第147話
小学校1年生の「こくご」 は
る な
かがわ りえこ はるの
はな
おはよう これが現代の小学校1年生が最初にならう日本語
である。はじめに「せんせいに あわせて あかるい こえで」とある。絵入りの暖かい装丁で、大人が読む『文芸春秋』などよりはよほど紙の質もよい。しか
も、無償配布である。つい次のページも開けてみたくなる。 あかるい いい こ
と うたごえ えがおで
おいしい ここで気がつくのは、小学校の「こくご」の教科
書では分かち書きが行われているということである。 は
るの はな かなだけで書かれた日本語は分かち書きをしない
と単語や句の単位がみえてこない。「春の花」「朝の光」「みんな友だち」と漢字かなまじり文では単語の単位が見わけやすい。 学年を追って
国語の教科書をみてみると小学校2年生の教科書までは分かち書きをし、あるいは読点(、)を多用しているようである。文部科学省による『小学校学習指導要
領』の付録『学年別漢字配当表』によると小学校1年生では漢字を80字、2年生では160字習うことになっている。 日本語は漢字を240字程度使って書くと、分か
ち書きしなくても読みやすく書けるということがわかる。 光村図書の『こくご』で最初にでてくる漢字は
「木」である。 「木」と いう かんじは、
・木の したに かけこみました。 木、
口、目、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、虫、山、水、雨 上、下、竹、田、 川、林、森、月、子、空、大、男、女、手、天、見、学、 校、
字、
正、車、人、中、力、日、 出、火、金、土、青、小、休、本、犬、 早、名、夕、町、百、千、糸、気、玉、村、白、音、 文、赤、生、耳、王、年、
草、貝、入、右、足、石、左、立、花、先、 日
常よく使われる漢字のなかでも画数が比較的少ないものが選ばれていることがわかる。しかし、小学校1年生が習う漢字は80字といっても、習う側の負担はそ
れだけではない。「木」は「木よう日」のときは木(もく)と読むということもやがて習う。また「日」は日(ひ)ばかりでなく、「一日(いちにち)」、「三
日(みっか)」などと読む。大人には当たり前のことが小学生や日本語をはじめて習う外国人にはかなりの負担になる。特に数は大変である。 一(いち)まい、一(いっ)ぴき、一(ひと)つ、二(に)
ひき、二(ふた)つ、 これは「こくご」の時間の話で、「さんすう」の
時間になると1、2、3、4、5、6、7、8、9、10となる。そのうえ、漢字では「十一、十二、二十一、二十二」と、桁があがると表記が変わるのにたい
して算用数字では11,12,21,22と
桁があがっても表記はかわらない。最近では新聞なども数字は算用数字を使うことが多くなっている。日本語を母語とするわたちは日常は意識しないで使ってい
るが、はじめて「こくご」を習う小学生には日本語の表記法はむずかしい。国語の教科書が横書きになれば、算用数字だけですむのではなかろうか。現に中国で
は教科書ばかりでなく、ほとんどの文書が横書きになっている。 1年生の後半で習う「日づけと よう日」のとこ
ろをみてみることにする。 お
日さま 大すき、 日よう日。 漢字を音で読むか、訓で読むかについては規則性
がない。「日(にち)よう日(び)」は同じ「日」を音と訓で読み分けている。朝鮮語では漢字は音読みだけだから混乱はない。しかし、日本語では漢字を音と
訓に読み分ける。 白いウマが 草( )げんをはしる。 へやの
空気( )を いれかえる。 オリン
ピックで 金( )メダルを とる。 音( )
がくに あわせて すずを ならす。 さらに、漢字は書き順が決まっている。漢字検定
には書き順の問題もある。 気、九、出、百、円、水、下、町、左、目、足、林、名、
月、空、王、音、文、雨、糸、 現在教育漢字
は1006字とされている。ほかに常用漢字というのがあって2136字、そのうえに人名漢字がある。戦後の漢字制限で当用漢字別表(教育漢字に相当)は
881字、当用漢字(常用漢字に相当)は1850字と定められたが、いくたびかの改訂をへて現在にいたっている。漢字の数は改訂のたびに増えている。それ
はひとつには混じり書きをさけたいということからきている。たとえば「語彙」という単語を「語い」と書いたり、「石鹸」を「石けん」、「範疇」を「範ちゅ
う」と書いたのでは単語の区切りが分かりにくいからである。しかし、語彙の「彙」や「鹸」はほかにはほとんど使わない文字である。このような漢字を加えて
いく限り、漢字は限りなく増えていく。それにともなって読み、書き、書き順、部首などを覚えていくとなると学校教育の負担はますます増えていく。 韓国では漢字は1000字ほどに制限されてい
る。北朝鮮ではハングルだけで表記する。ベトナムは漢字を廃止した。中国では簡体字を採用して画数の多い漢字は少なくして、古典も簡体字で読めるようにし
ている。 漢字はもとも
と体系をもって作られたものではなく、長い時間をかけて、必要に応じて積み上げてきたものの集積である。過去に使われたことのある漢字をすべて読み書きす
るようにすることはほとんど意味がない。漢字を表意文字として使いこなすためには森羅万象をあらわす文字をすべて備えなくてはならなくなる。『康熙字典』
や諸橋徹次の『大漢和辞典』は4万字を超える漢字を収録しているという。日本語でも中国語でも、自然言語につかわれている音素や音節の数は限られているか
ら、表音性を重視する表記法を採用すれば漢字の数はかなり減らしても十分に豊かな日本語を表記できるはずである。 文字の歴史は
表意文字から表音文字へと発展過程を経るように思える。漢字も8割は音を表す音符をもつことによって文字としての機能を十全に果たせるようになってきた。
エジプトの絵文字であるヒエログリフも表意機能だけでなく表音機能をもっている。たとえば「水」は波の形を描いて表すが、その同じ記号が所有格をあらわ
す。所有格のような抽象度の高い概念は表意文字になりにくいから、エジプト語で同じ発音をもった「水」で表すのである。また、固有名詞の場合も「クレオパ
トラ」の「レオ」はライオンを書いて「レオ」と読ませている。しかし、日本では人名漢字の制限をゆるめたため、小学校の先生も児童の名前が読めないという
事態にたちいたっている。日本人は漢字の画数を占って我が子の運勢を托すことさえしている。日本は言霊(ことだま)のさきはう国ではなくて、文字(漢字)
の霊に魂(たましい)をこめる国になろうとしているようさえに思える。
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☆第
147話 小学校1年生の「こくご」 ★第148話 日本語は乱れているか |