第114話 古代日本語を解読する 12.天皇のおくり名 古事記、日本書紀の記録のなかに「やまとことば」の<古層>を探ろうとすると、天皇のおくり名(和風諡号)は「やまとことば」なのか、そしてその意味は何か という難問に直面する。古代の天皇には「ワケ」という称号をもった天皇が多い。稲荷山鉄剣の銘に「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」とあるのは雄略天皇をさ すものと考えられている。そのほかにもワカ、ワケのついたおくり名の天皇は多い。「ワケ」とは何か? 漢風諡号 和風諡号 日本書紀の表記(古事記の表記) 開化 ワカヤマトネコヒコオホヒヒ 稚日本根子彦大日日(若倭
根子大毘毘) 日本書紀では「ワケ」に「稚」、「別」、「幼」 などの漢字があてられている。『岩波古語辞典』は次のように書いてある。 わけ[別] 上代、天皇を祖先とする皇別の氏が持つ姓(かばね)の一。皇族や皇別の出身のものが地方に下り、地名と結びついて称したものという。「七十余りの子は皆、国郡に封(ことよ)させて、各其の国に如(ゆ)かしむ。故、今の時(よ)に当たりて、諸国の別と謂へるは、即ち其の別王(わけのみこ)の苗裔(みゐなすえ)なり」<紀景行四年> 「ワケ」を現代の日本語で解釈しようとすると「別」は「分ける」の意味であるということになってしまう。しかし、古代日本語の「ワケ」は古代中国語の「王」に対応することばである可能性がある。 「王」の古代中国音は王[hiuang] であり、現代中国語音は王(wang)である。韻尾の[-ng] は、日本の古地名などでは、當麻(たぎま)、相楽(さがらか)、望多(まぐた)、相模(さがみ)などのように、カ行またはガ行で発音される。わけ[別]は天皇を祖先とするものだけに使われている。日本書紀でも「別王(わけのみこ)」とされている。「別王」の別「わけ」も王「おう」を意味することばである。 ちなみに、天皇のおくり名にみられる「ヒコ」「タラシ」「スクネ」はいずれも称号で、「ヒコ」は「日子」、「タラシ」は高句麗の高位の官名である「対盧」、 あるいは百済の「達率」に対応するものである。「タラシ」は古事記では「帯」、日本書紀では「足」と表記されている。「帯」の朝鮮漢字音は帯(tal)であり、「足」は朝鮮語で(ta-ri)である。「帯」も「足」も高句麗あるいは百済の官位に由来する。「スクネ」は日本でも「宿禰」として称号として使われるようになった。宿禰「シュクネ」と書いて宿禰「スクネ」と読むのは朝鮮漢字音の影響 である。 13.民間語源説 日本語は弥生時代以降、中国語や朝鮮語の影響を受けて形成されてきたものである。「やまとことば」は純粋ではない。記紀万葉の時代の日本語の構造は朝鮮語に近く、語彙は中国語からの借用語を多く含んで いる。1920年代にスウェーデンの言語学者カールグレンは20あまりの日本語をとりあげて、古代中国語からの借用語である可能性を示唆した。 戦後になって亀井孝はそれを再検討し郡(くに)、絹(きぬ)、馬(うま)、梅(うめ)の四語については、あるいは認めてもよいかと思われる例とした。しか し、最近の古代中国語音に関する研究の成果を取り入れて再検討してみると、カールグレンがとりあげていないことばでも、奥「おく」、塚「つか」、墓「は か」などのほか、「やまとことば」のなかには古代中国語からの借用語を数多く探しだすことができる。弥生時代には稲作や鉄器とともに中国語の語彙が日本語 のなかにも入ってきた。 日本語の語源論は従来、カミ(上)を転じてキミ(君)、タカ(高)を転じてタケ(竹)の類であり、ハカ(墓)はツカ(塚)の転だという。これは「やまとこと ば」は純粋であり、「やまとことば」のなかには外国語語源のことばはないという誤解にもとづいている。これはヨーロッパの言語学における語源論との著しい 違いである。ヨーロッパの言語では、英語でもフランス語でも、語源はサンスクリットからはじまるインド・ヨーロッパ語族のことばのなかに求められている。 あることばが借用語であるかどうかは、音義ともに相通ずることがまず第一の基準となる。しかも、借用語の音は原語の音と一定の法則性をもって転移していなけ ればならない。「やまとことば」のなかには古代中国語あるいは朝鮮語と規則的に対応する語彙が多くみられる。日本語は文章の構造、膠着性、音韻構造などは 朝鮮語と酷似している。語彙は日本語も朝鮮語も古くから多くの借用語を受け入れている。<古層>の日本語は弥生時代まではその生成の起源を確実にさかのぼ ることができる。 参考文献: Bernhard Karlgren ”Philology and Ancient
China” Oslo,1920(日本語訳、岩村忍・魚返善雄訳『世界言語学名著選集、第Ⅱ期東南アジア言語編、第3巻支那言語学概論』所収、ゆまに書房、1999年) |
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