(blue),
puke(book),
pulu(fool),
puna(spoon),
waina(wine),
Wakinekona(Washington),
wekeke(shiskey),
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