第116話 「やまとことば」はどこから来たか

 古事記の冒頭の部分「天地初發の段」の「やまとことば」はどうのような来源をもっているのだろうか。古代中国語音との関係について解明してみたい。

  まず、「天地」は中国語の成句である。百済の和邇が応神十六年にもとらしたとされる『千字文』の冒頭は「天地玄黄、宇宙洪荒」とあり、これを「テンチのあ めつちは、クエンクワウとくろきなり」と読み下した。音と訓を重ねて読む方法は文選読みといわれて古代の日本では普通に行われていた。朝鮮半島では、両点 といって天(ha nəl tyeon)(sta di)と朝鮮語の訓と音を重ねて読む方法が行われていたという。(参照:李敦柱著・藤井茂利訳(2004)『漢字音韻学の理解』、風間書房、p.317

(ha nəl)は朝鮮語の訓であり、(tyeon)は音読みである。地(sta) は中国語の「地」に対応する朝鮮語であり、(di)は漢字の「地」の朝鮮語読みである。朝鮮半島で広く行われていた両点という方法が、文選読みとして日本に導入されたと考えられる。

〇 天(あめ)。天(あめ)は「やまとことば」であ り、天(テン)が中国語からの借用語だと考えられている。しかし、音も訓も中国語からの借用語である可能性がないわけではない。「天」の古代中国語音は天[thyen]である。中国語の[th-]の音は次清音といわれ、日本語にはない音である。日本語の天(あめ)は古代中国語の天[thyen]の頭音が脱落したものである可能性がある。古代中国語音[th-]と「やまとことば」の音韻対応を調べてみると、ほかにもいくつか頭音脱落の例があることがわかる。

  例:[thjyak]セキ・シャク・あか、荻[thyek]テキ・おぎ、

日 本語の音節は母音で終わる開音節であることが大きな特色だとされている。しかし、母音で始まる音節が多いことも日本語の特色のひとつとしてあげることがで きる。現代の日本語について『広辞苑』で調べてみると母音で始まることは14パーセントある。これに対して、中国語の辞書では1パーセントにも満たない。 時代をさかのぼると母音ではじまることばはさらに多くなり、『時代別国語大辞典~上代編』では20パーセントにも達する。頭子音の脱落は三等音(i介音)、あるいは四等音(y介音)を伴う場合に多く起こっている。

次に、天(あめ)が文字時代以前の中国語からの借 用であるとした場合、なぜ第二音節が天(あん)とならないで、天(あま)となったかが問題となるであろう。「やまとことば」には「ん」で終わる音節はなかった。だから、中国語で[-n]で終わることばは最後に母音をつけて、マ行あるいはナ行の音として日本語に借用された。

例:浜(ヒン・はま)、文(ブン・ふみ)、君(クン・きみ)、嬪(ヒン・ひめ)、
   肝(カン・きも)、蝉(ゼン・せみ)、繙(ハン・ひも)、蟠(バン・へみ・へび)、
  困(コン・こまる)、沁(シン・しみる)、

また、古代中国語音の[-m]または[-n]がナ行であらわれることもある。

   例:絹(ケン・きぬ)、金(キン・かね)、殿(デン・との)、兼(ケン・かねる)、

日本語では[-m][-n]を弁別しないため、古代中国語音の[-m]または[-n]は「やまとことば」ではマ行であらわれこともあり、ナ行であらわれることもある。

〇 地(つち)。地の日本漢字音は地(ジ・ヂ)であ る。しかし、白川静の『字通』によると「地」の古代中国語音は地[diet]である。地(つち)もまた文字時代以前に中国語から借用したことばである可能性がある。中国語には韻尾が[-p][-t][-k]で終わるいわゆる入声音がある。それが時代とともに失われる傾向にある。例えば同じ声符をもつ漢字でも韻尾の子音が保たれているものと、失われてしまったものがある。

   例:害・割、 契・喫、 最・撮、 祭・察、 廃・発、 費・沸、 例・列、 秘・必、

「地」の古代中国語音は地[diet]であり、唐代になると地[diei]となって韻尾の[-t]が失われた。日本語の訓の地「つち」は古代中国語音の痕跡をとどめた文字時代以前の借用音であり、日本漢字音の地(ジ・ヂ)は唐代の中国語音に対応したものであると考えられる。

もくじ

☆第117話 古代中国語音の再構