第144話
部首を探す 日本には国語
辞典のほかに漢和辞典があって漢字の読み方や意味は漢和辞典で引く。漢和辞典の漢字は通常部首の画数順にならべられており、「男」という字について漢和辞
典で調べるためには「男」の部首が「田」なのか「力」なのかしらなければならない。「女」という字は「くノ一」で構成されているが「ノ」でも「一」でもな
く「女」という部首がある。 漢字検定試験でも漢字の部首を問う問題が出され
ている。 2級:次の漢字の部首を記せ。 <例>菜 (艹)、 間(門)、 1.虞、 2.朱、 3.摩、 4.殿、 5.煩、 答は次のとおりである。 1.虍、2.木、3.手、4.殳、5.火、6.勹、7.氵、8.
甘、9.大、10.
又 部首をしらなければ辞書も引けない。しかし、
「摩」はなぜ「麻」でははく「手」なのだろうか。「煩」はなぜ「頁」ではなく「火」なのだろうか。 日本の漢和辞 典の多くは214種類の部首による分類を基本としている。白川静の『字通』によると「摩は説文によると「研(と)ぐなり」とあり、それより研磨することを いう。手で撫でるようにする行為をいう」とある。また、「煩は説文によると「熱にて頭痛むなり」とするが、この火は身熱ではなく、人に加えられるものであ る」とある。 「説文」とは後漢の許慎によって紀元100年に
成立した『説文解字』という中国の古い辞書のことで文字学の聖典とされている。部首はいわば森羅万象を214の類別に分類したものであるともいえる。
[人
体]
口、手、毛、牙、爪、皮、目、耳、肉、舌、足、身、血、首、骨、鼻、歯、 しかし、万物 はそんない都合よく分類できるものではない。「摩」は麻+手であるが、手で撫でるという原義があるので部首は「手」であり、「煩」は火+頁であるが、火と 関係のある文字なので部首は「火」である、ということになる。外観は同じでも「胸」「胴」は肉月であり、「月」「朝」は月である。人間の体に関係のあるの ものを示す文字は同じ「月」でも「にくづき」とよばれて、おおむね左側に「月」がある。 (1) 肌、肝、肚、胆、胸、脇、胴、脚、脳、腕、腸、
腹、腰、膝、 「にわとり」は「鶏」でもあり「雞」でもある。 「鳥」も「隹」も鳥である。「隹」は雀、隼、雁、雛などに使われ、「鳥」は鳶、鳳、鴉、鴨、鵞、鵠、鵲、鴬、鶴、鷲、鷺、鸞、などに使われる。朝鮮語で 「鳥」は鳥(sae)である。日本語でも鳥の名前に「す」がついたもの は多い。カラス、カケス、ウグイス、ハヤブサ、などである。これらの鳥の「ス」は朝鮮語の鳥(sae)によるものである。朝鮮語の鳥(sae)をさらに遡れば中国語の「隹」にたどりつく。スズ メの「ス」も「隹」であろう。雄(オス)、雌(メス)の「ス」も雄鶏、雌鶏であり「隹」に由来する。 「とり」には「酉」もある。酉の市の酉(とり) である。この酉は十二支に関係がある。酉の部に収めれれている漢字は十二支ではなく酒にかんするものがほとんどである。「酒」は「氵」だと思うが酊、酌、 酎、酔、酢、などとともに「酉」の部に出ている。 「熱」は灬部
であり、魚は魚部、鳥は鳥部である。「交」「京」「亭」は亠部だが、「立」「高」「音」「辛」などはそれぞれで部首をなしている。「見」は「目」と関係が
ありそうだが「見」も部首をなしている。「勝」は「力」の部、「謄」は「言」の部、「騰」は「馬」の部ということになる。 白川静によれ ば、「男」は田+力。力は耒(すき)の象形。田と農具の耒(力)とを組み合わせて耕作のことを示す。男はもとその管理者という語で、のち五等の爵号の一つ となった。説文に「丈夫なり。田に従いひ、力に従ふ。男は力を田に用ふるを言ふなり」とするが、力は筋力の意ではない。周初の金文令彝(れいい)に「諸 侯、侯・田・男に四方の命を舎(お)く」とあって、男は外服諸侯の一つであり、農地の管理者をいう。男女を連称することは、列国期に至ってみえる。詩経は 室寿(むろほ)ぎの歌で、男女の出生のことを歌う。詩篇では男女は士女と対称するのが普通であった。金文では男を一夫・二夫のように数え、これが農夫の称 で、これを統括するものを大夫という。」とある。 「女」は女子が跪(ひざまず)いて座す形。説文
