第251話  日 本語の系統論


日本語の起源をたどることは、日本人のルーツを遡 るという難題に直面せざるをえない。しかも、その歴史は、日本という国家が成立するはるか以前に遡る。日本語の系統については大きく分けて二つの考え方が ある。ひとつは北方起源説であり、もうひとつは南島起源説である。

北方起源説では、日本語はモンゴル語や朝鮮語とと もにアルタイ系の言語であると考える。日本語と朝鮮語が同系であるとする白鳥庫吉や金沢庄三郎の説もこれに属する。朝鮮語学者の金沢庄三郎は『日韓両国語 同系論』(明治43年)のなかで「韓国の言語は、わが大日本帝国の言語と同一系統に属するものにして、わが国語の一分派たるに過ぎざること、あたかも琉球 方言のわが国語におけると同様の関係にあるものとす」としている。金沢庄三郎は日本語が本家で朝鮮語が分家であると主張している。明治43年初版といえ ば、日本が韓国を植民地として支配した、日韓併合の年である。こうした考え方は、日韓併合にも政治的に利用されるところとなった。

戦前は日本語アルタイ系説が主流で、新村出の『国 語系統の問題』(1911)、金田一京助『国語史系統論』(1938)などがアルタイ説を支持している。国語学者の橋本進吉は、アルタイ系言語にみられる 母音調和が、奈良時代の日本語にもあることを発見して、日本語アルタイ系説をさらに裏づけた。

戦後は南島起源説が多い。南島起源説には古くは泉 井久之助の説があり、村山七郎、川本崇雄、松本信宏、土田滋、崎山理などが支持している。朝鮮語と日本語は共通の語彙が少ないのにたいして、オーストロネ シア系(南島系)のことばのなかには日本語と似た単語が多いという。

安田徳太郎は『万葉集の謎』(カッパブックス)を 書きベストセラーになった。安田徳太郎の説は「万葉時代の日本語が、今なお、ヒマラヤの谷底にすむレプチャ人によって語られている。」とするものであると するものである。ネパールのレプチャ語と日本語はは同系の言語で、レプチャ人の一部がイント洋に漕ぎ出して日本列島にやってきた、と主張した。

また、安本美典はビルマ語、カンボジア系、インド ネシア系の語彙との関係を指摘し、西田竜雄はチベット・ビルマ語と日本語の語彙の類似を指摘している。日本語の音節が母音で終る開音節であるのは、オース トロネシア系の言語の影響であると南方起源説は主張する。さまざまな研究者が日本語の語彙と関係のあると思われる語彙をランダムに指摘しているが、人体に 関係のある語彙にはつぎのようなものがある。

 目mata(インドネシア語、マライ語、フィジー語、サモア 語)、目maas(トラック諸島語)、目me(チベット語)、鼻sna(チベット語)、鼻panga(タガログ語)、口gutu(サモア語)、口nutu(マオリ語)、歯ha(ライ語)、のどnunsu(マライ・ポリネシア語)、腹pung(ランロン語)、

大野晋の『日本語の起源』(旧版)は、アルタイ系 説だが、新版ではタミル語起源説に変っている。大野晋は『日本語以前』のなかで「もし仮に中国の雲南に、あるいはアジアの西部に一つの(原日本語・ドラビ ダ語というべき)中心があったとすれば、一つの波は東進して日本に着き、南進したものはインド大陸に進み入ってそこに広まった」という仮説を立てていると ころから判断すると、タミル語やドラビダ語が日本語の祖語だと主張しているわけではない。どちらが本家、分家といっているのではなくて、日本語とタミル語 は同系だという主張である。インド南部、および、北部の小さな飛び地ではタミル語が使われている。印欧語族に属する部族が来襲する以前は、インド亜大陸の 大半ではタミル語が使われていたと考えられている。タミル語と日本語が同系だという説は定説にはなっていないが、アルタイ系説にたいするアンチ・テーゼと して受けとめられている。

また最近では、日本語多重構造説が登場して、南方 説と北方説を整合的に統合しようとする試みも行なわれている。日本語は南方系だが、そのうえに北方系の要素がかぶさった、とする説である。日本語多重構造 説にも2説あって、一方は南方語が基層だと考えるみかたであり、もう一方は北方語が基層だと考える。

南方語基層説では、縄文時代の日本ではオーストロ ネシア系の言語が話されていたが、縄文晩期から弥生初期にかけて朝鮮半島を経てアルタイ系言語を話す人々が渡来して、アルタイ語の文法構造のなかにオース トロネシア系の縄文語の語彙を取り入れて日本語が成立したとする。

北方語基層説では、日本列島では縄文時代まではア ルタイ系の言語Aが行われていた。そこへ、優れた稲作文化を担った南島語族が入ってきて、言語Bをもたらしたと考える。

日本語の周辺には、朝鮮語、中国語のほかにも、ア イヌ語、南島語(オーストロネシア語)などがあり、日本語がその影響を受けていないとはいえない。この章では、朝鮮語、アイヌ語、チャモロ語(グアム、サ イパンの言語)、台湾原住民の言語、それにタミル語について、日本語との関係を概観してみることにする。






もくじ

第248話 本居宣長の日本語観

第249話 神代とはいつの時代か

第250話 「邪馬台国」は「やまと」である