第122話 やまとことば再考 漢字の読み方には音と訓があって、音は中国語読みであり、訓は「やまとことば」読みであるという考え方は『古事記』の編者である太安万侶の時代からある。こ の考え方は『古事記傳』の著者である本居宣長にも受け継がれている。本居宣長は太安万侶になりきって『古事記』を読み解こうとして『古事記傳』を書いた。 また、戦後になっても小林秀雄は本居宣長になりきって『古事記傳』を読み直そうとした。記紀万葉のことばは純粋な日本語であるという考え方は今でも根強 い。 本居宣長は古事記のなかに日本語の原形をみた。8世紀の日本語から漢心(からごころ)あるいは漢語(からざえずり)を取り除けば神代から伝わる純粋な「やま とことば」にたどりつけるものと考えた。しかし、漢(から)という「やまとことば」自体が中国語の漢(カン)とは無関係に日本列島に古来からあったわけで はない。日本語の漢(から)は古代中国語の漢[xan]が転移したものである。古代中国語の韻尾[-n]は「弥生音」では(-l)に転移した例が多い。 例:韓(カン・から)、雁(ガン・かり)、昏(コン・くれ)、巾(キン・きれ)、 また、日本の古地名でもラ行に転移したとみられる例がある。 例:敦賀(つるが)、駿河(するが)、播磨(はりま)、平群(へぐり)、 [-t]・[-n]・[-l]はいずれも調音の位置が同じであり、転移しやすい。 古代の日本語については縄文時代の日本語の碑文が残っているわけでもなく、弥生時代の日本語が復元されているわけでもない。日本語の起源がタミル語にあるの か、南島語にあるのか、あるいは日本語がアルタイ系の言語であるかの議論は置いておくとして、記紀万葉の言語が弥生時代からはじまる朝鮮半島を通しての中 国文化との接触の影響を受けていることは明らかである。 『古事記』の「やまとことば」はその語彙と表現の形式との非常に多くを中国語や朝鮮語に負うている。「やまとことば」は神代から不変の原日本語だったわけでは
ない。『古事記』のことばに新しい解釈を加えることによって、「やまとことば」成立の過程をかなりの程度まで復元できる。本稿は『古事記』に記された「や
まとことば」の歴史を千年ほど延ばして、弥生時代のはじめからの日本語について考えてみようという試みである。 参考文献 董同龢(1944年)『上古音韵表稿』中央研究院歴史言語研究所出版、台北 著者紹介: 小林昭美(こばやし・あきよし)元NHK放送文化研究所所長。 |
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