スウェーデンの言語学者のカールグレンはその著書 『言語学と古代中国』(1920・オスロー)のなかで、古い時代に中国語から借用 した日本語として、つぎのようなことばを例示している。
剥、竹、麦、熱、酪、室、槅、閾、築、琢、 はいずれも中国語の韻尾[-t][-k]に対応したもので、意味も中国語と日本語では近 い。 絹、秈、郡、坩、鎌、盆、は中国語の韻尾[-n][-m]に母音が添加されて二音節になったもので、対応に 法則性が認められる。 馬、梅はマ行音の前にウが添加されたもので ある。マ行音は唇音であり、口をすぼめて発音する合音「ウ」と親和性がある。 松、熊、蛺、湿、邑はいずれも中国語の韻尾[-ng]または[-p]と対応していて、訓では直音で表現されている。 秈(しね)はうるち米のことである。日本列 島と中国文明の接触は弥生時代に稲作や鉄が伝えられるとともにはじまったと考えられる。古事記、日本書紀、万葉集などが成立する8世紀からおよそ1000 年も前からことばも入ってきていたと考えられる。その意味で、秈(しね)や麦(むぎ)、鉄(テツ)が中国語と同源であるというカールグレンの説には説得力 がある。 本居宣長を中心とする国学は江戸時代中期に勃興
した学問である。江戸時代は学問といえば漢学であり、儒教が寺子屋でも藩校でも教えられていた。それに対し、儒教・仏教渡来以前の日本固有の思想や精神を
究めること、万古不変の国体を闡明することが国学の究極の目的であった。 亀井孝の反論 カールグレン の説にたいして、国語学者の亀井孝 は徹底した反論を試みた。”Chinese Borrowings in Preliterate Japanese(「文 字以前の時代に日本が借用した中国語」)と 題する英文の論文を書いて「やまとことば」の純粋性を主張した。この論文は『亀井孝論文集』にも収められていて、カールグレンの論文以上の分量がある。亀 井孝の恩師である橋本進吉博士の十年祭をひかえて、それに合わすべく1951年 から1952年 にかけて執筆されたものである。 亀井孝は、カールグレンが中国語語源ではないか とした語彙を、三つのグループに分けて、詳細な検討を加えている。 1. 間違いなく誤りと認めうる例 湿 (しほ)、蛺(かひこ) 2. 多分に疑わしい例
琢
(とぐ)、剥(はぐ)、築(つく)、析(さ
く)、槅(かき)、熱(なつ)、 3. あるいは認めてもよいかと思われる例 郡 (くに)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)、 「あるいは認めてもいいという例」が4例で、 18例が「多分に疑わしい例」あるいは「間違いなく誤りと認めうる例」とされている。亀井孝は西洋言語学にも通じた国語学者であり、 開明的な学者であった。しかし、亀井にとっても、「やあとことば」のなかに中国語からの借用語が含まれているという考え方は受け入れ難かった。漢心(から ごころ)を排すれば、儒教渡来以前の日本語の姿が見えてくるという本居宣長の思想が根底にあったのである。 カー ルグレンが中国語からの借用語としてあげて いることばのうち馬「うま」、梅「うめ」については亀井孝も消極的ながら「あるいは認めてもいい」としている。(1) 日本語では語頭に母音添加されることがあ る。 「マ行音」は唇音であり、唇をまるめて発音す る。そのため、「ウ」と親和性がある。中国語は子音で始まる音節が圧倒的に多いが、日本語は母音ではじまることばが多いことばなので、中国語の[m-] >は 前に母音を つけて、馬(うま)、梅(うめ)とした。古代日 本語の韻尾には「ン」という音節はなく、金(キン・かね)、浜(ヒン・はま)のように韻尾[n-][-m]の あとに母音を添加したことについついてはすでに 述べたが、語頭でも[m-]の 前に母音を添加した。「こまいぬさん、ア・ウ ン」のように「ウ」をつけたほうが日本語として発音しやすいのである。このように語頭に母音をつけたほうが、日本語では発音しやすいのである。 (1)「マ 行音」の前に母音を添加したことばの例: 日本語の馬(バ・マ・うま)、梅(バイ・うめ) が中国語の「馬」「梅」と同源であろうということはすでに1920年 代からスウェーデンの言語学者が提唱していると ころである。「マ行音」の前に母音を添加したことばの例は馬(うま)、梅(うめ)のほかにもあげることができる。 馬
