第146話  韓流ドラマで学ぶ朝鮮語 

 日韓の間には 36年間におよぶ植民地支配という不幸な歴史があった。1945年祖国は解放され、米軍政庁に続き、1948年8月15日に韓国は独立した。日本では終戦 記念日である8月15日は韓国では光復節、つまり光がよみがえった日である。戦後日韓の間に和解が成立し日韓基本条約が調印されたのは1965年のことで ある。

 日韓基本条約が成立しても、韓国人の日本に対す るわだかまりが消えたわけではない。「日帝時代を頑迷に反省しない日本人は許せない」という反日感情が強くある。それが歴史教科書問題や靖国参拝、竹島を めぐる論争などとなって、しばしば噴出する。

 日本の大衆文化が韓国社会に深く浸透するように なったのは1998年のワールドカプ共同開催と金大中大統領の訪日以来のことである。それと呼応すりょうに日本でも韓流ドラマの隆盛がはじまった。 

 韓流ドラマの さきがけとなったのは『冬のソナタ』である。『冬のソナタ』は2003年にNHKBS2で放送された。その反響が大きかったためにNHK総合でも放送さ れ、さらにTBS(関東)や朝日放送(関西)でも放送された。メイド・イン韓国のラブ・ストリ-に日本中が熱狂したといっても過言ではない。

 儒教の影響の 強い韓国社会では家族の拘束や性的規範による制約が多く、自由恋愛はむずかしいというのが実態である。そこで描かれる恋愛は「ロミオとジュリエット」のよ うな葛藤や嫁姑の問題が多かった。しかし『冬のソナタ』ではそのようなステレオタイプがみごとに排除されている。そのすがすがしさが韓国でこのドラマが成 功した原因といえる。カン・チュンサン(姜俊尚)を演じたペ・ヨンジュン(裴勇俊)とチョン・ユジン(鄭惟珍)役のチェ・ジウ(崔志宇)の人気は高まり、 次々にヒットするようになった。 

 『冬のソナタ』の原題は"Kyeo-ul Yeon Ga"(キョウリョンガ)である。日本語の題名は英訳の"Winter Sonata"による。原題を直訳すると『冬の恋歌』となる。 「キョウル」は「冬」、「ヨン」は「恋」、「ガ」は「歌」である。韓流ドラマの字幕をみていると韓国での漢字の読み方が日本漢字音と違うことに気がつくこ とが多い。 

1.朝鮮語では"l"の次に"i"介音がくると規則的に脱落する。

  恋歌(ヨンガ)、離宮(グン゜)、両班(ヤン゜バン)、臨津江(イムジンガン)、
  李舜臣(
スンジン)、梨花(ファ)、林巨正(イムコッチョン)、麟坪(インビョン)、
  柳誠源(
ソンウオン)、
 

2.朝鮮語では語頭の清音は語中・語尾では濁音に なる。

  恋歌(ヨン)、勇俊(ヨン゜ジュン)、崔志宇(チェ・ウ)、

 3.朝鮮語では語頭の母音・半母音は前の語の韻尾 とリエゾンする。

  冬(キョウル)恋歌(ヨンガ)=冬恋歌(ヨウリョンガ)、李珉炯 (イ・ミニョン゜) 、
  黄真伊(ファン゜ジニ)、漢陽 (ハニャン゜)、郁里河(ウン゜ニヘ)、
  国内城(クンネソン゜)、康陵 (カン゜ヌン゜)、江陵(カン゜ヌン゜)、
  暗行御史(アメンオサ)、
 

4.韓国語では韻尾の-n-m-ngを区別する。(-ngは「ン゜」であらわす)

  俊尚(チュン゜サン)、勇俊(ヨン゜ジュン)、安南(アンナム)、長今(チャン゜グム)、  金剛山(クム・ガン゜サン)、妓生(キセン゜)、帯方(テバン゜)、芳遠(バンウオン)、
  鳳林(ポンリム)、兪応孚(ユウン゜ブ)、
 