に「婦人なり。象形」とあり、手を前に交え、裾をおさえるように跪く形。動詞として妻とすること、また代名詞として二人称に用いる。代名詞には、のち汝を
用いる。」とある。 部首は複雑な漢字を分類するために考案されたも のであるが、その数は時代によって変わってきている。後漢の『説文解字』には部首が540あったという。それが『康熙字典』では214部首に整理され、日 本の漢和辞典は『康熙字典』の部首をおおむね踏襲している。 「男」は説 文では独立した部首をなしており、舅、甥の二字が男部に属していた。その後、玉篇では男部に嬲(じょう)の字を加えている。嬲は嬈(じょう)の俗字で、仏 典に用いられた。現在では「男」は「田」部に、「舅」は「臼」部に、「甥」は「生」部に、「嬲」は「女」部に分類されるようになった。 「女」は説文でもすでに姓・姜など273文字が
おさめられている。女部は水部などとともに属する文字の多い部首である。姉・妹・娘・婦・妻・姫・妃ばかりでなく、奴・委・始・嫌なども女部に属する。 漢字は象形文
字といわれているが、指事(上・下)、会意(武=戈+止・信=亻+言)、形声(江=氵+工・河=氵+可)などの造語法によって複雑に形声されてきたもので
あり、ひつつの基準で5万を超える文字を214部首に分類することはむずかしい。「放」は「攵」部、「牧」は「牛」であり、「開」は「門」部、「聞」は
「耳」部というのは歴史的経緯はあるとしても合理的であるとは言い難い。「土」と「士」が区別されているのに、「甲」「申」「由」がいずれも「田」部とい
うのもいかがなものであろうか。 部首を覚えな くとも辞書が引けるようにする方法もないわけではない。例えば「放」を「方」で引いたら「攵」部を見よ、「牧」を「攵」部で引いたら「牛」部を見よ、とす ればすむことではなかろうか。そうすれば辞書を引くための基礎知識としての部首の試験は漢字検定から省くことができる。 実際、現在中国語を習う人が使っている「中日辞
典」はa,b,c,順である。阿(a)、哀(ai)、安(an)などの順になっている。また、中国でもアルファ
ベットは小学校の低学年から教えられていて、漢字の北京語読みを全国に普及するのに役立っている。小学校の国語教科書は『語文』 YŬ WÉNとされている。現代の北京語では「語」はyŭ、「文」はwénである。現代の中国語を知るためには現代の北京語
の発音を知ることの方が漢字が『康熙字典』でどの部首に属していたかを知るよりもはるかに大切である。中国の国語教科書の一部をみてみると次のとおりであ
る。(簡体字は日本式漢字に改めた) qiū tiān tiān
nà me gāo nà me lán gāo
gāo de lán tiān shàng
piāo zhe jĭ
duŏ bái yún 中国の小学生は低学年からアルファベットを習っ
ているから部首にたよらずにa,b,c,順の辞書を引くことができる。 日本でも五十音順の漢字の字書がでいている。白
川静の『字通』である。この辞書では漢字は日本漢字音のアイウエオ順にア(阿)、アイ(哀)、アク(悪)、アツ(圧)、アン(安)のように並んでいるので
部首を知る必要はない。 江戸時代の知 識人、教養人、文化人の条件は漢文が書け、漢詩が作れることであった。徳川光圀の『大日本史』も頼山陽の『日本外史』もみな漢文で書かれている。蘭学者杉 田玄白の『解体新書』でさえ漢文で書かれている。その時代には漢和辞典は必須の辞書であり、部首を知らないということは漢和辞典の引き方を知らないことを 意味したに違いない。しかし、現代では漢和辞典はいわば中国語の古語辞典であり、現代中国語の字典としてはその役割を終わりつつあるともいえる。 |
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