第127話 古代中国語音の復元

 漢字は発音が変わっても同じ文字を使うから古代の発音を復元することはむずかしい。しかし、隋唐の時代の発音は『切韻』(601年編纂)と呼ばれる韻書などがあってかなり正確に知ることができる。杜甫や李白の詩の韻を正しく読むことは科挙の試験においても必須科目であったで、隋唐の 時代の正音の研究はかなり進んだ。しかし、隋唐の時代以前の発音が解明されるようになったのは、近代言語学が中国に導入されてからのことである。 万葉集 にはしばしば隋唐の時代以前の発音の痕跡が留められている。古代の中国語音を復元するのには、さまざまな方法がある。古代中国語音は[ ]で表し、中古音は/ /で表す。( )は現代語音を表す。

1.「詩経」など古い時代から伝わる中国語の韻を調べる。( ○○)の番号は詩経の番号。

   奥[uk]: 宿[siuk](207)、 夜[jyak]: 莫[mak](100)、 風[piuəm]: 心[siəm] (199)

 奥は詩経(207)では宿と押韻している。夜は詩経(100)では莫と押韻している。風は詩(199)では心と押韻している。奥、夜は詩経の時代(紀元前800600)には韻尾に[-k]の音があった。また、風は心と同じ韻尾をもっていたことがわかる。

2.声符が同じ漢字はその漢字が作られた時代に、その地方で同じ音だった。

   莫[mak]: 墓[mak]、  特[dək]: 時[dək]、  夜[jyak]: 液[jyak]

 「墓」は「莫」とは声符が同じであり、「墓」の古代中国語では墓[mak]であった。日本語の墓「はか」は古代中国語に対応している。「時」と「特」とは声符が同じであり、時の古代中国語は 時[dək]であった。時「とき」は弥生時代から古墳時代にかけての中国語からの借用語であり、時 「ジ」は隋唐の時代以降の借用語である。古代中国語では「夜」は夜/jya/ではなくて「液」と同じ で夜[jyak]であった。日本語の夜「よる」、腋「わき」などは古代中国語からの借用語である。

 中国語音の歴史は一般に三つの時代に分けられる。

  1.     古代中国語音(『詩経』の時代~紀元前800から紀元前600年~から隋の初期まで)。
2.     中古中国語音(唐詩の時代)。
3.     現代中国語音(魯迅、毛沢東などの時代)。

 日本漢字音は中古中国語音に依拠しているが、万葉集の漢字の読み方のなかには古代中国語音の痕跡を留めているものがみられる。同じ声符をもった漢字でも韻尾の[-p][-t][-k]が残っているものと、失われたものがある。

<韻尾篇>

同じ声符をもった漢字は、その漢字が使われはじめた時代には同じ発音だったと考えられる。

     古代中国語の入声韻尾[-p-t-k]は長い時間をかけて失われた。

特・時、 莫・墓、 液・夜、 擦・祭、 列・例、 式・試、 喫・契、

一般的に韻尾の残っているものが古く、脱落したものが新しい。また、同じ漢字でも二通りの読み  方があるものがある。

易(エキ・イ)、 度(タク・ド)、 塞(ソク・サイ)、 作(サク・サ)、

関「せき」には現在では「関」の字があてられているが、中国語の「塞」が語源であろう。万葉集では塞毛置末思乎(万468せきもおかましを)、塞毛有粳毛(万1077せきもあらぬかも)と「塞」が塞「せき」にあてられている。作(つくる・サク)、剥(はぐ・ハク)、筆(ふで・ヒツ)、舌(した・ゼツ)などの訓も古代中国語音の痕跡を残した弥生音である。

     古代中国音の韻尾/-ng/や宵韻/ô/などは古代中国語韻尾の[-k]が変化したものである。

 較・ 交、 爆・暴、 粛・繍、 淑・椒、 躍・曜、 卓・悼、 沃・夭 

中国の音韻学者王力は『同源字典』のなかで、籠[long]は簏[lok]と同源であるとしている。日本語の籠「かご」は古代中国語の韻尾の痕跡を留めている。瀧「たき・たぎつ」、咲「さく」、奥「おき・おく」、影「かげ」、茎 「くき」、冢・塚「つか」、床「とこ」、雙六「すごろく」、青楊「あをやぎ」などは古代中国語音の痕跡を留めたものである。