5.日本漢字音ではサ行の音が朝鮮漢字音ではタ行 であらわれることがある。

  姜俊尚(カン゜チュンサン゜)、崔志宇(チェ・ジウ)、朱蒙(チュモン゜)、
  国祖母(コクチョモ)、済州島(チェジュド)、三田渡(サンチョンド)、晋城(チンソン)、  肖古(チョゴ)王、春香伝(チュニャンジョン)、正祖(チョン゜ジョ)、
  清河園(チョンハウン)、総兵官(チョン゜ビョン゜グアン)、 
  鄭蘭貞(ョン゜ナンジョン)、
 

6.日本漢字音ではカ行の音が朝鮮漢字音ではハ行 であらわれることがある。

  張禧嬪(チャン゜ビン)、漢城(ハンソン゜)、河城(ソン゜)、韓国(ハングク)、
  華城(ファソン゜)、許筠(ギュン)、訓民正音(フンミンジョン゜ウム)、
  顕徳(ヒョンドク)、恵嬪(ビン)、黄砂(ホン゜サ)、孝寧(ヒョニョン)、
  光海君(クアングン)、江華島(カン゜ファド)、興安君(フン゜アングン)、
  洪吉童伝 (ホン゜ギルトン゜ジョン)、昭顕(ソヒョン)、
西海(ソ)、
  司憲府持平(サホンプチビョン)、 荘献(チャンホン)、大行首(テヘン゜ス)、
  無学大師(ム
ハクテサ) 、
 

7.中国語の韻尾-tは朝鮮漢字音では規則的に-lに転移する。

  張吉山(チャン゜ギルサン)、監察府(カムチャルブ)、述爾忽(スリホル)、
  荘烈(チャンニョル)、達率(タルソル)、哲宗(チョルジョン)、日月(イルウオル)剣 、  靺鞨(マルグル)族、弥鄒忽(ミチュホル)、
 

8.朝鮮漢字音は中国語の合音をよく保っている。

  大王世宗(テワン゜セジョン゜)、王道(ワン゜ド)、慰礼宮(ウ イレ・グン゜)、
  衛士(ウイサ)、威化島(ウイ ファ・ド)、河緯地(ハウイジ)、
  承政院(スンジョンウオン)、
 

9.朝鮮漢字音では中国語の来母ばかりでなく、疑 母、日母も脱落する。

 【疑(ng-)母】慶源(キョン゜ウオン)、月山(ウオルサン)、元範(ウオンボ ン)、
       水原(スウオン)、
 【日
(nj-)母】恭譲王(コン゜ヤン゜ワン゜)、古爾(コ)大王、
       申師任堂(シンサイムダン゜)、譲寧(ヤン゜ニョン゜)、中人(チュイン)、
       仁川(インチョン)、任士洪(イムサホン)、李珥(イ
 

 中国文学の碩学、一海知義は『一海知義著作集 10 漢字の話』のなかで次のようにいっている。 

  漢字は、単に渡来しただけでは、意味がありま せんでした。日本人がそれを使って漢文を書き、  やがて日本語を表記するようになって、はじめて漢字の渡来は意味をもつものになったわけで
  す。
  漢字はおそくとも1、2世紀ごろには日本に渡来していたでしょうが、渡来の意味が実を結ぶの  は、7世紀以後だといっていいでしょう。
(p.167) 

 漢字文化が古 事記、日本書紀、万葉集として実を結ぶ前に700年~800年の歳月が流れていた。その間にもことばは変化し、発音はかわった。その痕跡が日本語の訓(弥 生音)のなかに残されている。初期の漢字文化の担い手である史(ふひと)はほとんどが朝鮮半島の出身者であったので朝鮮漢字音の影響も受けた。しかし、朝 鮮漢字音の影響については河野六郎をのぞいて、ほとんど言及されていない。

 日本語のなかにも朝鮮漢字音の影響を受けたと思 われることばがたくさんある。 

1.朝鮮語では"l"の次に"i"介音がくると規則的に脱落する。

  朝鮮語では"l"が語頭にくることはない。古代の日本語でもラ行で はじまることばはなかった。その  ため、日本語でも"l"が脱落した例がある。

  硫黄(yu-wang)い おう、陸(yuk)お か、柳(yu)や な木、良(yang)よ き・よい、 

2.朝鮮語では語頭の清音は語中・語尾では濁音に なる。

  日本語では小林と書いて「こばやし」と読む。 「ばやし」という日本語があるわけではなく、   「はやし」が語中では濁音になるからである。朝鮮語も語頭の清音が語中では濁音になる。
  日本語や朝鮮語では濁音が語頭にくることはなかった。ハングルでは
kopayashiと書いて「こばや  し」と読む。日本でもいろは 歌のできた平安時代末期までは濁音を表示する必要はなかった。

