第81話 ケセン語入門 

井上ひさしの『吉里吉里人』は東北の寒村が、突如日本から分離独立するという奇想天外な物語である。そのなかで「ズーズー弁」という吉里吉里の標準語が重要 な役割をはたしている。日本国の一地域である東北の方言が日本国の国語である日本語と対等のことばとしていちづけられることになるのである。そこでは近代 国家とは何か、そのなかの地域、例えば東北と国家との関係はどうなのかがユーモアを交えて問われている。吉里吉里国には旅券も必要なのだ。

「ほんじゃこれがら読みあげっからねす、よっく聞いてて呉(く)ないよ。――旅券法(りょげんほ)。第一条(でえちじょ)、この法律(ほーりづ)は、旅券 (りょげん)の発給(はつきゆ)、効力(こうりょく)その他(だ)、旅券(りょげん)に関(くわん)し必要(ひつよ)な事項(ずこう)を定(さだ)めっご とば目的(もくでき)とすんのっしゃ。第二条(でえぬじょ)、この法律(ほーりつ)さおいで、左(ひんだり)の各号(かくご)さ掲(かんがげ)だ用語(よ うご)の意義(えぎ)は、そんぞれ当該(とうげえ)各号(かくご)さ定(さだ)めっとこさ依(よ)るんだごった。」

 方言はしばしば嘲笑の対象になる。東北弁は標準日本語から「ずれた」ことばであり、日 本国では明治以降、方言撲滅、訛音矯正の努力が積み重ねられ、学校教育では方言札が用いられることもあった。そのズーズー弁が吉里吉里国では標準語にな り、法律の文章にも用いられている。日本語の文学が吉里吉里語に翻訳されさえする。吉里吉里語による『坊ちゃん』はこんな書き出しになる。

親がらの無茶(むつちや)で小供(わらす)の時(どき)がら損ばっかすてる。小学校さ入(へ)ってた頃(あだり)、学校(がつこ)の二階(にげゐ)がら跳 (は)ね降(お)づて一週間(えつすうかん)ばっか腰(こす)抜(の)がすた事(ごだ) ある。なすてそんであな無茶(む) すたど聞く人あったかも知んね。別(べつ)に深(ふけ) 訳はねのす。新(あだら)す二階(ぬげ) がら首(くんび)出してえだっけ、同級生(おんなずくみ)の一人冗談(やぐで) なんぼ威張(えば)ったて、そっかー飛び降(お)づらんねべ、臆病(おくびょ)くされ、ど囃すたがらだ。

 そんな東北弁をこよなく愛し、存亡の危機に瀕する東北弁をより多くの人に学んでもらおうと東北弁の入門書を書いた人がいる。岩手県大船渡市在住の医師、山浦玄嗣さんで ある。その著書『ケセン語入門』は400ページを超える大著である。東北弁の文法体系が分析されているばかりでなく、ケセン語がケセン文字と称するローマ 字で表記されている。

 ケセン語は標準語とは音韻体系も違い、アクセントやリズムも違うから、標準語の音節構造に合わせて用いられているカナではなく、子音と母音の組み合わせが自由にできるローマ字を選んだのである。例えば 第12課Umi sa iguをみてみると、次のようになる。

 Umí sa igu  [ウ・()・サ イ・グ]   海へ行く
   Yané sa ağaru  [ヤ・()・サ ア・カ゜・ル]   屋根に上がる  
  Óhunádo sa igu  [オオ・ナ・()・ド・サ イ・グ]  大船渡へ行く
  Yama s
á noboru  [ヤ・マ・() ノ・ボ・ル]  山に登る
   Hama sá igu  [ハ・マ・()・ イ・グ]  浜へ行く
   Kesen sá kuru [ケ・セ() ク・ル]  気仙へ来る
   Niwa sa deharu  [ニ・ワ・サ デ・()・ル]  庭へ出る
   Kawa sa hairu  [カ・ワ・サ・ヘ()・ル]  川に入る
   Agasagi sa igu  [ア・ガ・サ・ギ・サ イ・グ]  赤崎へ行く

   ○  saは方向を示す<格辞>で、日本語の『へ・に』にあたる。

  第一のグループの名詞は自分自身の音調をもっている。saには音調はない。
  海
Umí、屋根Yané、大船渡Óhunádo

  第二のグループの名詞は名詞自体には音調はなく、sáに音調がある。
  山
Yama、浜Hama、気仙Kesen

  第三のグループの名詞には音調がなく、saにも音調がない。
  庭
Niwa、川Kawa、赤崎Agasagi

  ○  このように、同じ方向を示す<格辞>saも、前にある名詞の音調型によって、音調を持ったり、  持たなかったりする。

  saの用法にはいろいろある。
  <方向> 
Attı sá igu.                あっちへ行く
  <相手> 
Omai sa keru.          君にやる。
  このほかにも<場所>、<目的>、<帰着>、<比較>を表す場合もある。
  <場所> 
Sogó sa ogu.            そこへ置く。
  <目的> 
Kaseŋí sa igu.         稼ぎに行く。
  <帰着> 
Kesen sá tıgu.         ケセンに行く。
  <比較> 
Ore sa kuraber de   俺にくらべて、、、
  <場所>、<目的>、<帰着>、<比較>の用法は格辞
ni(に)の用法と重なっている。

