第248話  本居宣長の日本語観 

 万葉集の研究が盛んになったのは江戸時代の中期 である。江戸時代は朱子学(儒学)全盛の時代である。それに対抗するかのように国学が起こる。契沖が『万葉代匠記』をあらわし、鴨真淵が『万葉考』をあら わして、古典にもとづいて古代日本の思想・文化を明らかにしようとした。そのような時代背景のなかで伊勢の医者、本居宣長は『古事記傳』を著して『古事 記』こそはやまと魂の原点であるとした。

 
 一介の町医者である宣長が『古事記傳』という、 気の遠くなるような注釈を書き始めたのは、賀茂真淵に会ってからである。宝暦13年(1763年)、本居宣長は伊勢松坂の本陣新上屋(しんじょう や)という宿屋で、賀茂真淵に会っている。真淵は67歳、宣長は34歳であった。その時のやりとりが『玉勝間』に載っている。賀茂真淵は本居宣長に、つぎ のように諭したという。

 
 われ(真 淵)も もとより、神の御典(みふみ)をとかむと思ふ心ざしあるを、そはまづから
  ごゝろを清くはなれて、古へのまことの意を、たづねえずばあるべからず。然るにその
  いにしへのこゝろをえむことは、古言を得たるうへならではあたはず、古言をえむこと
  は、萬葉をよく明らむるにこそあれ。さる故に、吾は、まづもはら萬葉をあきらめんと
  する程に、すでに年老て、のこりのよはひ、今いくばくもあらざれば、神の御ふみをと
  くまでにいたることえざるを、いましは年さかりにて、行さき長ければ、今よりおこた
  ることなく、いそしみ學びなば、其心ざしとぐること有べし。
(『玉勝間』二の巻)

 
  宣長はまた『うひ山ふみ』のなかで次のように書いてい る。

 
  件の書ども(古事記、日本書紀)を早くよまば、やまとたましひよく堅固(かた)まり
  て、漢意(からごころ)におちいらぬ衛(まもり)にもよかるべき。道を學ばんと心ざ
  すともがらは、第一に漢意、儒意を、清く濯ぎ去りてやまと魂(たましひ)をかたくす
  る事を、要すべし、、次に萬葉集、これは哥の集なれども、道をしるに、甚タ緊要の書な
  り。

 
 記紀万葉の時代に日本は本格的な文字時代に入っ た。文字時代といっても、まだカナはできていないから、中国語を表記するための文字である漢字を使って書いた。本居宣長は、漢字だけで書かれた記紀万葉の なかに日本精神が隠されているとしたのである。

 日本の歴史は石器時代にはじまり、縄文時代、弥 生時代、古墳時代へと展開していくというのが常識である。弥生時代は稲作の技術や鉄器の文化が大陸から、朝鮮半島を経由して日本にもたらされた国際交流の 時代である。

 大和朝廷が成立したのも中国文明が朝鮮半島を経 由して日本列島に波及してきた結果である。大和朝廷の文化は唐の都の文化を規範として成立した。

 また、高松塚古墳の壁画などを見れば、朝鮮の風 俗が入ってきていたことがわかる。『萬葉集』が成立した8世紀は、日本が中国大陸や朝鮮半島から孤立して、独自の文化を形成した時代ではなく、日本の歴史 のなかでもまれにみる国際化の時代であった。ことばも、文字時代以前から、弥生時代、古墳時代を通じて中国語の語彙を数多く取り入れていた。、万葉集の歌 のなかにも朝鮮漢字音の影響を受けたと思われるものが数多く含まれている。文字時代をになった史(ふひと)の多くは朝鮮半島の出身であることも衆知の事実 である。

 万葉集が8世紀の日本文化の金字塔であることは 間違いない。しかし、漢字で書かれている万葉集のなかから漢意(からごころ)を濯ぎ去ることはできるのだろうか。

 中国文明だけが東アジアの唯一の文明であった時 代にあって、本居宣長は日本語を、そして国家としての日本を大宇の中心に据えることによって、辺境の文化と考えられてきた日本を普遍の高みに押し上げよう とした。

 中国文明は中華思想を生み、中国語だけが正しい 言語であり、あとは「南蛮鴂舌」(南方の蛮人はもずのさわがしい鳴き声のようにまくしたてる)であるというのが中国人の言語観であった。言語における華夷 思想である。本居宣長はこれに反発して、日本語の五十音こそは正しく美しい音であるとして、「此ノ五十ノ外ハ。皆鳥獣萬物ノ聲ニ近キ者ニテ。溷雑不正ノ音 也ト知ルベシ」と主張している。本居宣長もまた中国人の華夷思想を受け継いでいる。

 しかし、万葉集の時代は「漢心(からごころ)を 排した純粋な「やまとごころ」の時代ではなく、中国の文化や文明が朝鮮半島を経て日本列島にやってきた時代であり、漢字がもたらされ、百済人が、新羅人 が、高麗人が中国語や朝鮮語の語彙を日本語のなかに持ち込んだ時代でだったのではなかろうか。 






もくじ

第249話 神代とはいつの時代か

第250話 「邪馬台国」とは「やまと」である

第251話 日本語の系統論