第119話 弥生時代の「やまとことば」 天(あめ・テン)、地(つち・ド)、神(かみ・シン)、時(とき・ジ)は音訓ともに中国語からの借用語であることが明らかになった。訓は文字時代以前の借用 語であり、記紀万葉の時代には「やまとことば」として日本語のなかに取り入れられ、もはや外来語であると意識されていない。 日本は弥生時代のはじめ、紀元前3世紀ごろから中国文化の影響を受けており、「やまとことば」もまた、記紀万葉の時代からすると千年も前から中国語や朝鮮語 の影響を受けていたと考えられる。古事記が編纂された8世紀にはすでに日本語のなかになじんでいて、外来語だとは感じられなくなっていたことばは数多くあ る。例えば「奥」は、音が奥(オウ)、訓が奥(おく)ということになっている。古事記には奥疎神(おきざかるのかみ)、道奥石城国(みちのくのいわきのく に)、奥方(おくつかた)など神名、地名に多く使われている。現在伝えられている『古事記』の伝本では、「奥疎神」には「訓レ奥云ニ於伎一」と註がついていることから、奥(おく)は古事記が編纂された頃から訓だと考えられていたことが知られる。 〇 奥(おく)。「奥」は音の奥(オウ)である。しかし、王力の『同源字典』によれば「奥」の古代中国語音は奥[uk]である。古代中国語音は『詩経』(紀元前600年頃成立)の韻などを調べることによって確認できる。詩経(207)では奥は蹙[tsiuk]、菽[sjiuk]、戚[tsyuk]、宿[siuk]、覆[phiuk]と押韻している。古代中国語の「奥」の音価は奥[uk]と推定できる。日本漢字音の奥(オウ)は隋唐の時代の中国語音を継承したものであり、訓読みの奥(おく)は古代中国語音の奥[uk]と対応している。 太安万侶はわざわざ割註をつけて「奥」を「於伎」とよませている。古代中国語音の奥[uk]は隋唐の時代には奥[ô]に変化していまっていていたので、奥(おく)が中国語からの借用語であるこが、もはや意識されていていなかったのである。現在ではもはや死語になってしまっ ているが、灰のなかに火種をかこっておく燠(おき)や、現在では「沖」の漢字があてられている澳(おき)も弥生時代における中国語からの借用語である。 |
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