第126話
弥生音の痕跡 やまとことは といわれることばのなかには弥生時代からの中国語からの借用語が多く含まれている。しかし、君「クン」が母音をともなって君「きみ」にり、あるいは韻尾が 脱落して名「な」、津「つ」などになって日本語のなかに定着してしまったために万葉集の時代にはすでに借用語とは感じられなくなってしまっていた。記起万 葉の時代やまとことばで中国語からの借用語と思われるものとしてはつぎのようなことばをあげることができる。 ○ 中国語韻尾の[-n]、[-m]、[-ng]などが脱落した例 津
(つ・シン)、 田(た・デン)、 辺(へ・ヘン)、 帆(ほ・ハン)、 ○ 中国語の韻尾に母音を添加して開音節にした例 君
(きみ・クン) 殿(との・デン)、
金
(かね・キン)、 文
(ふみ・ブン)、 日本の古地名のなかには母音添加の例が多い。 因 幡(いなば)、 讃岐(さぬき)、 信濃(しなの)、丹波(たには)、難波(なには)、 ○ 拗音が直音になる例 意
(お)、 久(く)、 許(こ)、 巨(こ)、 飾(しか)、 周(す)、 ○ 濁音が語頭にくるのを避けるために母音添加などを した例 馬
(うま・バ)、 梅(うめ・バイ)、 母(おも・ボ)、 妹(いも・マイ)、 朝鮮語の母(eo-meo-ni)も日本語の母(おも)も中国語起源のことばが転移 したものであろう。また、万葉集ではバ行の音は語頭にくることがなく、マ行であらわれる。 眉 (まよ・ビ)、 米(め・ベイ)、 麦(むぎ・バク)、 牧(まき・ボク)、 ○ ラ行音がタ行あるいはナ行に転移した例 瀧
(たき・ロウ)、 立(たつ・リュウ)、 粒(つぶ・リュウ)、 浪(なみ・ロウ)、 日本漢字音でも龍「りゅう」はラ行、寵「チョウ」 はタ行である。 これらはいずれも古代日本語の音韻体系に適応して 変化したものである。古代日本語の音韻体系の特徴としてはつぎのようなものをあげることができる。
1.母音で終わる開音節であった。 発音は時代とともに変化するが、音の変化には法則 がある。調音の位置の同じ音は転移しやすい。また、調音の方法の同じ音は転移しやすい。それを日本語の音図で示すとつぎのようになる。
この図で縦の音は調音の位置が同じで転移しやすい。また、横の方向では調音の方法が同じであり転移しやすい。また、摩擦音化して転移することもある。タ 行音はイ段では摩擦音化してサ行に転移する。日本語では「ジ」と「ヂ」は現代では弁別されず、「ズ」と「ヅ」も区別ができなくなっている。 日本漢字音には呉音・漢音などの区別がある。呉音と漢音が区別されて意識されはじめたのは、平安時代の初め、遣唐使が唐に留学してからのことである。万 葉集には漢音は使われていない。音、訓の区別はすでに『古事記』の割注などにもみられる。中国語起源のことばであっても古事記編纂時にすでに日本語化して おり、当時の漢字音と違うものは訓とされた。例えば、「奥疎神」には割注がついていて「訓奥云於伎」とある。つまり「奥」は奥「おき」と訓で読むようにと 指示している。古事記に割注をつけた時代には「奥」はすでに音便化して奥「オウ」となっていた。そのためにわざわざ割注をつけたのである。 白川静の『字通』によれば「奥」は古代中国語 音が奥[uk]である。それが、隋唐の時代の中古音が奥[ô]に変化したことが現在では知られている。訓とされ ている奥「おき・おく」はやまとことばではなく、実は中国語からの借用語であり古代中国語音の痕跡を留めているのである。 万 葉集の漢字の読み方は平安時代にできた漢字音の分類にしたがって考えたのでは理解しがたい体系をもっている。これらのことばは呉音でもなく漢音でもない。 弥生時代から古墳時代にかけて大陸との交渉のなかで借用されたものだから、これを仮に「弥生音」と呼ぶことにする。漢音は平安時代以降多くつかわれるよう になったものだから、これを平安音とする。万葉集の時代を中心に漢字を区分するとつぎのようになる。
君
母
籠
岳
吾 津 手 許 志 須 弥生音のなか には籠「かご」のように古代中国語音の痕跡を留めているものもある。また、津「つ」、手「て」のように江南音や越の音の痕跡を留めているものもある。ま た、漢字は朝鮮半島を経て日本に伝えられ、万葉集の時代の史(ふひと)が朝鮮半島の出身者であったこともあって吾「あ」、岳「をか」のように朝鮮漢字音を 継承しているものもある。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|