(バ・
マ・うま)、梅[muə]
(バ
イ・うめ)、妹[muət](マ
イ・いも)、味[miuət]
(ミ・う まい)、未[miuət](ミ・
いまだ)、美[miei]
(ビ・
うまし<古語>)、母[mə](おも<古 日本語の海(うみ)も母音添加の例としてあげることができる。「海」の古代中国語音は海[xuə](カイ)である。しかし、「海」と同じ声符をもっ た漢字に「毎」があり、「毎」の古代中国語音は毎[muə]で ある。「海」の祖語は海[hmuə*]の ような入りわたり音をもっていたと考えられる。 「海」は海[xuə]と いう音のほかに海[muə]に 近い音ももっており、それに母音が添加されて、 日本語の海(うみ)になったと考えることができる。入りわたり音については後に述べる。 (2) 語頭の濁音には母音を添加する。 古代日本語や朝鮮語は語頭に濁音の来ることのな いことばである。語頭の濁音には訓では母音が添加され、音では濁音は清音で発音される。
潮[diô](チョ
ウ・うしお)、襲[ziəp](シュ
ウ・おそう)、到[dô](ト
ウ・いたる)、 (3) 中国語の泥母[n-]や 日母[nji-] も 母音が添加されることがある。 唸[niəm](ネ ン・うなる)、尼[niei](ニ・ あま)、女[njia] (ジョ・ め・おみな)、 中国語には喉音([h-][x-])と呼ばれる喉の奥で調音される音があって、訓では母音が添加され、音ではカ行であらわれる。喉音は調音の位置がカ行音 (後口蓋音)に近く、濁音に近い。 県[huyen](ケ ン・あがた)、興[xiang](コ ウ・おこる)、泳[hyuang](エ イ・およぐ)、 古代日本語ではラ行音が語頭にくることはなかっ た。そのため、中国語の来母[l-]に は母音が添加した。 裏[liə](リ・ うら)、爐・炉[la](ロ・ いろり)、廬[la](ロ・ いおり)、 痛[thong] (ツ ウ・いたい)、 このほかににも踊(ヨウ・おどる)なども母音添 加の例としてあげることができる。「踊」の古代中国語音は踊[jiong](ヨ ウ)であるが、同じ声符をもった漢字に「桶」 があり、「踊」の古代中国語音も踊[djiong]に 近い音であった可能性があり、それが日本語の 訓、踊(おどる)に痕跡としてあらわれているといえる。 古 代日本語に は「ン」はなかった。 古代日本語には「ン」という音節はなかった。五
十音図には最後に「ン」があるが、いろは歌には「ん」はない。「ン」は音節の最初には来ることがない。「狛犬さん。あ。うん」では音節の頭に母音を添加し
ている。[-n]は
中国語でも独立した音節ではなく、絹の
ように韻尾の一部である。
日本語の「ン」は中国語音に対応するために発達してきたものである。日本語の五十音図はサンスクリットの音韻学の影響でできたもので、平安時代に空海や
円仁が中国で仏教を学んだときに、、サンスクリットの原典をみて日本語に応用したもので、サンスクリットでは[m] である。 日
本漢字音では絹[kyuan]
も鎌[(h)liam*]も
「ン」であらわれる。訓では絹(きぬ)のよう
に日本語の開音節(母音で終わる音節)構造にあわせて、母音を添加している。 日
本語の訓では「な行音」「ま行音」であらわれる場合のほか、「た行音」「ら行音」であらわれ る場
合もある。[-n][-l][-t]は
調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しや
すい。[-n][-m]は
いずれも調音の方法が同じ(鼻音)であり、調音
の位置も近い。 (1)
訓
で「な行音」であらわれることば: (2)
訓
で「ま行音」であらわれることば:
君
(クン・きみ)、肝(カン・きも)、蝉(ゼン・
せみ)、弾(ダン・たま)、 (3)
訓
では「た行音」であらわれることば:
(4) 訓では「ら行音」であらわれることば:
巾
(キン・きれ)、片(ヘン・ひら)、辺(ヘン・
へ・へり)、弁(ヘン・ひら<花弁
日本語古地名でも中国語の韻尾[-n][-ng]が
転移している例がある。敦賀(つるが)、駿河
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