   いろはにほへと                        色 は匂へ
   ちりぬるを
                                散 りぬるを
   わかよたれそ
                            世 誰
   つねららむ
                                常 ならむ
   うゐのおくやま      有為の奥山
   けふこえて
                                今 日越えて
   あさきゆめみし
                         浅 き夢見
   ゑひもせす
                                酔 ひもせ

  ところが馬車、売買、倍、莫大、暴力、罰、な ど語頭に濁音をもった中国語がたくさん入ってく  るに及んで語頭音は清音であるという規則がくずれてしまった。今ではバス、バイオリンなどを  濁音で 表記しなければ意味がわからなくなってしまう。 

3.朝鮮語では語頭の母音・半母音は前の語の韻尾 とリエゾンする。

  観音(かんのん)、因縁(いんねん)、輪廻(りんね)、安穏(あ んのん)、懸念(けねん)

  など仏教系のことばに多い。
 

4.韓国語では韻尾の-n-m-ngを区別する。(-ngは「ン゜」であらわす)

  三(さん)、甘(かん)、藍(らん)、艦(か ん)、兼(けん)、店(てん)、談(だん)、染  (せん)、音(おん)、心(しん)、金(きん)などの韻尾は本来(-m)なのだが、日本語では(-m)  と(-n)の区別はされず、-n-mも「ん」で現われる。しかし、朝鮮漢字音では中国 語の韻尾(-n)    (-m)は弁別されている。 

5.日本漢字音ではサ行の音が朝鮮漢字音ではタ行 であらわれることがある。

  中国の音韻学で知照系と呼ばれる声母がある。 知は舌上音、照は正歯音とも呼ばれる。知」は唐  の時代以前は「端」の音だったものがi介音の影響で口蓋化したものであり、「照」は 「精」の音  がi介音の発達により変化したものだとされている。日 本漢字音の照(ショウ)は唐代の中国語音  に準拠しており、照(てる)は古い中国語音の痕跡を留めている。朝鮮漢字音の辰(jin/sin)は破擦  音から摩擦音への変化の過程を示してい る。日本語音では訓のタ行が古く、サ行音が新しい。

   (jo)て る、辰(jin/sin)た つ、塵(jin)ち り、縦(jong)た て、誰(chu)だ れ、津(jin)つ、
   絶
(jeol)た える、作(jak)つ くる、出(chul)で る、就(chwi/chu)つ く、取(chwi)と る、
   衝
(chung)つ く、妻(cheo)女 つま、千(cheon)ち、

  ただ、この音韻変化は地域により変化の進みぐ あいが異なっていたものと思われ、日本語の訓   (弥生音)がタ行を留めているのに、朝鮮漢字音では摩擦音に変化しているものもみられる。

   (sang)つ ね、垂(su)た れる、床(sang)と こ、束(sok)つ か、散(san)ち る、十(sio)と お、
   手
(su)て、 盾(sun)た て、

  また、日本語の訓(弥生音)がサ行なのに朝鮮 漢字音が破擦音のものもみられる。

   (ji)し る、沈(chim/sim)し ずむ、澄(jing)す む、潮(jo)し お、

  王力の推定による古代中国語音は次の通りであ る。

   [tie]、 沈[diэm]、 澄[djэng]、 潮[dio]、 照[tjiô] 

6.日本漢字音ではカ行の音が朝鮮漢字音ではハ行 であらわれることがある。

  日本語の訓(弥生音)のなかには、朝鮮漢字音 の痕跡を残しているものがみられる。

   (han)ひ ま、艦(ham)ふ ね、火(hwa)ひ、 灰(hui)は い、戸(ho)へ、 幌(hwang)ほ ろ、
   頬
(hyeop)ほ お、脛(kyeong/hyeong)は ぎ、衡(hyeong)は かり、濠(ho)ほ り、
   化
(hwa)ば ける、響(hyang)ひ びく、花・華(hwa)は な、惚(heul)ほ れる、吼(hu)ほ える、

