第250話 邪馬台国は「やまと」である。

 

『魏志倭人伝』から約500年を経た、8世紀の日 本で「邪馬台国」に似た「夜摩苔」という国名が記録されている。古事記、日本書紀にはそれぞれ約120首の歌謡が記録されているが、そのなかにつぎの歌が 含まれている。

や まとは 国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる やまとし美し

この歌で「やまと」は、日本書紀では「夜摩苔」と 表記されている。

 
  夜摩苔波 區珥能摩保邏摩 多多儺豆久 阿烏伽枳  夜摩許莽例屢
  夜摩苔之 于漏破試(紀)

 

 『魏志倭人伝』の「邪馬台国」は古代中国語音で 邪馬台[jya-mea-də]であり、『日本書紀』が依拠している唐代の漢字音 では「夜摩苔」は夜摩苔/jya-muai-də/である。(古代中国語音をあらわすのには[  ]を用い、唐代の中国語音をあらわすのには/  /を用いる。)

『魏志倭人伝』では「邪馬台国」を「やまたい」と 読み慣わし、『日本書紀』では「夜摩苔」を「やまと」と読むのが通例となっている。『古事記』にも同じ歌が載っているが、「やまと」は、『古事記』では 「夜麻登」と書かれている。

 夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多々那豆久 阿袁加 岐 夜麻碁母禮流
  夜麻登志 宇流波斯(記)

古代の日本語にはいくつかの特色があったことが知 られている。たとえば、語頭に濁音がくることはない、二重母音を避ける傾向がある、などである。二重母音をさけるために、万葉集などでは「我妹」を「わぎ も」と読み、「我家」を「わぎへ」とする。現在の日本語でも「油揚げ」は「あぶらげ」となる。古代の日本語には邪馬台「やまたい」のような二重母音はなかったものと思われる。また、「やま」の「」 は語頭音ではないので「やまど」に近かったものと推測される。

奈良時代までの日本語にはオ段の音が二種類区別さ れていたことが知られている。例えば、古事記や日本書紀の歌謡では「と(甲)」と「と()」には、つぎのような漢字が使い分けられている。

『古事記』                         『日本書紀』

(甲)           斗、刀                                斗、度、妬、図、渡、徒、杜、刀、都、
   ど
(甲)                                                  怒、奴、
  と
(乙)           登、等、杼                       等、苔、謄、登、縢、藤、
  ど
(乙)           杼、紓                                廼、耐、謄、苔

 夜摩苔の「苔」は日本語の「と(乙)」または「ど(乙)」を表わすためにのみ用いられていて、「と(甲)」に用いられことはない。『日本書紀』歌謡で用い られている漢字の隋唐の時代の漢字音は、つぎのように推定されている。

   /təng/、謄/dəng/、登/təng//dəng/、藤/dəng/、苔/də/、廼/nə/、耐/nə/

  日本語の「と(乙)」または「ど(乙)」には、中国語音の[-əng]または[-ə]が当てられていることがわかる。「と(甲)」または「ど(甲)」には、まったく違う漢字が当てられている。

  斗/to/、刀/tô/、妬/ta/、都/ta/、度/da/、図/da/、渡/da/、徒/da/、杜/da/、怒/na/、奴/na/

『随書倭国伝』では「倭国は邪靡堆に都す、即ち 『魏志』のいわゆる邪馬台なる者なり。」という記述がある。『隋書』の「邪靡堆」は『魏志』の「邪馬台」にあたるというのである。しかも、「邪靡堆」は都 の名である。「邪靡堆」の古代中国語音は邪靡堆[jya-muai-tuə] であり、『魏志倭人伝』の邪馬台[jya-mea-də]と近い。文脈のうえからも「倭国はやまとに都す」とすべきであろう。『随書倭国伝』の「邪靡堆」を「やまと」と読むと すれば、『魏志倭人伝』の「邪馬台」も「やまと」であり、『日本書紀』の「夜摩苔」と同じ「やまと」を指していると考えるのが自然である。しかし、わが国 では伝統的に漢学者は「邪馬台国」を「ヤマタイ」と現代の日本漢字音で読み慣わし、国学者は日本書紀の「夜摩苔」を「やまと」と読み慣わしている。

 

「邪馬台」が「やまと」であるとしても、「やま と」とは何かという問題は、まだ解決されたわけではない。「やまと」が九州にあったか、大和盆地にあったかという問題は歴史学者の議論にまつとして、日本 語の「やまと」とは何をさすのかという問題もそう簡単ではない。「港」が「水門」であるのに対して、「やまと」は「山門」であると考える人もいるが、それ は誤りである。なぜならば、「みな」の「と」は古代日本語では 「と()」であるのに対して、「やま」の「と」は「と()」だからである。

港は日本書紀歌謡では「濔儺度」と表記されてい る。「度」は奈良時代以前の日本語では「と()」にしか使われない。これに対して登[dəng]、苔[də]は「と()」にだけ使われる。「やま」の「」 と、「みな」の「」 は古代日本語では違う音だったのである。

「やまと」が山門でないとしたら、「やまと」とは 何だろうか。「やまと」は「任那」と関係のあることばかも知れない。任那の古代中国語音は[njiəm-nai] である。

中国語の語頭音の[nj-] は朝鮮漢字音では規則的に失われる。朝鮮語では任 那は任那(im-na)である。朝鮮語では語中の子音は濁音に発音われる ので、任那は聴覚的には任那(im-da)に近く聞こえるはずである。nはd と調音の位置が同じであり、転移しやすい。朝鮮漢 字音の任那は任那「やまだ」あるいは任那「やまと」に近い発音であったものと思われる。日本語の「やまと」は朝鮮語の「任那」と極めて近い音であり、同源 語であった可能性がある。








もくじ

第248話 本居宣長の日本語観

第249話 神代とはいつの時代か

第251話 日本語の系統論