第145話  虹はなぜ虫偏なのか 

 漢字は偏(へん)や旁(つくり)を組み合わせて できている。 

  偏(へん)      偏の「亻」
  旁(つくり)  偏の「扁」
  冠(かんむり) 冠の「冖」
  脚(あし)   志の「心」
  垂(たれ)   病の「疒」
  繞(にょう)  通の「辶」
  構(かまえ)  国の「口」
 

 現在使われて いる漢字のほとんどは声符と意符の組合わせでできているともいえる。草冠の漢字は草に関係があり、木偏の漢字は木に関係があるものが多い。また、同じ声符 をもった漢字は声が近い。偏・遍・篇・編は「へん」と読む。しかし、冠は冠(かん)であり、同じ声符をもった元は元(げん・がん)である。また脚は脚 (きゃく)、去は(きょ)である。繞は繞(にょう)、暁は暁(ぎょう)、焼は焼(しょう)である。通は通(つう)であるが、桶は桶(とう)、踊は頭子音が 脱落して踊(よう)となる。日本語の通(とおる)は桶(とう)に通じ、桶(おけ)は踊(よう)の弥生音であろう。 

 漢字の歴史は 亀甲文字にはじまり、現在まで約3300年の歴史があり、ひとつひとつの漢字はその歴史を垢を背負っているともいえる。去(きょ)という字はその昔、脚 (きゃく)と同じ韻尾をもっていたに違いないが、韻尾がいつの時代にか脱落して去(きょ)になったものと考えられる。繞(にょう)、暁(ぎょう)、焼 (しょう)も声符は同じであり、音韻変化の痕跡を留めている。堯[ngyô]が古く、繞[njiô]になった。疑母[ng-]と日母[nj-]は 近く転移しやすい。焼[xyô][ngyô]が摩擦音化したものであろう。 

 漢字の部首も その文字ができた時代の物の見方を留めているものがある。虫偏の文字には虫に関係のあるものが多いが「虹」のように虫とは関係のないものが含まれている場 合がある。「虹」は意符が「虫」であり、声符が「工」である。工という音の虫であると考えるのが自然である。白川静の『字通』には次のように書いてある。 

 声符は工(こ う)。工は左右にわたってそりのあるもので、虹の胴体と考えられている 部分はその形。その頭は蜺(げい)の字の従う兒の形で、左右両頭のものとされた。 説 文に「螮蝀(ていとう)なり。状、虫(き)に似たり」とあり、虹は竜形の獣とされた 。それゆえその字はみな虫に従う。その雄は虹、雌は蜺(霓)とい う。 

 つまり、古代 の中国人は虹を竜にみたてたというのである。それならなぜ龍は虫偏ではないのだろうと聞いてみたい気もするが、誰に問うたらいいのだろうか。とにかく説文 の時代にはすでに、文字ができた時代のことは分からなくなっていて、虹の語源は竜だという解釈が行われていたということであろう。 漢字は古代中国人の心 を映している。虹(にじ)となると古代人の心に近づいてみないとその心は分からない。 

 古代中国の虫(き)には現代の虫とは異なるもの もふくまれている。 

 【虫】虱、蚤、蚕、蛹、蛆、虻、蚊、蝿、蛍、 蝉、蛾、蝶、蛺、蜂、蟀、蟻、蜻蛉、蟷螂、
 【その他】虹(にじ)、蛇(へび)、蝮(まむし)、蛙(かえる)、蟇(がま)、蝦(えび)、
      蟹(かに)、蛸(たこ)、蛤(はまぐり)、蜆(しじみ)、蜷(にな)、蝸牛          (かたつむり)、蛋(たまご)、蜜(みつ)、 蠟(ろう)、
 