日本の古地名では香山「かぐやま」、望陀「まぐた」、相模「さがみ」、当麻「たぎま」など、かなり古い中国語音の痕跡を留めてものがみられる。しかし、万葉 集の時代には香(か)具山、当(たい)麻、望(もう)陀のように発音が変化していたので、香山は香具山は「具」を添記して書くようになった。また、望陀な どは現在では馬来田と書いている。本居宣長は『地名字音転用例』のなかで、和銅六年に地名は必ず二字の嘉名をつけることと定めたために、後に二字をあてたから読み方にずれができていると説明している。

「相模ハモトサウモ、信濃ハシナノナリシヲ、サガミ シ ナノトハ後ニ訛レル也トヤウニサヘ思フメリ。是レイミシキヒガコト也。サガミ シ ナノハ本ヨリノ名ナルニ、相模信濃ナドノ字ハ後ニ(アテ)タルモノニテ、末ナルコト辧ヘザルモノ也」

相模、信濃はもと三字だったものを二字に縮めたので正音からはずれてしまっているというのである。しかし、これは逆であろう。香を香「かぐ」と読み、相を相「さが」と読む読み方は弥生音であり、古代中国 語音の痕跡を留めている。

     古代中国語音の入声韻尾[-t]は隋唐の時代には/-n/に変わったものがある。

因(イン):咽(エツ)、 本(ホン):鉢(ハツ)、 産(サン):薩(サツ)、

[-t][-n]は調音の位置が同じであり、調音の位置が同じ音は転移しやすい。中国の音韻学者王力は  『同源字典』のなかでつぎの対語は同源であるとしている。

zjiuən:: 粋siuət、  判phuan: 別biat、  弁bian: 別biat、  断duan: 絶dziuat

日本語の訓とされているもののなかにも、古代中国語音の痕跡を留めているものがみられる。

音(おと・オン)、琴(こと・キン)、  本(もと・ホン)、   楯(たて・ジュン)、
幡(はた・ハン)、堅(かたい・ケン)、肩(かた・ケン)、  満(みつる・マン)、
 

訓は古代中国語音を継承した弥生音である。

     古代中国語の韻尾[-p]の痕跡を留めているものもみられる。

  訓のなかには古代中国語の原音の痕跡を留めているものもみられる。

[shiəp]しぶい、 甲兜[keap-to]かぶと、 合[heap]あふ、 蝶[thyap]てふ、

蝶は旧仮名遣いでは蝶「てふ」であり、古代中国語音の痕跡を留めていた。しかし、現在では音便化して蝶「チョウ」と発音されるようになっている。
地名では鹿児島県の揖宿「いぶすき」が中国語韻尾の揖
[iəp]を留めていたが、実際の発音との乖離が生じたため「指宿」と書くようになってしまった。「揖保の糸」では「保」を補ってかろうじて旧字を使い続けている。甲斐の国の甲[keap]「かひ」の末音を添記したものである。

<声母編>

母音ばかりでなく、子音も時代により、地方により変化する。中国語音も変化し日本語音も変化するのでそのマトリックスは複雑になる。中国語の音韻体系は日本語より複雑 だが、音韻変化の法則は同じである。調音の方法が同じ音は転移しやすい。調音の位置が近い音は転移しやすい。中国の音韻史をたどってみると、次のような変 化が確認される。

    古代中国語の舌端音(前舌音)のなかから中古音の知照系の舌上音(知照系)は生まれた。日本漢字音では同じ声符がタ行とサ行であらわれるものがみられる。

  都(ト)・諸(ショ)、 鈍(ドン)・純(ジュン)、 拓(タク)・石(セキ)、
    舵(ダ)・蛇(ジャ)、単(タン)・戦(セン)、 動(ドウ)・重(チョウ・ジュウ)、
 

日本漢字音ではサ行で読まれる漢字でも万葉集の時代にはタ行で読まれるものがみられる。日本語の訓のなかには古代中国語音に依拠するものが含まれている。

  照(てる・ショウ)、 垂(たれる・スイ)、 時(とき・ジ)、 取(とる・シュ)、
     就(つく・シュウ)、 床(とこ・ショウ)、
束(つか・ソク)、燭(ともる・ショク)、

