第143話
四文字熟語の世界 四文字熟語が
日本の漢字文化の一角をしめるに至っている。四文字熟語は中国の古典のなかの文句を引用したものが多い。例えば「温故知新」は『論語』のなかの「温故而知
新」による。故(古き)を温(たず)ねて新しきを知る、という意味である。故(ゆえ)がなぜ古(ふるい)のか、温度の「温」がなぜ「たずねる」なのかとな
ると、いささか心もとない。漢和辞典によると「温」はもともと「温める」「煮る」「茹でる」が原義であり、そこから「熟成」「習熟」という抽象的な意味に
なったという。 「酒池肉 林」といえば「酒と女におほれる」ことかと思い続けていたが、どうもそうではないらしい。冨谷至の『四字熟語の中国史』(岩波新書)によると、殷の時代に 帝紂(ていちゅう)という暴虐な王がいた。『史記』によると帝紂は「酒を以て池と為し、肉を懸けて林となし、男女をして倮(はだか)にし、相(あ)い其の 間を逐(お)わしめ、長夜(ちょうや)の飲を為す」とある。これによれば肉は食肉であり、ごちそうを林に懸けた、ということになる。漢和辞典を調べてみて も「酒池肉林=酒をたたえて池とし、肉を木に懸けて林とするの意。豪遊をきわめるさま。」とある。ステーキを食べてワインを飲むくらいなら、現代のサラ リーマンにもたまには手の届かぬ贅沢ではない。 「風林火山」は中国の兵法書『孫子』の「故其疾 如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山」つまり「疾(はや)きこと風の如く、徐なること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如 し」からきている。 「風林火山」
は武田信玄の旗印であることは有名であるが、武田氏の歴史を記録した『甲陽軍艦(こうようぐんかん)』には「其徐如林」が「其静如林」となっている。
「徐」は徐行の徐であり、漢和辞典によると「おもむろ、ゆるやか、おだやか」となっている。それを『甲陽軍艦』は「静か」と読みかえたのである。 相撲の大関昇
進の口上や横綱昇進の口上にもしばしば用いられる。最近の大関では貴花の「不撓不屈」、若の花の「一意専心」、琴光喜の「力戦奮闘」、白鵬の「全身全霊」
などがある。横綱では若の花の「堅忍不抜」、白鵬の「精神一到」がある。また、「我れ未だ木鶏たりえず」は昭和の大横綱双葉山が七十連勝を阻まれた時に残
した言葉として有名である。真の名人にはまだ達していない、というのである。木鶏とは闘鶏の鶏が空威張りをしたり、虚勢をはったりしなくなり、遠くからみ
るとまるで木鶏の(木作りの鶏)のような状態にいたることで、他の鶏は相手にならず、逃げていくほど完璧に強いことをいう。完全な徳を身に付けた状態、
「道の体得」をいう 四文字熟語は中国語ではあるが人口に膾炙してい
て、耳で聞いても多くの人に理解されるところにその魅力がある。漢字検定でも四文字熟語は出題の定番である。 2級:次の四字熟語の(1~10)に入る適切な語を下の中から選び、漢字二字で記 せ。 ア 会者(1)、イ 放歌(2)、ウ 勢力(3)、エ 心頭
(4)、オ 快刀(5)、
(1)絶倒、 (2)曲浦、 (3)嘗胆、 (4)心猿、
(5)雀躍、
(1) 同
穴、 (2)虎搏、 (3)附耳、 (4)鉄壁、 (5)当路、
回答は次のようになる。 2級: ア 会者定離、イ 放歌高吟、ウ 勢力伯仲、エ 心頭滅却、オ 快刀乱麻、 カ 薄志弱行、キ 雲泥万里、ク 和魂漢才、ケ 閑話休題、コ 唯一無二、 準1級: (1)抱腹絶倒、(2)長汀曲浦、(3)臥薪嘗 胆、(4)意馬心猿、(5)欣喜雀躍、 (6) 四面楚歌、(7)清濁併呑、(8)暮色蒼然、 (9)白虹貫日、(10)抜山蓋世、 1級: (1)偕老同穴、(2)竜攘虎搏、(3)躡足附 耳、(4)銅牆鉄壁、(5)豺狼当路、 (6)風光明媚、(7)載籍浩瀚、(8)兵馬倥
偬、(9)琑砕細膩、(10)拳拳服膺、 これらの四文字熟語のなかには、普通にはよく知
られていないものもあるので、念のため辞書で意味を確かめておく。 ○意馬心猿。 いろいろと考えが変わって一つのこと
に落ち着かないこと。 四文字熟語は
中国の古典からきているものが多い。中国の古典に親しむことの少なくなった現代人にはなじみの薄いものが多くなっているいることはやむをえないことだろ
う。漢字検定試験は世の中のこうした世相に抗っているかのようにもみえる。難解な四文字熟語のうち、「躡足附耳」「銅牆鉄壁」「琑砕細膩」については手許
にある中級の漢和辞典にも載っていないので、意味を確かめることをあきらめた。銅牆は銅の塀であり、鉄壁は鉄の壁だから、守りがかたいことだろう。四文字