 虫にまつわるものは動詞としても用いられる。蝕 (むしばむ)、触(さわる)、蟄(かくれる、こもる)、蠢(うごめく)、蟠(わだかまる)。

 人間もまた虫 に分類されてしまうことすらある。「蛮」は南蛮の蛮であり、野蛮の蛮である。蜀は目が大きく体の曲がった毛虫のことだが、四川省付近にあった侯国の名でも ある。蜑(あま)もまた虫偏である。蜒は中国の南方に住む水上生活者の総称で蛋民ともいう。竜蛇の卵から生まれると考えられていたという。「閩」は辞書で ひきときは門構えだが、作りは「虫」である。「閩」は福建に住む人間の謂いである。 

 漢字には「貝」という部首がある。「貝」は巻貝 の象形だといる。そのためか、蛤(はまぐり)、蜆(しじみ)は貝部には入っていない。しかし、蜷(にな)、蝸(かたつむり)も虫偏である。貝類はなぜ貝部 にはいらないのだろうか。

 貝は貝殻のことであり、古代中国では貝は貨幣と して交換された。そのため貝部の文字は貨幣に関係のあるものが多い。 

  【貝】貨、寶、財、賣、買、購、貸、賃、貴、 賞、賜、貢、賄、賂、贈、贋、貧、貪、贄、 

 貝部の漢字に は生きた貝を表すものはひとつも含まれていない。動物や植物の名前の漢字はむずかしいものが多い。動物・植物の名前はカタカナでかくことになっているか ら、現在ではわざわざむずかしい漢字を覚えて書く必要はない。しかし、書かれた文字を読めないと困ることもあるので、漢字検定では瑇瑁、槭、鮴、栂、など が出題されている。答えは瑇瑁(たいまい)、槭(かえで)、鮴(ごり)、栂(つが)である。 

 魚部の漢字にも魚でないものが含まれている。 

  魯(おろか)、鮑(あわび)、鮮(あざや か)、鮹(たこ)、鯨(くじら)、 

 鯨は魚+京であり、京は「大きい」を意味する。 現代の科学知識では魚ではなく哺乳動物であることが知られているが、だからといって鯨を豸+京に変えるということはない。文字の世界では鯨は今でも「鯨」 である。

 魚部の漢字には日本で作られた国字も多い。 

  鮗(このしろ)、鮲(まて・貝)、鯏(あさ り)、鯎(うぐい)、鯒(こち)、
  鯱(しゃち)、鯰(なまず)、鰯(いわし)、鱩(はたはた)、鱈(たら)、鱚(きす)、
 

 これらの国字は中国における漢字の原理にのっ とって工夫されている。漢字は中国で生れたものであり、外国語である日本語を書き表すには不便な面もあった。そこで国字や仮名がうまれた。漢字文化圏のな かでもさまざま工夫が行われている。 

 ベトナムでは かつて字喃(チュノム)という国字が使われたことがある。漢字は中国語を表記するために作られたものなので、中国語の音をとれば義が伝わらず、義をとれば 音がずれてしまう、という問題があった。音をとれば意味がベトナム語と一致せず、訓をとれば中国語の音と違ってします。例えば、ベトナム語では「市」を 「しょ」という。そこで「助」の下に「市」を書き添えて「助/市」 で「じょ」と読み、かつ「市」を意味する国字とする。ベトナム語で「三」を「ぱ」という。そこで「巴+三」で「ぱ」と読んで「三」を意味する国字を作っ た。同じように「五」は「南+五」で読みは「なむ」、「年」は「南+年」と書いて「なむ」と読み、「年」を意味するといった具合である。

 漢字だけで日 本語を表記しようとした太安万侶は『古事記』序のなかで次のように述べている。「上古の時は、言(ことば)と意(こころ)と、みな朴(すなほ)にして、文 を敷きて句を構ふること、字に於きて即ち難し。已(すで)に訓によりて述べたるは、詞(ことば)心におよばず。全く音を以ちて連ねたるは。事の趣さらに長 し。」そこで太安万侶は音と訓を併用して古事記の日本語を表記することにした。 

 西夏文字は中 国の西域で発明された文字であるがるが、字喃よりもっと野心的で西夏語を漢字をまったく使わずに書ける文字体系をなしている。西夏国は11世紀から13世 紀まで中国の西域にあった国で井上靖の『敦煌』の舞台でもある。敦煌の郊外には映画『敦煌』の撮影に使われていたセットが沙漠のなかに残っていて、観光名 所のひとつになっている。

