第183話  ちり(塵)の語源

 
【ちり(塵)】
「爾 (しかう)して乃(すなは)ち赤駿(あかうま)超(こえの)びて攄(ぬけ)で絶えたること埃(くものみち)塵(ちりのみち)にみえ、、、」(雄略紀9年)
「塵埃 知利(ちり)」(和名抄)
 

  古代中国語の「塵」は塵[dien]である。古代日本語では語頭に濁音は立たないから 日本語では清音(ち)になった。韻尾の[-n][-l]と調音の位置が同じであり、転移した。

  【つ(津)】
熟 田津(にぎたづ)に船乗りせむと月待ては潮(しほ)もかなひぬ今はこぎ出(い)でな(万8)
奥 (おき)つ浪(なみ)邊波(へなみ)莫(な)越しそ君が舶(ふね)こぎ歸(かへ)り來て津(つ)に泊(は)つるまで(万4246)  

 古代中国語の「津」は津[tzien]である。日本語の津(つ)は古代中国語の韻尾[-n]が脱落したものである。古代日本語には[-n]で終わる音節がなかったので、中国語韻尾の[-n]は田[dyen](た)のように脱落するか濱[pien](は ま)のように韻尾に母音を添加して日本語の音韻体系に取り入れたものである。しかし、唐代の中国語音に準拠した津(シン)、田(デン)、濱(ヒン)だけが 中国語音だと考えると、津(つ)、田(た)、濱(はま)は日本列島に神代の時代から伝わる純粋でまじりけのない美しい日本語「やまとことば」であるという ことになる。
参照:第181話【た(田)】、

 【づ・いづ(出)】
あ しひきの山より出(い)づる月待つと人には言ひて妹(いも)待つ吾を(万3002)
倉 橋の山を高みか夜隱(よごも)りに出(い)で來る月の光乏(とも)しき(万290)

  古代中国語の「出」は出[thjiuət]である。日本漢字音は出(シュツ・でる・いづる) である。中国語原音の頭音は中国語音韻学で次清音と呼ばれるもので有気音であり、日本語では濁音に近い。現代日本語の出(でる)は古代中国語の出[thuət]*に近い。しかし、古代にほんごには濁音ではじまる 音節はなかったので語頭に(い)を添加して出(いづ)とした。韻尾の[-t]は朝鮮漢字音では規則的に[-l]に変化する。日本語でも払(フツ・はらう)、擦 (サツ・する)など、特に動詞の場合はラ行に転移する場合が多い。 
 日本語の「いづみ」は一般に「出(いづ)+水(み づ)」と解釈されているが、音韻的には古代中国語の泉[dziuan]の語頭に「い」が添加されたものであろう。
 

山 城の泉の小菅凡(なみ)なみに妹(いも)が心を吾(わ)が念(おも)はなくに(万2471)

 【つか(冢)】
玉 桙(たまほこ)の道の邊(へ)近く磐(いは)構(かま)へ作れる冢(つか)を、、(万801)

  現代日本語の「塚」は記紀万葉では「冢」であらわ れることが多い。日本漢字音の「冢」は冢(チョウ・つか)である。古代中国語の「冢」は冢[tiong]である。上古音は介音[-i-]が発達していなかったから冢[tok]*に近かったものと推定できる。日本語の「つか」は 上古中国語の「冢」の痕跡を留めている。

 【つか(束)】
夏 野去(ゆ)く小牡鹿(をしか)の角(つの)の束(つか)の間(ま)も妹(いも)が心を忘れて念(おも)へや(万501)  

 古代中国語の「束」は束[sjiok]である。口蓋化される前の上古音は束[tok]*に近かったと推定できる。日本語の束(つか)は中 国語の「束」と同源である。

 【つく(著)】
萱 草(わすれぐさ)吾(わ)が下紐(したひも)に著(つ)けたれど鬼(しこ)の醜草(しこくさ)言(こと)にしありけり(万727)
綜 麻(へそ)形の林のさきの狭野(さの)榛(はり)の衣(きぬ)に著(つ)くなす目につくわが背(せ)(万19)  

 古代中国語の「著」は著[tia]である。著は着の正字とされており、着[diak]という音も持っていたものと思われる。「着」の上 古音は着[dak]*に近かったと推定される。古代日本語の著(つく) は中国語の「著」あるいは「着」と同源である。