この本はいくつかの課に分かれていて、語学教科書のように練習問題もついている。正しいケセン語を習うための教科書だから、日本語訛りのケセン語にならない ようにさまざま工夫がこらされている。箸を東北弁で「ハス」といえば東京では笑われる。しかし、『ケセン語入門』では箸は「ハシ」と訛ってはならないので ある。山浦玄嗣さんはいう。 

「ケセン語は、私にとって最も美しいことばです。幼い日々の潮騒の音のような、甘美な思い出に満ちた言語です。表情に富み、力と優しさに溢れる生きたことばで す。」

「自分たちにとってかけがえのない、自分の歴史・文化・伝統に愛着と誇り、をもち、自分たちの人格そのものの表現として自分たちの言語を限りなく美しく尊いも のであると意識したとき、ケセン地方の『名もなき』言語は、『ケセン語』として意識され、発見され、独自の人格を持ったのであります。」

危機言語というと何か外国の辺境の言語かと思う人が多いのではないかと思うが、「ケセン語」はれっきとした日本列島のなかの危機言語であり、消滅の危機にあると山浦さんは考える。そのケセン語に山浦玄嗣 さんは限りない愛着をもっている。

東北地方の方言は宮沢賢治を生みだしたことでもわかるように、驚くほど美しい音韻とリズムをもっている。牛をベコといい、母をアッパといい、箸をハスという 語彙の違いだけでなく、そこには標準日本語とは異なる音韻体系と文法体系があるという。否定の疑問文に対する答えで「はい」「いいえ」は日本語と反対にな る。英語と同じである。

『ケセン語入門』の著者である山浦玄嗣はカトリック教徒でもある。山浦さんは聖書のケセン語訳も試みている。

 Sore gara,  Yasó-sama a desiădo sa kaderi-yar’  tar,
   それから、イエススは弟子たちに言った。

 “N’ dar gará,  kadar’  té ogu domo,  
  『だから、 言っておくが、

 nanî kuwú be e ‘te,  inodí no god’  te,  nayam’ dári,
   何を食べようかと命のことで、

 nanî kir’  be  e’  té,  kabáne no god’  te,  anzír  dari  sir’  năr’ nă.
   何を着ようかと 体のことで思い悩んではならない。

 Inodi a kuwimono yóri daizi dár  si,
   命は食べ物よりもたいせつであり、

 kabáne a kiru mono yóri daizi nár mon’  dar.
   体は衣服よりもたいせつなのだ。

 Karásï mir dé mir-nare.
   烏を思い浮かべてみなさい。

 Tanê magú godo mo, agizmaî sir’ kodo mó nag’í si,
   種をまくことも刈り入れることもなく、

 kura mó naya mó moda-nág’ ar’ baĭ?
   納屋も倉も持たない。

 N’ dar domó, Kamisáme a karási adigaw’ te kér-yar’  n’  de  a nag’i  na.
   だが、神は烏を養ってくださる。                                 (ルカ伝)

東北弁には人をとりこにする何かがある。井上ひさしに記念碑的巨編『吉里吉里人』を書くエネルギーを与えたのも東北弁である。『吉里吉里人』は全編ユーモア があふれ、奇想天外、抱腹絶倒の筋立てだが、笑いのあとに残る「やがて悲しき」の部分がある。その「やがて悲しき」の部分を追求したのが山浦玄嗣さんの『ケセン語入門』だろう。

この本は昭和60年の発行で、知る人ぞ知る名著なのだが、東京では大型書店の地方出版コーナーでも手にはいらない。運がよければ近くの図書館で見つかるかもしれない。ネット で検索すると手に入れることもできる。山浦さんのケセン語熱はその後も衰えず『みんなのケセン語』、『ケセン語大辞典』、『ケセン語聖書』なども出してい る。一時は方言に対する劣等感にさいなまれ、やがてその美しさのとりこになり、「私にとって」のことばとは何かをここまで深く、執拗に考えた日本人はほか にあまりいないのではなかろうか。

もくじ

☆第80話 沖縄語入門

★第88話 『アイヌ神謡集』を読む