  日本語のハ行はファ・フィ・フ・フェ・フォ だったというのが、ほぼ定説になっているが、それ  はおそらく平安時代以降のことであり、弥生時代、古墳時代をつうじて日本語は中国語や朝鮮語  の喉 音をハ行で受け入れてきたものと思われる。

  喉音は日本語音にない音であり、カ行音(牙 音)に近いこともあって後にはカ行で受け入れられ  ることになる。しかし、中国語や朝鮮漢字音の牙音(カ行音)もまた喉音と混同されることも   あっ た。つまり、喉音と牙音は必ずしも正しく弁別されていなかった。

  (kol)ほ ね、掘(kul)ほ る、降(kang)ふ る、経(kyeong)へ る、減(kam)へ る、古(ko)ふ るい、 

7.中国語の韻尾-tは朝鮮漢字音では規則的に-lに転移する。

  日本語でも中国語の韻尾-tがラ行であらわれる場合が、動詞を中心にみられ る。朝鮮漢字音の影響  であろう。

  (chal)す る、刷(swal)す る、出(cheul)で る、惚(heul)ほ れる、拂(pul)は らう、祓(pul)は らう、 

8.朝鮮漢字音は中国語の合音をよく保っている。

  日本語でも旧かなづかいでは王は王(わう)で あったが、ワ行の合音の要素は失なわれて現在で  は王(おう)となっている。しかし、古代の天皇のおくり名にホムタワケ(応 神)、イザホワケ  (履中)、ワカタケ(雄略)などがあり、この「わ け」「わか」は王(wang)をさしているものと思  われる。また、日本漢字 音でマ行にあらわれる漢字尾の訓(弥生音)でワ行であらわれるのは合  音の痕跡であろう。

  例:綿(myeon)わ た、尾(mi)を、 忘(mang)わ すれる、 

9.朝鮮漢字音では中国語の来母ばかりでなく、疑 母、日母も脱落する。

  朝鮮漢字音では疑母(ng-)や日母(nj-)i介音の前で脱落する。日本語の訓(弥生音)にも朝 鮮漢字音  と同じように頭子音が脱落したものがみられる。

 【疑(ng-)母】(eo)う お、御(eo)お、 仰(ang)あ おぐ、我(a)・ 吾(o)あ・あれ、
 【日
(nj-)母】 (ip)い る、熱(yeol)あ つい、弱(yak)よ わい、柔(yu)や わら、茹(yeo)ゆ でる、
       軟
(yeon)や わらかい、譲(yang)ゆ ずる、潤(yun)う るおう、 

  古代日本語の1人称我(あ)や吾(あれ)も疑 母が脱落したものである。  

   例:阿(あ)はもよ女(め)にしあれば、、、(古事記歌謡)
     吾(あ)を待つと君が濡 れけむ、、、、、(万108)
     阿礼(あれ)こそは世の 長人、、、、、、(古事記歌謡)
     安礼(あれ)をおきて人 はあらじと、、、(万892)

  中国の通貨「元」は朝鮮漢字音では元(won)であり、中国語の「元」と同じである。日本の通貨 円も朝鮮漢字音は圓(won)であり、朝鮮漢字音で読む限り、中国・韓国・日本 の通貨は同じである。元(ゲン)、ウオン、円ともに中国語語源であり、韓国のウオンも日本の円もともに中国語の元の転移音ということになる。 

 日本の古典や 訓への朝鮮漢字音の影響については今までほとんどかえりみられてこなかった。明治以来、日本人は欧米の文化を取り入れ文明を開化させてきた。明治は欧米の 産業革命と市民革命、宗教改革を同時になしとげた時代でもあった。坂の上の雲を見つめて歩き続けたのは秋山真之や正岡子規ばかりではなかった。

 歩き続けて百余年、ふと気がついたら隣国やアジ ア諸国についてはほとんど知らずに突っ走ってきた年月であった。韓流ドラマのブームはそんなことに気づかせてくれる。


☆もくじ

第142話 漢字検定に挑む

第143話 四文字熟語の世界

第144話 部首を探す

第145話 虹はなぜ虫偏なのか

第147話 小学校1年生の「こくご」

第148話 日本語は乱れているか