 【つく(舂)】
天 (あま)光(て)るや日の氣(け)に干(ほ)し囀(さひづ)るやから碓(うす)に舂(つ)き庭に立つ手碓子(てうす)に舂(つ)き、、、(万3886)  

 古代中国語の「舂」は舂[sjiong]である。「舂」は「衝」「撞」とも同系のことばで あり、音義ともに近い。「衝」「撞」の古代中国語音はそれぞれ衝[thiong]、撞[deong]である。日本漢字音は舂(シュ・ショウ・つく)、 衝(シュ・ショウ・つく)、撞(ドウ・トウ・ショ・つく)である。中国の音韻学者王力は『同源字典』(p.382)のなかで「撞[deong]と舂[sjiong]は同源である、撞[deong]と鐘(鍾)[tjiong]は同源である、また撞[deong]と衝[thjiong]は同源である」、としている。まさに「音近ければ 義近し」である。恐らく[deong]が口蓋化して[tjiong]あるいは[thjiong]になり、それが摩擦音化して[sjiong]になったのであろう。音韻が変化するので、それど れの音韻変化の過程で新しい漢字が作られたに違いない。 

鮪 (しび)衝(つ)くと海人(あま)の燭(とも)せる漁火(いさりび)のほのかに出(い)でなむ吾(わ)が下(した)念(も)ひを(万4218)
吾 妹子(わぎもこ)と二人吾(わ)が宿(ね)し枕付く嬬屋(つまや)の内(うち)に晝(ひる)はもうらさび暮らし夜はも氣(いき)衝(つ)き明(あか)し嘆 けどもせむすべ知らに、、
(万210)

 【つく(築)】
大 君の遠の朝廷(みかど)としらぬひ筑紫(つくし)の國に泣く子なす慕ひ來まして息だにもいまだ休めず年月も、、、(万794)
筑 波嶺(つくばね)にわが行けりせば霍公鳥(ほととぎす)山彦響(とよ)め鳴かましやそれ
(万1497)

御 諸(みもろ)に都久夜(つくや)玉垣都岐(つき)餘(あま)し誰(た)にかも寄らむ神の宮人(記歌謡)  

 筑紫、筑波の「筑」の古代中国語音は筑[tiuk]である。スウェーデンの言語学者カールグレンは日 本語の築(くつ)も中国語からの借用語であろうとしている。「築」の古代中国語音は築[tiok]である。記紀歌謡は音表記なので訓の例はない。現 代日本語の常用訓は築(きづく・きずく)である。

【つく(漬)】
「潮 満(しほみちの)瓊(たま)を漬(つ)ければ潮忽(たちまち)に満たむ。」(神代紀下)  

 古代中国語の「漬」は漬[dziek]である。日本語の漬(つく・つける)も中国語から の借用であろう。中国語の動詞は活用しないが、日本語では動詞が活用するので、活用にあわせて漬(ける+る)などとなる。

 【つくる(作・造)】
吾 (わ)が背子は假廬(かりほ)作(つく)らす草(かや)無くは小松が下の草を刈らさね
(万11)
大 夫(ますらを)の伏し居(ゐ)嘆きて造(つく)りたるしだり柳の蘰(かづら)せ吾妹(わぎも)(万1924)  

 古代中国語の「作」「造」は作[tzak]・造[dzuk]であるとされている。日本漢字音では作(サク)、 造(ゾウ)である。恐らく「造」は造[dzuk][dzuəng]と変化したのであろう。訓はいずれも作(つく る)、造(つくる)である。中国語では音義の近い漢字を併記して成語を作ることが多い。「造作」もそのひとつである。

 【つち(土・地)】
吾 (わ)が屋前(やど)の花橘を霍公鳥(ほととぎす)來(き)鳴かず地(つち)に落(ち)らしてむとか(万1486)
た もとほり往箕(ゆきみ)の里に妹(いも)を置きて心空(そら)なり土(つち)は蹈(ふ)めども(万2541)  

 古代中国語の「土」「地」は土[tha]・地[diet]である。日本漢字音は土(ツ・ト・ド・つち)、地 (ジ・チ・つち)である。日本語の地(ジ・チ)は中国語の韻尾の[-t]が脱落した段階の中国語音に準拠している。中国語 音は恐らく地[det][diet][die]と変化したのであろう。この場合も音韻変化の起爆 剤になったのは[-i-]介音の発達である。中国語では音義の近い漢字を併 記して成語を作ることが多い。「土地」もそのひとつである。

