第116話 「やまとことば」はどこから来たか 古事記の冒頭の部分「天地初發の段」の「やまとことば」はどうのような来源をもっているのだろうか。古代中国語音との関係について解明してみたい。 〇 天(あめ)。天(あめ)は「やまとことば」であ り、天(テン)が中国語からの借用語だと考えられている。しかし、音も訓も中国語からの借用語である可能性がないわけではない。「天」の古代中国語音は天[thyen]である。中国語の[th-]の音は次清音といわれ、日本語にはない音である。日本語の天(あめ)は古代中国語の天[thyen]の頭音が脱落したものである可能性がある。古代中国語音[th-]と「やまとことば」の音韻対応を調べてみると、ほかにもいくつか頭音脱落の例があることがわかる。 例:赤[thjyak]セキ・シャク・あか、荻[thyek]テキ・おぎ、 日 本語の音節は母音で終わる開音節であることが大きな特色だとされている。しかし、母音で始まる音節が多いことも日本語の特色のひとつとしてあげることがで きる。現代の日本語について『広辞苑』で調べてみると母音で始まることは14パーセントある。これに対して、中国語の辞書では1パーセントにも満たない。 時代をさかのぼると母音ではじまることばはさらに多くなり、『時代別国語大辞典~上代編』では20パーセントにも達する。頭子音の脱落は三等音(i介音)、あるいは四等音(y介音)を伴う場合に多く起こっている。 次に、天(あめ)が文字時代以前の中国語からの借 用であるとした場合、なぜ第二音節が天(あん)とならないで、天(あま)となったかが問題となるであろう。「やまとことば」には「ん」で終わる音節はなかった。だから、中国語で[-n]で終わることばは最後に母音をつけて、マ行あるいはナ行の音として日本語に借用された。 例:浜(ヒン・はま)、文(ブン・ふみ)、君(クン・きみ)、嬪(ヒン・ひめ)、 また、古代中国語音の[-m]または[-n]がナ行であらわれることもある。 例:絹(ケン・きぬ)、金(キン・かね)、殿(デン・との)、兼(ケン・かねる)、 日本語では[-m]と[-n]を弁別しないため、古代中国語音の[-m]または[-n]は「やまとことば」ではマ行であらわれこともあり、ナ行であらわれることもある。 〇 地(つち)。地の日本漢字音は地(ジ・ヂ)であ る。しかし、白川静の『字通』によると「地」の古代中国語音は地[diet]である。地(つち)もまた文字時代以前に中国語から借用したことばである可能性がある。中国語には韻尾が[-p][-t][-k]で終わるいわゆる入声音がある。それが時代とともに失われる傾向にある。例えば同じ声符をもつ漢字でも韻尾の子音が保たれているものと、失われてしまったものがある。 例:害・割、 契・喫、 最・撮、 祭・察、 廃・発、 費・沸、 例・列、 秘・必、 「地」の古代中国語音は地[diet]であり、唐代になると地[diei]となって韻尾の[-t]が失われた。日本語の訓の地「つち」は古代中国語音の痕跡をとどめた文字時代以前の借用音であり、日本漢字音の地(ジ・ヂ)は唐代の中国語音に対応したものであると考えられる。 |
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