 西夏では漢訳 仏典やチベット語の仏典からの翻訳が盛んに行われ、敦煌の莫高窟などに残されていた。昇偏に血=情け、菩薩=情けを悟る者と訳されている。西夏語はチベッ ト・ビルマ系の言語のようである。声調があるのは中国語と同じだが、ことばとしては中国語とはまったく違う言語である。

 西夏文字はい くつかのパーツを複雑に組み合わせた表意的な文字で画数になおすと十画とか二十画もあるものが多い。漢字のように音符と意符の組み合わせではなく意味を中 心に類語を作っていく傾向が強いので解読はかなりむずかしい。筆者は東京外国語大学の公開講座で荒川慎太郎先生の教えを受けたが、その構造を理解しえたと はいい難い。西夏文字はパソコンのフォントもあるにはあるが、受ける側がそれに対応していないと文字化けしてしまうので、漢字におきかえてその構造を示す と概ね次のようになる。 

 漢字ではパー ツは偏と旁に分けられ偏は普通簡略化されていて、旁は音符をあらわすことが多いが、西夏語ではそれぞれのパーツが自己主張をしていて、横に三つ、あるいは 縦横に並べられている。漢字に置き換えると例えば、纈、辮、纐、纎、のごとくである。なかには、髭、鬚、のような構成のものもあり、朦朧靄戀灣鸞贏躑鷺櫻 衢鬱というような文字が並んでいるように見える。西夏文字は6000を超えていて、それがそれぞれ350ほどのパーツの組み合わせでできている。今では西 夏語を話す人はいないが、西夏が滅んだあともかなり長い間使われていたようである。

 このような複 雑な体系の文字を解読するのは容易なことではない。文字ひとつひとつがひとつの意味をもっていることは漢字と同じである。しかし、それをどのように発音し たかはあきらかでない。西夏文字が解読できたのは主に仏典のおかげである。華厳経や法華経が漢語やチベット語から西夏語に翻訳されていて、それらの資料が かなり残っていたので今ではかなり解読されている。日本では石浜純太郎や西田龍雄が西夏文字の解読に貢献している。 

 西田龍雄の『西夏文字』(紀伊國屋文庫)による とその造語法は例えば次のごとくである。 

  心+柔=孝、心+無=忘れる、心+悟る=願 う、心+A=恐れる、心+B=憂う、
  変える+二つに切る+鉄(冠)=のこぎり、変える+A=翻訳する、
  骨+人+皮+木(冠)=(木のごとく)痩せる、
  鎌+A=切る、切る+B=分ける、切る+C=刈る、切る+D=別れる、切る+E=離れる 、      切る+F=裂く、
 

 また、「酒」 +「越える」=「酔う」といったぐあいである。漢字は歴史の古い文字であり、中国の長い歴史と文化がそのなかに凝縮されている。しかし、漢字は音節文字で あるため、音節構造の異なる言語には適用されにくい。音素文字であるアルファベットが広がったのは子音と母音の組み合わせが自由であり、どの言語の音節構 造にも適用できた点が大いに関係していると思われる。西夏語は語順や統語構造も中国語とは違う。そこで西夏語にふさわしい文字を考案したわけだが、それが 使われたのはおそらくごく限られた階級の人びとに留まり、使われた期間も約300年であった。 

 日本語では国字も考案されたが、仮名が考案され たため新しい文字体系を作り出す必要はなくなった。しかし、古事記や万葉集の漢字だけの日本語を読んでいると、いかにも漢字は日本語を表記するのには不便 な文字であることがわかる。

 


☆もくじ

第142話 漢字検定に挑む

第143話 四文字熟語の世界

第144話 部首を探す

第146話 韓流ドラマで学ぶ朝鮮語

第147話 小学校1年生の「こくご」

第148話 日本語は乱れているか