 【つち(槌・椎)】
「則 (すなは)ち海石榴樹(つばきのき)を採りて、椎(つち)作り兵にしたまふ。因(よ)りて猛(たけ)き卒を簡(えら)びて、兵の椎(つち)を授けて山を穿 ち草を排(はら)ひて、石室の土蜘蛛を襲ひて、、」(景行紀12年)
「又 頭槌≪箇歩豆智・かぶづち≫の劔を帯(は)きて天孫の前に立ちて、、、」(神代紀下)

 古代中国語の「槌」「椎」の古代中国語音は槌[diuəi]・椎[diuəi]である。「槌」と「椎」は音義ともに近い。古代日 本語に「つち」の音が残っていることから、中国語の上古音は槌[duət]*、椎[duət]*で あった可能性が想定できはしないだろうか。もっとも従来の学説のごとく、訓は「やまとことば」でり中国語音とは関係ないという立場をとれば別である。訓の なかには文字時代以前の弥生時代あるいは古墳時代に中国語から借用した語彙がかなり含まれている可能性がある、ということを検証するのが「古代日本語語源 字典」の趣旨である。 
 なお、「椎」は語頭の[d-]が摩擦音化して椎(しい)になった。現代北京語で も「椎」は椎(chui)と椎(zhui)の二つの音がある。

 【つつ(筒)】
「筒 (つつ)に入れて山の石の中に蔵(をさ)め置く。」(霊異記)
妹 (いも)がりと馬に鞍置き生駒山うち越え來れば紅葉散り筒(つつ)(万2201)  

 古代中国語の「筒」は筒[dong]である。古代日本語では濁音が語頭にくることがな かったので日本語では清音をふたつ重ね筒(つつ)て発音したものであろう。

【つづく(續)】
年 月は流るる如し取り都々伎(つづき)追ひ來(く)るものは百種(ももくさ)の迫(せ)め寄り來(きた)る、、、(万804)
針 袋帯(お)び都都氣(つづけ)ながら里毎に照らさひ歩けど人も咎めず(万4130)  

 万葉集の「都々伎(つづき)」あるいは「都都氣 (つづけ)」は中国語の「續」であろう。古代中国語の「續」は續[ziok]である。古代日本語では濁音が語頭に来ることはな かったので清音を語頭に添加して(つ+づく)とした。「都」の字は二つ続いて用いられているが第一音節では清音に読み第二音節では濁音に読む。

 【つたふ(傳)】
「百 済の王臣明謹みて陪臣怒唎斯致契(ぬりしちけい)を遣して帝国(みかど)に傳(つた)へ奉りて、畿内に流通さむ。佛の我が法は東に流(つたは)らむ、と記 (のたま)へるを果たすなり。」(欽明紀13年)  

 古代中国語の「傳」は傳[diuen]である。古代日本語では濁音が語頭に立つことはな かったので、日本語では語頭に清音を添加して(つ+たふ)とした。「傳」の上古音は傳[duan]*に近かったものと推定される。「傳」の声符は 「専」であり、日本漢字音は専(セン)である。「専」は[duan][diuan]
[siuan]のように変化したものと思われる。現代北京音では 傳は傳(chuan)・傳(zhuan)と二つの発音がある。

 【つつしむ(愼)】
「故 (かれ)、詔を承りては必ず愼(つつし)め。謹まずは自(おのづか)らに敗(やぶ)れなむ。」(推古紀12年)
「日 に一日を愼(つつし)むことは蓋(けだ)し百姓の爲の故(ゆえ)なり。」(雄略紀23年)  

 古代中国語の「愼」は愼[tjien]である。日本漢字音は愼(シン・つつしむ)であ り、現在の北京音は愼(shen)である。愼の声符は眞であり、同じ声符をもった漢 字には眞(シン)・鎮(チン)・填(テン)などがある。王力によればそれぞれの古代中国語音は眞[tjien]、鎮[tien]、愼[tjien]、顛[tyen]、填[dyen]だとされている。「眞」は恐らく[den][dyen] [tien] [tjien] [tzien]のような変化を経たのであろう。日本語の「つつし む」は(つつ+しむ)であり、(つつ)は上古音の頭音[d-]を写しており、(しむ)は摩擦音化した愼[tjien]あるいは[tzien]を写しているのではなるまいか。


☆もくじ

★第161話 古代日本語語源字典索引

つぎ 第184話 つどふ(集)の語源