万葉集ではこれらの漢字はほとんどが訓専用であり、音読字としては使われていない。「床」は床「とこ」専用であり、床「ショウ」とは一度も読まれていない。 万葉集冒頭の雄略天皇の歌にみえる津「つ」もタ行音であり津「シン」とは読まれていない。万葉集の史(ふひと)にとって床「とこ」、津「つ」などは弥生時 代・古墳時代から引き継がれた伝統的な音であり、床「ショウ」、津「シン」があらわれるのは平安時代になってからのことである。

  ②    古中国語の喩母/j-/は古代中国語の定母[d-]などの語頭音が失われたものである。

  塗(ト)・除(ジョ)・余(ヨ)、    脱(ダツ)・説(セツ)・悦(エツ)、
 桶(トウ)・誦(ショウ)・用(ヨウ)、
湯(トウ)・傷(ショウ)・陽(ヨウ)、
 代(ダイ・よ)・弋(ヨク)、   
   世(セ・よ)・泄(セツ・エイ)、

日本漢字音のタ行は古い中国語音の痕跡を留めている。また、頭音がわたり音(i介音)の影響で脱落したものはヤ行あるいは「イ」に転移している。日本語の代「ダイ・よ」、世「セ、よ」は代「よ」、世「よ」は訓だとされているが古代中国 語からの借用語であり弥生音である。また、湯は陽と、桶は甬と同系音であり湯(ゆ)、桶(おけ)も中国語からの借用語であろう。

    中古中国語の日母/nj-/はもとは泥母[n-]あるいは明母[m-]であった。
 中古中国語の日母
/nj-/は泥母[n-]あるいは明母[m-]が口蓋化したものである。万葉集では女[njia]  (め、をみな)、汝[njia](な、なむぢ、なれ)、耳[njiə](みみ、~のみ)、爾[njiai](に)、彌   [mia](み)、祢[myei](ね)に使われている。女(ジョ)、耳(ジ)、爾(ジ)という音は万葉 集にはない。
 任那(みまな)、壬生(みぶ)なども古代中国語音の痕跡を留めえた読み方であろう。また、蒜 「みら・にら」、蜷「みな・にな」などのようにマ行音がナ 行音に転移する例がみられる。マ行 音とナ行音はいずれも鼻音であり、転移しやすい。

    古代中国語の喉音于母[h-]の頭音は口蓋化の影響で脱落し、喩母/j-/になった。
 熊
[hiuəm](くま)、雲[hiuən](くも)はその変化の痕跡を留めている。隋唐の時代になると熊   /jiuəm/(ユウ)、雲/jiuən/(ウン)となり、日本漢字音は唐代の音を継承している。雄略天皇の 歌に用いられている雄「を」、乎「を」の古代中国語音は雄[jiuəng]、乎[ha]であり、その後日本 漢字音は雄「ユウ」、乎「コ」として日本漢字音のなかに定着した。
 ほかには中国語の喉音の痕跡を残すものとしては絵
[huat](ヱ・カイ)、恵[hyuet](ヱ・ケイ)の ような例がある。

    古代中国語には[kl-][pl-][ml-][hm-]などの複合子音が語頭にあった可能性がある。
 スウェーデンの言語学者
Bernhard Karlgrenは古代中国語は語頭に複子母音があったのではないか   と指摘している。確かに漢字には同じ声符をラ行で読むものとカ行で読むものなどが混在してい る。

  洛(ラク)・挌(カク)、 藍(ラン)・監(カン)、 簾(レン)・兼(ケン)、
 嵐(ラン)・風(フウ)、 陸(リク)・睦(ムツ)、 黙(モク)・黒(コク)、

  籠「かご」の古代中国語音が語頭に龍[klong]という複合子音をもっていた。万葉集では「雪が降る」には「零雪乃」あるいは「落雪之」などが使われている。これは文学的修辞ではない。古代中国語音にあった零[plyeng]、落[plak]の語頭音の痕跡である。

「海」は「毎」と声符が同じなのに一方は海「カイ」であり、他方は毎「マイ」である。現代の上海語音では毎は毎(hmai)である。海「カイ」は入りわたり音(h-)の発達したものであり、毎「マイ」は入りわたり音(h-)が喪失したものである。「米」の現代上海語音は米(hmi)であり、日本語の米「こめ」は古代江南地方の発音を継承したものであろう。

もくじ

☆第128話 江南音の影響