熟語もここまでくると衒学趣味に近くなる。 日常に使って親しまれる四文字熟語は以心伝心、
温故知新、栄枯盛衰、竜頭蛇尾、羊頭音狗肉、獅子奮迅、付和雷同などの範囲を越えないほうが無難ではあるまいか。ことばは相手に受けとめられてはじめて、
ことばとして機能する。 中国で四文字
熟語が多く使われるようになったのは科挙の試験と関係があるらしい。まだ文字を読める人が少なかったころ、科挙の試験を受けようとする人びとは自分の学を
競うかのように、古典を典拠とする四文字熟語を使って文章を書き、またそれを読解できることを誇示するようになった。読書人・士大夫階級は一般庶民との差
別化を維持するために読解力のレベルを高めていかなければならない。そのようにして、漢文はますます難解になり、士大夫階級と庶民の差はさらに広がって
いったのである。 その科挙の試
験でもっとも重要な科目であったのが作詩であった。漢詩は約束ごとが多い。平仄(決められた音節の組み合わせ)、決められた位置での対句などがあり、その
なかで巧みに典拠をもつ熟語を使って質の高い詩文を作る。作詩は文学者としての資質を官僚に要求するのではなく、読書人としての知識をはかる最も有効な方
法であったのである。 中国古代の詩
『詩経』はおおむね一句四言からなっている。六朝時代(4~6世紀)には四六駢儷体(しろくべんれいたい)が美文とみなされた。四六駢儷体は四字句と六字
句を組み合わせたもので、わが国でも太安万侶が古事記の序文などに用いている。「イザナギの命が、黄泉(よみ)の国を訪れて現世に帰り、禊(みそぎ)をし
て目を洗うときに日と月が現われ、海水に浮き沈みして身を洗うときに、多くの神々が出現した。」というところは次のように書いてある。 出入幽顕 日月彰於洗目 浮沈海水 神祇呈於滌 身 日本語にする と「幽顕に出入りして、日月目を洗うに彰(あらわ)れ 海水に浮沈して、神祇身を滌(そそ)ぐに呈(あらは)れき」だが、中国語で読むと四音節に六音節の 組み合わせになっている。古事記の序文は四文字の対句を多く用いた華やかな漢文である。中国語はリズムで読む文章であることが、よくわかる。このほかにも 四文字の対句がいくつも使われている。 夫 混元既凝 気象未效 無名無為 誰知其形
然 乾坤初分 「夫(それ) 混元既に凝(こ)りて、気象未だ効(あらわれ)ず。 名も無く為(わざ)も 無し。誰か其の形を知らむ。然れども 乾坤(けんこん)初めて分かれ て、、、」となる。漢文の訓読は一種の翻訳であり、原文のもっているリズムは失われている。漢文は通常句読点を用いたり、分かち書きもしないが、文章は四 文字あるいは六文字の句によって構成されているから読める。中国語の四文字熟語は音楽における音節のような役割をはたしているともいえる。 ことばのリズムもちがい、同じ文字でもその意味
が必ずしも同じではない日本語では中国語の四文字熟語は、ことばの壁を越えられないこともしばしばある。 「曲学阿世」 はサンフランシコ平和条約締結に際して、時の首相吉田茂が東京大学総長であった詩字学者の南原繁を非難した時のことばとして知られている。「曲学阿世」と は「真理を曲げて世の人に気に入られるような説をとなえる、、学を曲げて世に阿(おもね)る」ことをいうと解されている。『史記』に「無曲学以阿世」によ るとされ「曲学、以て世に阿(おもね)ること無かれ」とあり、吉田茂はこの字句を引用したのである。「阿」とは何か。漢和辞典によると ① おか。高い丘。 「あいうえお」の「あ」も、中国語では「丘」か
ら「出雲の阿国」や「おしん」まで意味は多様である。「曲学阿世」の場合は「いいかげんな学によって、世に迎合するなかれ」ということになる。四文字熟語
も使い方を誤ると曲学阿世のそしりを招くことになりかねない。 中国には古い 時代を模範として、堯舜のような時代を現代に実現するという尚古思想が長い間その根底にあった。尚古思想は現実のありさまを否定し、本来はこうあるべき だ、こうあるのが望ましい、そういう理想的な状態が過去にあった、そこに復帰すべきだという思想であり、尚古思想はある種の理想主義であり、ロマン主義で ある。日本に於ける四文字熟語も良寛などが万葉の歌とともに漢詩を作り、鴎外、漱石などが漢詩で自由に自分の感情を表現できた時代がよかったという尚古の 思想、あるいは過去を美化しようとするロマン主義が底流に流れているのではなかろうか。しかし、そういう時代は日本ばかりでなく中国でも、もどってきそう もない。 |
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