中国における文字の歴史は紀元前13世紀にまでさかのぼれる。隋唐以降の漢字音の音価については、『切韻』(601年頃成立)や『韻鏡』があり、唐詩の韻 などから再構することができる。記紀万葉の日本漢字音はこの時代の中国語音に依拠しているから、呉音・漢音などの微妙な違いはあるものの、隋唐の時代の中 国語音と対応していると考えることができる。しかし、日本と中国との交流は、日本が本格的な文字時代に入る8世紀よりもはるか前、弥生時代にさかのぼるこ とが考古学的にも確かめられている。文字時代以前に「やまとことば」が借用した中国語音は隋唐の時代の中国語音よりはるかに古い時代の古代中国語音に依拠 しているものと考えなければならない。 19世紀初頭に、西欧では言語学のなかに歴史的比較法が確立されて、印欧語諸語の比較研究を通して、言語の系統をうちたてるとともに、古語の発音形式の再構も試みられた。スウェーデンの言語学者Bernhard Karlgren(1889-1978)は西欧言語学の方法論を中国語音韻学に取り入れて、”Études sur la Phonologie Chinoise”(1915)により『切韻』の音価を再構し、さらに”Analytic Dictionary of Chinese and Sino-Japanese”(1923)により中古漢語の音価を明らかにした。また”Grammata Serica”(1940)に よって上古漢語の音韻を再構した。カールグレンの研究は日本漢字音、朝鮮漢字音、ベトナム漢字音にも及び、日本でやまとことばと一般に考えられている馬(うま)、梅(うめ)、絹(きぬ)、麦(むぎ)、竹(たけ)なども、古い時代に中国語から借用してものであると指摘した。 カールグレンの成果は台湾の言語学者董同龢の『上古音韻表稿』(1944年)、王力の『同源字典』(1982年)などに受け継がれた。日本では藤堂明保『学研漢和大字典』(1978年)、白川静『字通』(1996年)などがあり、中国での成果をふまえて古代中国語音の再構を試みている。 古代中国語音を再構するには、『詩経』をはじめ、西暦紀元前の文献における韻のふみ方を研究する。また、漢字は8割が声符をもつ形声文字であり、同じ声符をもった漢字 は『詩経』でも押韻しているので、同じ声符をもった文字は、ある時期に同じ発音であったと想定できる。それをまとめると、『詩経』の時代から隋唐の時代へ の中国語音の変化がわかる。 時[zjiə]と特[dək]が古代中国語で同音であったとするためには声母(頭子音)の関係についても言及する必要がある。日本漢字音の時(ジ)はサ行であり、訓の時(とき)はタ行で ある。藤堂明保『中国語音韻論 その歴史的研究』(p.328~p.333)によれば、照系(舌面音)は端系(舌頭音)から生じたものである。また、荘系(正歯音)は精系(歯頭音)から生じたものであるという。端系から照系への変化は口蓋化によって起こったものであり、精系から 荘系への変化はわたり音(i介音)の発達によって起こったものと考えられる。 同じ声符をもつ漢字でも端系(舌頭音)と照系(舌面音)に読み分けているものがかなりみられる。 例:単[tan] ・
禅[zjian] 、
祷[tu]・
寿[zjiu]、
屯[duən]
・
純[zjiuən] 、
敦[tuən] ・
淳[zjiuən]
、 また、日本漢字音でも、音が照系(舌面音)で訓が端系(舌頭音)のものがある。 例:楯[zjiuən] たて→ジュン、 束[sjiok] つか→ソク、苫[sjiam] とま→セン、 端系(舌頭音)が古く、照系(舌面音)は端系から生じたとすれば、訓読みは古代中国語音の端系に依拠し、音読みはより新しい照系の中国語音を継承していることになる。「時」は通常禅母[zj]に分類されているが、時[zjiə]の声母は端系[t・d]の舌頭音から生じたものであり、日本語の時(とき)は端系の古代中国語音の痕跡を留めているということができる。 |
||
|